2010年3月24日水曜日

選挙を前に、ばら撒き急加速か

 参議院選挙を前に、鳩山政権や民主党の支持率が下がっているというので、苦し紛れに一気にカネをばら撒く法案を作ろうとしている様にも思える。

 結局は、カネをばら撒くことでしか支持率を回復する事は出来ないのか、という思いがしてしまう。政府と民主党は国民・国家を犠牲にしてまでも、取り敢えず今回の選挙で政権与党の民主党を救おうとしている様に映る。
 国民としては「無駄を削る、削る」というから票を投じたのに、「無駄はまだ削れませんでしたが、その代わりに先にばら撒きます」といった感じになってしまった訳だ。

 それでも仕方ないとなれば、多くの国民がもはや多重債務者の心理状況と同様で、何とかその場だけ凌げれば良いといった感じになっているって事なのか。

 このままでは結局、民主党は税収を生み出す方の事は何も分からずに何もせず、組合員とか従業員に予算の中からカネをばら撒く、そして給料を上げる事やさもなくば下げるのを食い止める位しか出来ない政党だという事で終ってしまい兼ねないではないか。

 この社会は、企業が儲けて利益を上げて、従業員が給料を得る事が出来るといった仕組みになっている。会社が利益を上げられなければ、従業員に給料も払えなくなってしまう。
 同じ様に国家に税収が入って来なければ、公共事業や福祉政策は出来なくなってしまうし、公務員の給料さえも払えなくなってしまうと言える。

 そんな事は百も承知かも知れない。国と地方の借金が、800兆円だ、計算の仕方によっては1000兆円だと言い、37兆円の税収で、90兆円以上の予算を組んでいる事はもう子供でも知っている。
 しかし、政治家が出来る事はその借金を減らす事ではなくて、ばら撒いて増やす事なのか、それしか出来ないのではないかと思ってしまう。予算を減らし、経済を活発にする事なんて、天地がひっくり返っても政治家なんぞにが出来る事ではないと言うのだろうか。
 政治家は、カネをばら撒いて経済を成長させ、選挙に勝つこと、それしか出来ないって、そういう事なのか。
 その結果、後々にさらに雪ダルマ式に借金だらけになって、国がどうなろうが知った事ではなく、「たぶん神様が助けてくれるに違いない」とでも思っているのだろうか。

 長年、人の後ばかりを追いかけて来る連中がいる。「君らは人の後ばかり追いかけないで、他にやる事があるだろう。他の事を考えたらどうだ」と口を酸っぱくして繰り返し言うのだが、それしか出来ないらしいのだ。
 政治家もそれと同じなんだろうか、結局、カネをばら撒くこと以外には何も出来ないってことなのか。

 テレビのコメンテーターで知事だった片山さんか誰かが言っていたが、地方においても、議会は予算を減らすのが本来の仕事なのに、増やす事ばかりやっているとの事だった。

 全くその通りで、選挙民が議員を選ぶのは、「無駄な事を削って、予算を減らして、税金を下げてください」と期待して投票している人がほとんどなのに、予算を増やして、借金も増やして、その結果税金が上がってしまうといった逆の現象が起きてしまっている。

 何故かというと、その予算を当てにする人がいっぱい増えてしまったからである。議員は、本来なら税金を減らす仕事をしましたと言って、次の選挙でもお願しますと言うべき所を、「税金を減らすような仕事をする代わりに、借金を増やしました。でも選挙民の方が今すぐに支払う様なものではありません。ずっと将来に誰か知らない人々が払ってくれるのです。今は借金して出来た予算で皆さんの品物をどんどん買いますよ、仕事をどんどん作って皆さんに与えますよ、だから次の選挙の時にはお願いしますね」というパターンになってしまっている。

 こうして国も地方も借金でどんどん仕事を増やして人々の生活を支えるシステムが作られてしまったために、公務員以外にも税金を主にして生活を支えていく人々が益々増えていく事になって、その結果、この国は多重債務者的な生き方から抜け出す事が出来なくなってしまったのである。

 そんな原点を問う、「議員とは何ぞや」という事を、初心に帰ってもう一度見つめ直すという点で、名古屋市の河村市長の考え方は一利も二利も参考にする点はあると思われる。