2009年12月28日月曜日

今年の日本人メジャーリーガーの不振で思った

 現在アメリカで活躍する日本人メジャーリーガーの数は、20人だとか言っていた。しかしイチローを除くと、その活躍は余りパッとしない。WBC で世界一になったくらいだから、もう少し活躍しても良さそうなものだが、と思う。日本のプロ野球でもトップクラスの選手がほとんどである。

 何故だろうかと想像してみた。大リーグの選手の多くは中南米から来ている。貧しいそれらの国々の子供たちの夢は、アメリカに行って野球選手として成功することだ。そうした元々の土壌がある所へ、日本から突然に次々と選手がやって来て、活躍し出した。そしてWBCでも2大会連続して優勝した。となると、自分達の職場が狭くなるという感じの不安感を覚えて来たとしても、あり得ない事ではないと思う。
 君らは先進国じゃないか、そしてプロの野球リーグがあって、良い給料をもらっているいるじゃないか。それなのに何故わざわざアメリカまでやって来て、我々の職場を荒らすようなことをするんだ。僕らはこれ位しか豊かになる方法はないんだ。そんな風に思う選手が出て来ても、何ら不思議ではないと思う。

 そんな状況下にあって、余り日本選手が次々と来られても困るから、なるべく多くが来ないように、日本選手に対しては全力であたって、良い成績を残せないようにしよう。そういった裏協定が、ある一部の選手の間に作られるといった可能性はなくはないかなって空想したりする。

 もちろん万が一その様な事実があって、それがもし表に出る様な事があれば大きな問題になるから、あからさまに分かる様な形では表面化はして来ないと思う。

 以上は頭の片隅をチラリとかすめた程度の思いを、少し想像してみたのだが、余り野球選手の誰もがメジャー志向が強過ぎるのもどうかな、と思うのと同時に、向こうへ行っても実力が発揮出来るとは限らないという事をもっと知る必要があるのではないだろうか。

2009年12月27日日曜日

WBC(野球)決勝戦の球史に残るあの場面での新事実

 先日テレビを見ていたら、日本が優勝した野球のWBCで、決勝戦の対戦相手の韓国側に予想外の新事実が明らかになった。
 中々興味深いドキュメンタリーだったが、その前にあの試合がどういう試合だったかというと、稀に見る白熱した大接戦で、9回裏の最後の最後に追いつかれて、点数は3対3の同点、延長戦に入った10回表、ツーアウトでランナーが二塁三塁にいて、一塁ベースが空いている。バッターはイチロー。たぶんピッチャーは右のリリーフだったと思った。

 そこで野球を知っている人なら、ヒットが出れば二塁ランナーも返って来て2点入るので、ほぼ試合は決まる。だから、イチローを歩かせて、守り易い満塁にし、次の右バッターの中島と勝負すると誰もが思った。所が歩かせずに勝負し、ヒットを打たれ、日本チームが前回に続いて優勝という事になった。

 当然その時は、名将と呼ばれても何の不思議もない韓国チームの監督が下した采配で、彼の犯したほぼ唯一のミスではないかと思われたものだ。その理由としては、イチローが韓国チームに対して過去に「30年間立ち上がれない位にやっつける云々」とかの発言があり、韓国で一時騒ぎになったりした事もあって、ここでこれまで不振で、非難の的になり掛けているイチローをもし叩けば、逆に彼がこの先立ち上がれない位のショックを受ける事になるのはほぼ確実に思われたので、あの生意気なイチローを叩きたいという強烈な誘惑に支配されて、さすがに韓国の名将も判断を誤ったか、と思ったものだった。

 所が事実は違ったと言うのだ。監督は「歩かせろ」とピッチングコーチに指示を出した。しかし彼はその指示をピッチャ-に伝えず、握り潰してしまったと言うのだ。何故かと言うと、ピッチングコーチが過去にあの発言をしたイチローをどうしてもここで潰してやりたかったようで、監督の命令に従わなかったのだそうである。


 何はともあれ、野球史上に残る名場面であった事は疑いえない。首の皮一枚の所で英雄になったイチローの運の強さも印象に残った。

2009年12月25日金曜日

弘道館(水戸市)



クリスマスのイルミネーション




               ステラタウン



住宅街

若き日の坂本龍馬が往来してた場所(品川の台場跡)

 


 「カモメ君、もう少し説明板の方に寄ってくれないかな。その方が収まりが良いんだけど」
 「えっ、ダメ?この影のラインとボディーのラインとの一体化を狙っているっていうのかい。へー、そのために体を傾けてポーズ取っているんだから、そこを撮ってくれって事なのか」
 「ハイ、分かったよ」

 といった話をした訳でもないんですが、こんなポーズでパチリと。

 ここは東海道の品川宿に近い立会川の河口で、土佐藩の屋敷があって、海を埋め立てて台場を造り、そこに大砲を据え付けて外敵に備えるといった工事をしていたという。そんな中に若き日の坂本龍馬がいて、この界隈を行き来したという話だ。


 という訳で、旧東海道と龍馬に関連した歴史感想を少し述べてみようかと思う。

 「織田信長の鉄砲隊(長篠の戦い)は有名だが、たぶん鉄砲は大阪堺の商人辺りから仕入れていたのかも知れない。
 宣教師にしても、それから近代武器にも日本の西の方からやって来た。そうした西洋の文化・宗教・武器の事情は、徳川家康もその後の徳川幕府の将軍なども当然良く知っていて、鎖国政策を取る方向へと繋がって行ったと思われる。

 例えば西から武器が入って来て、九州や中国地方の外様大名から攻め込まれ、東国関東の江戸幕府が破れるのではないか、といった恐怖感はかなり持っていた様である。
 江戸の防衛ラインの整備は、西方に対しては相当の力を注ぎ込み、東海道の道筋には名古屋城、岡崎城、浜松城、駿府城、小田原城などの防衛拠点があり、各宿場の出入り口付近では、敵が攻め込んで来た時の進行を妨げるために、道を折り曲げたり、枡を造ったりした。
 また千葉の東金や甲州への逃げ道も造られた。そして、これらの設計に中心となって携わった人物の一族は、機密を守るためもあったのだろうか結果的に根絶やしになっているという。

 幕末になると、開港を求めて欧米列強がやって来るのだが、彼らは直接に日本を攻める事より、外様で幕府に不満を抱いている薩摩と長州とを組ませて、そこへ武器を援助し、それを利用する事によって幕府を倒した方がベターだと悟って行ったと考えられる。そして実際に動いたのは坂本龍馬ではあるが。
 こうした事情から、倒幕ー明治維新へと繋がって行ったのだろう。もちろん薩長連合が、幕府との戦いに勝利し得たのも、近代武器つまり鉄砲・火器のお陰である。

 信長は元来新し物好きで、鉄砲をかなり戦闘に使ったようだが、江戸時代に入ってからの200年間は鎖国の時期が長く、その間侍の武器はほとんどが刀だけだった。そして幕末を迎え、まだ刀は武士の魂だとかいう時代に、中々その武器を鉄砲へとは切り替えられなかった面があるようだ。

 そんな事から、民間から兵士を募集して訓練した方が銃の扱いが上手かったのか分からないが、明治政府は武士を軍人にはせず、一般人を軍人にした。そのために多くの武士が失業したのも事実である。 

 こういう事は何故か教科書には書かれない。その時代によって、戦争や偉人ばかりを取り上げたり、逆に戦争の歴史はいかんと旧石器や縄文や江戸時代の戦争がなかったと言われる時代を教えようとか、色々ある。」

2009年12月20日日曜日

暖冬予報の日本列島へ突然の寒波

 衣料品店へ行っても、「今年は暖冬ですから」と言っていたけど、18日に突然寒波がやって来て、日本海側を中心に九州の大分県まで雪が降って、そこの5つあるスキー場がオープンしたという。
 新潟県で最もスキー場の多い湯沢町でもこの雪で、「暖冬かと思っていたが、タイミング良く寒波が来てくれた」と地元の人だったかが言っていた。

 関東でも一番の寒さだったようで、外に出して置いた洗濯物も朝になってパリパリになっていた。

 そんな中で、元F1レーサーの片山右京さんら3人が富士山の8~9合目で遭難し、2人の方が亡くなられた。17日夜半から突然に強い寒気と強風に見舞われ、二人用の大きめのテントが風の抵抗に耐えきれずに飛ばされ、一人用のテントにいた片山さんがそれに気が付いて、一緒に飛ばされた2人を探し出して助けようとしたものの、ご両人ともに息を引き取ったという。
 その内のお一方は、泣かれてから亡くなったという。無念の気持ちが痛いほど伝わって来て、やり切れない思いがした。

 確か天気予報では、私の記憶では風吹くような事は言っていたと思ったが、こんな寒波が突然やって来るといった予報はしてなかったと思う。

 天気もスーパーコンピューターで予報するらしいが、明日の気温とかは割と当たるので結構凄いなと思って参考にするけど、その他は今一な場合が多いように感じる。

 日本列島への突然の寒気の南下は予想が難しいのかも知れないが、結局最後は人間の読みに尽きると思う。コンピューターは所詮計算する機械でしかない。その中にデーターを入れる、どんなデーターを入れるかを決めるのは人間で、データーの入れ方を間違えればいかに優秀なコンピューターでも誤った答えを出してしまう。




 見ている限りは美しくて穏やかな山だが、一端登るとなると自然が牙をむく。

2009年12月18日金曜日

神の手(カウンターパンチの天才、長谷川)

 「神の手」、何年か前にそんな言葉がマスコミを賑わせたが、こちらの「神の手」はインチキではなく本物である。

 マスコミが1ラウンド3連続KOを煽ったせいでか、チャンピオンの長谷川の最初は力んで、大振りなパンチが目立ち、加えて挑戦者の大きな右パンチが見えなかったようで、何度か当たっていた。

 彼自身のボクシングになっていないので、今日は良くないのかなと思った。しかし徐々に相手のパンチも見えて来て、自分のスタイルも戻って来たので、やっと安心できるかなと思った4回だったっけか、最後はあっ気ない幕切れだった。

 相手が多少行けると思って、前に出て攻撃を仕掛けて来た。そこを得意の左ストレートのカウンターが見事にとらえた。相手はまだ反撃する力があったのか、反撃しなければならないと思ったのか前に出て来た。そこを間一髪を入れずに左のショートストレートが試合の引導を渡すかのように右の顎に決まった。

 この最後のパンチは神業である。勿論相手にも見えてなければ、観客にもテレビの視聴者にも見えない、とても人間業とは思えない様な神がかりなパンチであった。

 スローのビデオで見てやっとこさ分かる位なのだ。あんなパンチは僕もずいぶんボクシングを見て来たけれど今まで見た事がない。

 もしかして行けるんじゃないか、そう挑戦者が思った瞬間に油断が生じ、セコンドが「もっと慎重に攻撃しろ」、といったアドバイスを忘れ、誘われるように前に出て行ってしまった。
 
 それが、飛んで火に入る夏の虫になってしまった。挑戦者はその時は何が何だか分からなかったと思うが、後になってカウンターの天才を思い知るに違いない。


 もし彼に勝つとしたら、神の手を封印させ、それが出る前に倒してしまうしかないのではないかと思う。

 それにしても最後のあの一発は、単にスポーツ域を通り越して、芸術的な見事さと驚きを感じてしまう。

2009年12月17日木曜日

東京都新宿区の坂


 東京を流れる荒川と、一部神奈川との県境を流れる多摩川の間の東京都の23区辺りは、関東平野の中にはあるが、ほとんどが台地上で水田地帯は少なく、畑の多い地帯である。
 そしてその台地上を流れる川筋が幾つもあって、その川によって大昔から悠久の時を掛けて浸食されて来た所が多く、従ってあちらこちらに坂が多いという事になる次第である。

埼玉街角のレトロチック




 








風雪に耐えて来たんだ、どうだ。そう表現している所が私の心を打つんだな。若くて新しいのも、それはそれで良いんだけど。建物でも人間でも、味のある顔というのがあるんだな 。




iPS細胞の研究と進化論

 京都大学の山中教授がテレビでこんな事を言っていた、「イモリとかは足が欠けてもまた生えて来る。所が人間はそうはならない。これは再生するiPS細胞が癌細胞と似ていて、再生し易い細胞が生命体の中で作られると、一方でそれは癌化し易い細胞の側面も持ってしまう」と。そして 「イモリの様に短い寿命の生命体であれば、癌化と再生のどちらがその生命体 に有利に働くかと言うと、再生の方が餌を採るなどの必要性からいって癌化の危険を差し引いても重要度が高い。一方人間はというと、寿命が長く、子供を自立出来るまで傍で育てなければならない。そうなると、例えば腕や脚の一部が失われた場合に、イモリと同じ様に脚が生えて来る方を取るか、生えて来ないで癌化の危険性を取り除いた方が良いかを考えた場合、もし生える方を選択すれば癌化の可能性も同時に抱え込まねばならなくなってしまう。そうなった場合、子育ての途中で死んでしまう事にもなり、子供の生命も危うくなり、死に至る場合も起こり得る。そちらのケースの方が片腕がないままで生きて行く事よりリスクが大きいとの理由から、人の場合では腕が再生しない方を自然淘汰の中で選択して行ったのではないか」といった主旨の事を話していた。

 腕の事は山中教授の推測である。実際に大昔に事故で片腕を失った人が、近代の様な医療技術のない中で、果たして腕の傷が治るものなのかどうか良く分からない。普通で考えると出血は止められたとしても、傷口は自然に治癒して行くものなのか、中々難しい様な感じがするのだが。
 例えば、手の小指を落として落し前を付けるとか聞くが、その後は治療せずに包帯でも巻いて置くだけで大丈夫なものなのだろうか。

 人間ではなくて、例えを小鳥にしてみよう。小鳥が片足を欠損した場合、その脚は生えては来ない。これをどちらが有利かのその理屈に当て嵌めてみると、ひな鳥の成長の期間を考えると癌化の危険性を選択しても片足が生えて来て、餌が採れた方が鳥にとっては有利な選択になるはずなのに、現実では小鳥の欠損した片足が生えて来る事はない。

 体の欠損部の再生はごく一部の小動物でのみ起こり得る事象であり、他には人間の歯が生涯二度の生え変わりなのに対し、鮫の歯は幾ら欠損しても生え変わるという。

 一般的に言えるのは、高等生物になると細胞のそして身体の組織の再生というは難しいという事である。それに挑戦する様な研究が、私の生きている内に何らかの成功の一部が見られるのかどうか難しい所ではあると思われるが、それはどんな研究にも言える事で、むしろ柔軟で絶え間ない研究努力をして行く事によって、他の副産物を生む可能性の方が歴史の中ではしばしば例が見られる。
 優秀な研究者であるならば余り一つの凝り固まった観念に固執しない方が、良い結果が生まれる可能性が高いと思われる。

レンガの煙突


 連絡事項  サンタさんへ

         この煙突の家には、子供がいないばかりか誰も住んでいません

         入り込まないように注意して下さい

2009年12月16日水曜日

手本


 おい、木よ。  無残に枝を切られた木よ
 
 おまえは生きているか

 僅かばかりの命の灯を精一杯燃やしながら

 毛を刈り取られたというか、皮まで剥がされた羊のようになって

 この寒空に 棒のように 突っ立っている

 
 おまえが精一杯生きようとしている様に
 

 自分も精一杯に生きてやろうと思う

 

2009年12月15日火曜日

馬の脚と人間の脚


 駅前のデッキで「馬を触ってみませんか」と何かの勧誘をしていた。見ると、小さな馬が臨時に作られた檻の中に入っていた。

 聞いてみたら乗馬の宣伝だった。僕は、以前から疑問に思っていた事を聞いてみた。それは馬の脚は骨ばかりの様に見えてあれ程細いのに、何故あんなに速く走れるのだろうか、という事だった。あの様に細い脚で、あれだけの体重を支えている事自体が不思議だった。

 もしかすると僕の脚の方が筋肉が付いているかも知れないと思ったりもする。でも短距離走では、馬と比べるどころか人間の中でさえも、僕は至って足の遅い方である。勧誘の人に聞いてみると、馬にも農耕馬の様に脚の太いのもいて、走るのは遅いが、その一方で力は強いという。

 そうか脚の細いのは速く走り、太いのは遅いが力強いのか、と納得。人間にしても100メートル走の世界王者のボルトは、脚が長くてほっそりしている。
 日本人にしても、最近では脚は長くなったが、以前の様に太くて短いのは短距離向きではないのか。自分はというと脚は短くはないが、太腿はどちらかと言うと細めの感じで、ふくらはぎの方が太めだ。これじゃあダメなんだろう。ボルトもふくらはぎは細く、腿が太い感じだった。
 馬も前足は筋肉がある様には見えないが、後ろ脚の方は腿から尻にかけては筋肉がかなりありそうである。アフリカ系の人にしても太腿から尻にかけての筋肉の盛り上がりは目立つ。あの辺で差が出るのだろうか。


 今度、体験乗馬にでも行って、馬の腿から尻にかけてをじっくり観察でもしてみようか、蹴られない様に用心しながら。

国家破綻を視野に見据えて

 このまま行くと、今の金貸しシステムは崩壊せざるを得なくなって来るだろう。日本版サブプライムローンだ。税収がないのに、国はその何倍もの予算を使わざるを得ない事態になっている。正確に言うと、概算要求の95兆円に近い予算が組まれれば、収入に対して2.5~2.6倍の借金をする事になる。

 国の税収は、1987年に60兆円あったのが、2001年には47兆円、今年度は36兆9000億円の見通しだ。
 それと逆なのは国債の発行額だ。小泉内閣の時に30兆円を超える超えないで騒いでいたのが懐かしく感じる。今は44兆円を超える超えないで騒いでいる。
 そんな国の台所事情だというのに、脳科学者が忙しくて4億円の所得を申告し忘れたとか、一国の首相が9億円もらったのに気付かなかったとか、何とも国の体を為しているのだろうかとも疑ってしまいそうな事が多い。

 借金は永久に先延ばしにして行く訳にはいかない。どの時点かで返せなくなる時期が訪れる。その時にシステムが崩壊して行く事になる。日本版サブプライムローンの破綻である。これを放置すれば、あらゆる所のシステムが機能不全に陥ってしまう。

 金融システムの崩壊は多分こうだ。先ず国債が暴落する。買い手が付かなくなる。人々は先ずは先立つものは現金だと預金を引き出そうと詰めかける。銀行は用意がないから引き出しをストップせざるを得なくなる。

 混乱やパニックを鎮めるために戒厳令が敷かれる。そして政府による一時的な統制経済の状態に国全体が置かれる事になる。個人の引き出される紙幣は一定額に制限される。
 中小企業の倒産は増発し、町には失業者が溢れる。各国から支援が集まり、食料の配給が行われる。

 これまでの借金は大きく棒引きされ、スリムになった所から再出発される事になるのだろう。こうなれば企業の倒産や戦争による敗戦と同じように否応なくその現状を呑まざるを得なくなる。これまでの様に、「あの予算を減らしやがった許せない」とかバカな事はもう言ってられなくなる。あるものでやって行くしかなくなり、当然多くの人々が貧乏生活にならざるを得なくなる。

 例えば悪い事をして贅沢していた人が、警察に捕まって刑務所の生活に変わるのと似ているのかも知れない。

 そうだ、その内に夕張へ行ってみよう。財政破綻した町、そこには将来の日本の国の姿が見えているのかも知れない。そこで何かが分かるかも、見えて来るのかも知れない。


 我々は余りにも人間の生きる知恵というものを、これまでの歴史の中で軽んじて来た。知識や便利性や楽さばかりを追求し過ぎて来た。その結果、知恵が忘れられ、大事な物が失われ、簡単にそれまで築きあげて来たものを崩壊させてしまうレールに乗ってしまう様な事になってしまったのだと思う。

 大体多くの老人の望むままに、歩きたくないから車が便利だとか、階段は上りたくないからエスカレーターやエレベーターを付けろとか本人達の要望ばかり受け入れていたら、足腰の筋肉が弱りいずれ近い将来に歩けなくなってしまう。だから予防医学的な立場から言えば、リハビリ的な見地からも歩いて筋肉が落ちないようにし、寝たきりの状態になるのを防ぐためにも、多少の苦痛があっても階段を上る必要が生まれて来るのである。

 便利な物へ、さらに便利な物へと流れて行くと、結局体力は衰える方向に行き、頭は知恵を使わずに社会システムの崩壊へと舵を切って行く事にならざるを得なくなって来る。

 便利になる、楽になるという事は、裏腹にそう言った危険を孕んでいるという事を肝に銘じなければならないのだが、人間は残念ながらそれ程利口ではないようである。

2009年12月13日日曜日

ハムレット総理

 大金持ちの資産家としての立場と、大借金国家のトップとしての立場という、相反する側の両方のトップの立場にある鳩山首相。
 決断できない総理と巷では囁かれ、ズルズルと結論を先延ばしにしているのではないかと言われてはいるが、さてこの件では個人としての立場を優先させるのか、あるいは一国の総理としての立場を優先させるのか、全国民の目に晒されている。

 貸し手である資産家の方か、借り手になる借金国の長の方か。そこが問題だ。

 もし、総理の職は一時期だけなので一生続く訳ではなく、資産家としては死ぬまで続くのだから、金持ちに有利な法律を作ったとなれば、死ぬまで人々に言い続けられ、その事が歴史に残るだろう。
 逆に借り手に有利な法律を作り、脱税疑惑を払拭して自身の資産でも投げ出すような事にでもなれば、その行動力に借り手側からの称賛の的になるやも知れない。

 資産も相続でガッポリ取られちゃうし、死んであの世に持ってける訳でもないし、この際慈善事業にでもドンと使って、男でも上げた方が良いんじゃないかと、他人事なんで、勝手に思ったりしている。

スポーツ界と科学技術の世界

 WBC世界バンタム級チャンピオンの長谷川穂積がカウンターの天才だという事ぐらい、素人の自分にでも分かる。
 カウンターパンチとは、相手が打って来る所を交わしながら打つ極めて難しいテクニックで、相手は打って来ているから防御は出来ず、前へ出て来ているから、そこを当てれば効果はてき面で、それ程強いパンチでなくても相手は倒れてしまう事になる。

 だからこれを成功させるには、相手の繰り出して来るパンチを事前にキャッチし、素早いパンチで攻撃しなければならない。
 この様な高度なテクニックは教えても中々出来るものではない。それをあれだけ見事に天才的にやってのけるから、彼は天才だと思う。

 石川遼もテレビでショットを時々見るだけなので、どこが天才的なのか自分には分からないが、あの若さで並みいる先輩プロを差し置いて、トップの賞金王になるのだから、そこだけを見ても天才的と言える。

 男子器械体操の内村航平選手にしても、あの床運動なんかは宇宙人的なレベルで楽々やっているように見えて、あれじゃあ、中国雑技団もビックリだろう。鉄棒も難しい技を簡単そうにやっている様に、しかもこれ以上ないというほど完璧に演技する。
 苦手と言われる鞍馬にしても、失敗してもニタっとして、後の種目に影響を及ぼす事がない。何かコマネチがデビューした当時の衝撃を思い出してしまうね。


 この様にスポーツの世界では、天才的な選手が出て来るのだが、どういう訳か学問や芸術の分野ではサッパリと出現しない様に見える。どうしてなのだろうか?

 日本人でノーベル賞をとった人でも、そんなには税金が掛かる研究をしてる場合というのは、少ないんじゃないかな?

 やっぱり多額の研究費を使っている所は、寄付ならば文句は出ない訳で、そうでないならもっとオープンにして、将来どのような結果が期待出来、商売に波及するならどの程度の効果が予想出来るか、最低その位は国民に分かるように説明してもらいたい。
 「オレはどこどこ大学を卒業し、どこどこ大学の教授をしている。それに海外で賞ももらっているから、日本がこれから科学技術立国を目指すのだったら、これだけの予算を必要とするのは当たり前だ」という様な考えを持っていたら、今日の様な国家財政の逼迫している状況の時には、おそらく国民の理解を得られないに違いない。

 今日の研究は予算が掛かる分、人手も多くなりチームで行う傾向にあるから、中々個人の独創的な意見は通り難くなっているのかも知れないが、一方でチームの個々のメンバーの独創性をリーダーが摘み取ってしまう様な事はないのか、懸念される所ではある。
 

2009年12月12日土曜日

サンタもくろうするよ


 
 最近のサンタは、入る煙突がないから、こんな所から入るんだね。

2009年12月11日金曜日

師走の月

 


冬の澄んだ寒空に、月がくっきり輝いていた。 

2009年12月9日水曜日

鉄枝に 人のとまりけり 冬の暮


 あれっ、あんな所にカラスかな?

おやーっ、違うぞー!

人間だった。あんなに高い所に上っている。

2009年12月8日火曜日

踏切事故と安全対策について(秩父鉄道の例で考える)

 

■ 事故の状況

 6日の1時30分に投稿したブログ記事に、志賀直哉の短編小説「正義派」の概要として、五つくらいの子供が路面電車によって轢死したという内容を載せた丁度その頃、埼玉県北部を走る秩父鉄道の、行田市駅と東行田駅間の警報機と遮断機がなくて、車の通れない踏切近くの線路上で遊んでいた4歳の男の子が、行田市駅方面から来た3両編成の電車に轢かれて亡くなった。

 ニュース報道によると、電車が好きだった男の子は、日曜日で両親が昼食の準備をしている隙を縫って、一人で100メートル程離れた線路まで行き、事故に遭遇してしまったという。
 運転手は事故現場の約100メートル手前で子供がしゃがみこんでいるのに気付き、警笛を鳴らし、急ブレーキを踏んだが間に合わなかったという事の様である。

 また偶然にも私はその何日か前に、熊谷駅から羽入駅まで乗り、事故現場を通っていた。さらには、先頭車両の一番前に張り付くようにして、学校を卒業して間も無いといった感じの若い女性運転手の運転動作や速度計や前方の景色をずっと観察したり、眺めたりしていたのだった。

 そんな事もあってか、何かどこかで他人事ではない様なものを感じ、その幼い男の子の死が何かしら教訓的なものを残し、今後の事故防止の役に立つ事はないかという意識もあって、取り敢えずそこへ出向いてみる事にした。



■ 踏切事故の多発地帯
 
 「行田市駅」とその次の「東行田駅」の間は、距離にして1キロメートル位しかなく、しかもほとんどの区間で割とカーブしている。だから電車のスピードは時速50~60キロメートルといった程度だ。
 その位のスピードではあるのだが、市街地であり、線路脇には家々が張り付いている。従って見通しが悪いのだ。その間には踏切の数が、7ヶ所かそこらもある。数が多過ぎて、電車からでは数え切れなかったのだ。
 つまり100~150メートルに一ヵ所といった割合になる。電車に乗っていて感じたのは、踏切だらけといった印象だ。
 
 実はこの同じ踏切では、昨年の9月にも男子中学生が自転車で渡ろうとして、電車と衝突事故を起こして亡くなっているという。
 自転車の男子も、踏切の手前で降りていれば事故に遭わなかったかも知れないが、もしかして一時停止もおろそかにしたのだろうか。あるいは何本かある車止め用と思われるポールに気を取られていたり、さらには音楽でも聞いていたりしようものなら、電車に気付くのは難しくなってしまうに違いない。
 その時の事故の詳細は分からないが、近くの人はそういう学生が多いので、その生徒もそういった可能性がなくはないといった様なことを話してくれた。

 
 神社の向かいにある食堂に入って新聞を開いたら、事故に関しての記事が載っていた。それによると、他の鉄道と比べて、秩父鉄道には警報機や遮断機がない踏切が多いとあった。そして、事故を防ぎたい会社側としては、踏切を廃止したい考えだというが、一方の住民サイドの中には、遠回りになるのは嫌だといった意見があって、話が先へ進まないらしい。 



■ 事故対策案

 私が今思うには、全路線を通して数の多いとされる警報機、遮断機がない踏切の中にあっても、相当距離が近いものや、かなり離れたもの、あるいは見通しの悪いカーブに何ヶ所もあったりとか、それぞれの踏切で様々に状況が違い、決して平等に総てにそれらの装置を取り付けろとか、総ての歩行者・自転車など用の踏切を廃止にしろとかの二者択一では片付けられるものではない。
 今回の事故があった踏切は例え廃止した所で、誰も異論を唱える人は出て来ないないのではなかろうかと思われる。現場の近くに踏切は多過ぎるし、電車からの見通しも悪く、総ての踏切に運転手が集中する事は難しく、それ故事故対象への発見が遅れる可能性が指摘出来るように思われるからだ。

行田市を流れる忍川に架かる秩父鉄道の鉄橋
 
 
 
 
※ 2013年1月18日 また事故は起きた。やはり行田市駅と東行田駅間の魔の事故多発地帯だった。自転車に乗った小学5年生の男子が、警報機のない踏切で事故にあって亡くなった。(更新 2013.1.23)
 
 
 
 
 
 

2009年12月6日日曜日

隅田川に架かる橋と首都高の劣化を対比


 両国橋 …修理はしているのでしょうが、分厚い鉄板を使っている様で、錆びもきてないように見えますが。



 清洲橋…「男女7人夏物語」の舞台となり、このドラマを切っ掛けに「さんま」と「しのぶ」が結婚したという、知る人ぞ知る有名な橋。
 この橋も造りは違うが頑丈そうに見える。






 それに比べて気になるのが、近くを通っていた首都高の錆びや隅田川堤防のコンクリートの欠け落ち具合だ。
 永代橋、清洲橋、両国橋は約80年経っているのに対し、首都高は約50年だ。

 橋が耐用年数が来て、架け替えるとなれば、その隣に新しく造れば良い訳だが、首都高となればその隣に造るという訳にはいかないだろう。
 となると修理で持たせることになるが、首都高は東京オリンピックに間に合わせるために突貫工事で仕上げた事で有名だ。それにコンクリートの材質も海砂を使用してアルカリ骨材反応を起こす様な事も聞いている。

 修繕というのは、意外と新しく造るよりも難しくて費用も掛かる。

「正義派」(志賀直哉)の舞台になった永代橋

 「或る夕方、日本橋の方から永代を渡って来た電車が橋を渡ると直ぐの処で、湯の帰りらしい二十一二の母親に連れられた五つばかりの女の児を轢き殺した。」という些かショッキングな書き出しで始まるのは、志賀直哉が明治45年(大正元年)に発表した短編小説の「正義派」で、29歳の時の作品である。

 その当時「轢き殺す」という言葉のニュアンスがどんなであったかは分からないが、今日のニュアンスからすれば、「轢き殺す」というのは、犯人が被害者を明確な意志を持って車で轢き殺すような感じを読者に与えてしまうので、重大な過失が無く、誤って轢いてしまったという場合には、「轢いて死なせてしまった」位の言い方が無難かと思われる。


 小説のあらすじは、路面電車が飛び出して来た子供を轢いて死なせてしまった。その時敷石の作業をしていた工夫の3人が目撃した。その目撃談によると、運転手は気付いて直ぐに電動の急ブレーキをかけずに、急には止まれない巻きブレーキで対処しようとして間に合わないと思い、その後慌てて電動ブレーキを使用したが死なせてしまったと言うのだ。
 運転手は突然飛び出して来たので間に合わなかったと主張したが、工夫らは直ぐに急ブレーキを掛けていれば事故は防げたと警察で主張した。

 3人はその事を公に証言しようとしたが、会社側の人間に、「君らも会社から仕事をもらって食べている立場だし、ここの所は…」と証言を止められてしまう。
 やり切れないもやもやしたものを抱え込んだ3人は飲食店にくり出して、酒も入って、従業員や客に聞こえる様に、既に多くの人が知っている昼間の事故について、あの事故の目撃者は俺たちなんだと言わんばかりに喋る。
 最初は興味を持って聞いていた店の従業員も、ひと段落つくと一人去り、二人去りして行った。
 真実を喋れない3人はまだ煮え切らないものを感じながら、店を出た後も、くだを巻く ように不満めいた言葉を口にしていた。
 
 こういった事は、いつの時代にも、どこででも起こり得る普遍性の高い出来事だと言える。

  なお、写真の永代橋は当時のものではなく、震災復興事業の一環として、架け替えられたものだ。

風邪をひいた。布団に入ってラジオを聞いた

 風邪を引いてしまった。ニュースでは新型インフルエンザに罹っている人は10人に1人になったと言っていたが、電車に乗っても隣の人が鼻をグシュグシュしていたり、あちらこちらでくしゃみや咳をしていたりといった印象がする。

 でも、これって新型インフルエンザなのか?何か普通の風邪っぽいけど。といった訳で、今日は外出を控え、鼻水たらたらで頭も重いので、布団に入ってラジオを聞いていた。

 気持ちが悪くて頭痛がする時は、ハイテンションな民放よりNHKを聞いた方が気分が落ち着くのだが、今日はそれ程でも無かったので、民放を聞いていた。

 そしたら、以前は少し舌っ足らずだが、良く口の回ったEさんが、お歳を召したからか、喉でもお悪いのか良く聞き取れない言葉で喋っていた。ちょっと聞き続けるにはしんどかった。

 時間を置いてまたスイッチを入れると、今度はKパーソナリティーの番組だった。ゲストの話を聞いていたら、この調子だと時間内に収まりそうもないと思ったK氏は、ゲストに話を端折ってもっと前に進める様に促し始めた。
 その事は良いのだが、元々早口で聞きとり難い部分がちょくちょくある所へ、更に輪を掛けて早口になり出し、接続詞的な所は分かるが、肝心な所がほとんど聞き取れない様になってしまった。

 まさか、「どうせただで聞いているんだから、聞き取れなくても我慢しろ」みたいな気持はないとは思うけど、以前は聞きとり易かったので、チョット残念な気がした。


 暫くして、また性懲りもなくスイッチを入れてしまった。今度は、番組を聞いているリスナーから面白話の体験談を提供してもらって合格すると3千円がもらえるというのだが、「これは誰が書いたコントなんだ!」とM氏が叫んだ様に、余りにも有り得ない様な話があり、仕込みがあるのは大体周知なのかなぁ。
 素人にしては、喋り方が上手過ぎるのがあるし、…。 

2009年11月30日月曜日

埼玉県西部地域の晩秋風景


 
 神川町まで行こうと、荒川左岸の台地上の田園地帯を北上していたら、桶川辺りで、道が以前と全く変わってしまって、迷ってしまった。
 最初は「あっ、圏央道の工事か」と思って、どこかで記憶にある道に出会うだろうと思っていたが、予想以上に広範囲に工事が行われていて、迂回表示も分かり難くて、お手上げ状態になってしまった。
 偶然、道端で白菜を売っているオジサンが目に入ったので、尋ねた所、圏央道と上尾バイパスのジャンクションが出来るとの事だった。だから相当の広範囲に工事が行われていた訳だ。
 予定ではもう少し北上してから荒川を渡って、国道254号線辺りを行こうと思っていたが、この辺りで荒川を越える事にした。

 嵐山から寄居にかけては、もう紅葉も盛りは過ぎている感じだったが、まだそこそこ残っている所もあった。
 
 上の写真は池いっぱいに落ち葉が水面を覆っていて、直ぐには池と分からなかった。




















2009年11月29日日曜日

鎌倉見て歩き



 
 県道金沢鎌倉線沿いにある魚屋さん。ここの信号を渡って、数十メータル県道から奥に入った所に報国寺がある。






          


 朝比奈切り通しに向かった。   







 この道は、県道金沢鎌倉線が出来る前に使われていた古い道で、遡ると鎌倉に幕府が置かれた鎌倉時代にまで起源を辿る事が出来る。
 しかし明治時代まで鎌倉と横浜市の六浦を結ぶ道として機能していたので、当然この道も修理を繰り返しながら使われていた事になる。
 だから鎌倉時代の道の面影はこの辺は残ってはいないと思われる。写真のV字カットの切通しは、開通した当初はもっと上の方を道が通っていたには違いない。



 

七里ガ浜から見た江の島

電車の中の落し物

 赤羽駅に電車が着くと、降りる乗客が多くて、混んでいた時とは違って車内を見回して席を探す程度まですいていた。

 すると近く一つ空いている席が目に入ったので、座ろうと傍まで行ったら、そこの席には結構膨らんだ二つ折りの男物の財布が落ちていた。僕は直ぐさま今降りた乗客がズボンのポケットから落としたものと了解した。

 しかしそこで、座席の上の財布を目にしたまま固まってしまった。周囲を見回した所、すぐ斜め後ろに若い男、それと三列シートの端の僕の一つ誰もいない吊皮を置いた隣に、やはり若い男が立っていた。どちらもサラリーマンではなくカジュアルや遊びっぽい服装で、この二人は財布の存在に気付いている様だった。

 さてどうしようか?近くに駅員はいない。この財布を一番近くにいる自分が手にとって届けようとしたら、他の人間にはそのまま猫ばばすると思われ兼ねない。もしこのままここから立ち去ったとしたら、ほかの二人の男も猫ばばしないとは限らない、勿論顔つきや服装からでは、正直な人かそうでないかは判断出来ないのだが。

 立ったままそんな状態でいた所、どこかからでっぷりとした若い男が来て、財布の上から座ってしまった。当然彼は財布を目にしているし、それでも尚疲れていて座りたかったのか、顔を見る限りでは人の良さげな風だったが、尻の下に敷いてしまって、それを知ってる連中が降りてしまったら持ち去るかも知れない可能性は考えられた。

 僕はどうやったら駅員まで届けられるかの答えが出ずに身動きが取れなくなっていた。
電車は何故か乗客が降りてしまった後も、暫くドアは開いたままになっていた。
 するとそこへ一人の若い男が姿勢を低くしながら、右や左に首を振りながら、落とした物を探すように、更には下げていたバックの中に手を入れて中を再確認するようにしながら入って来た。
 僕はその男を見て思わず助け船が来たと思い、「財布ですか?」と聞いた。男は小さく返事して頷いた。この表情や容姿が真面目そうに見えたので、思わずこの男だと思ってしまった。

 僕は「そこ、そこ」と座っている男の尻の下を指差した。すると座っていた男は慌てて尻の下にある財布を取り出して探していた男に渡した。手にした男はドアが何時閉まるか分からないので、言葉を発する間もなく、小さく頭を何度か下げながらそそくさと行ってしまった。

 行ってしまった後で、冷静に今の事を考えてみた。電車のドアが暫く開いていたお陰で落とし主は戻って来る事が出来たが、直ぐに閉まっていたらどんな展開になったか。
 あるいはさっきの落とし主はにせもので、降りる途中で誰かが落としたのを目撃し、暫くしてから落とし主を装って掠め取りに来たのか。しかしそれにしては何時閉まるか分からないドアであれば、もっと早く来ると思われたし、電車の発車時刻を知っていてギリギリに来たという事も考えられなくはないし…。

 しかしその可能性があったとしても限りなく小さいので、自分の行動は間違ってはいなかったと思うのだったが、世の中思いがけない事もあるので、「実は…」という事も無きにしも非ずである。


 

2009年11月27日金曜日

クリスマスモード

 もうすぐ十二月という事で、町もそろそろクリスマスのモードへ入り掛けて来たのでしょうか?

2009年11月26日木曜日

日本の産業の未来

 金融を操作したり、経済政策を多少打った所で、一時は持ち直す事もあるかも知れないが、肝心の産業が回復しなければ、どうにかなるものではないと思う。

 良く携帯電話を例に出して、日本製品のガラパゴス化が論じられるが、例えば国内で売れて内需に寄与したとしても、一個人にしてみれば限られた収入から支出している訳で、他の物を買うのを止めて携帯を買ったのであれば、全体の経済効果からいうと同じで、そこから生じて来る国の税収もそうは変わらない事になるでしょ。

 だから外国で売れてこそ、外貨を獲得する事が出来、税収も大幅に増える事に繋がるのだと思う。
 
 繰り返す様だが、いくら内需を盛んにしても、結局、収入の範囲、あるいは多少貯蓄を取り崩す程度になるのだから、大きな税収増は期待できない。それ故、やはり海外に売れる物が、どうしても必要になる訳である。

 ところが、これまでの日本がどうであったかというと、欧米の作った製品を真似して同じような物を作って行けば、先進途上国のメリットもあって、貿易の収入がどんどん増えていって、様々な社会整備も産業の技術力の方も進んだ。

 しかし先進国になった今、これまでと同じ事をやっていたのでは、かつての日本がそうであった様に中国やインドやブラジルといった国から追い上げられて、もはや中国にかつての座を奪われ様としている現状がある。

 だから産業そのものを劇的に変えて、世界で売れる商品を作っていく必要性に迫られている。
 それには、「これは自分達が作った非常に良いものだから、客は買って当たり前だ」的な発想では、さすがに国内ではそれが通用しても、海外では通用しない事を肝に銘ずべきだろう。殊にソフトの面に関しては尚更である。

 これまでの様な価格競争では後発国に勝てないという事で、各企業は付加価値を付けた商品の開発の方に力を入れて来た訳だが、今までの所は必ずしもそれが上手くいっているとは言えない。

 相手国のニーズに合わせた商品開発が求められるし、他国と同じ物を作っていたら物価、賃金の安い後発国には勝てない。

 それ故、新製品を作ってしかも圧倒的な技術力での売り込みを図っていかないと、もはや立ち行かなくなって来るのだろう。

 これからの日本が採る道は、地球レベルでの環境分野に貢献する技術力の高い製品を作って、更には苦手な英語を磨いて行かねばならないのかも知れない。

 学校教育はそれに向けて、劇的に変わる必要に迫られて来るのだろう。これまでと同じ様な教育のやり方では、いくら資金を投入しても目に見える成果は挙がらないと思われる。
 ものを覚えてただ知っているだけでは、コンピュータに敵う訳はなく、計算や単なる知識を競うだけでは、もはや学習の意味はないと思われる。

 他にないものを作り出す能力、仲間内だけではなく、世界の人々に同じような感覚で感動を与えられる様な能力を身に付ける事の必要性を痛感する。

 アメリカという国は世界中から優秀な人材を集めて国づくりをして来たが、それに対して日本はというと、優秀なというか多少毛色の変わった人材を異端として排除して国家づくりをして来た印象は否めないのではないか。

 こうした若干村八分的な排除の論理を引きずって今日に至っている敢えて言わせてもらえばその教育界に、いくら資金を注ぎ込んでも、結果的に無駄に終わる事は、今日の教育界の現状が変わらなければ、目に見えて明らかなのではないだろうか。

 この国の教育界は、一部だけか蔓延しているかは分からないが、妬みと村八分的な考えから抜け出ていない所があるとどうしても思わざるを得ない。だから例え優秀あるいは変わり種の才能であっても、新しい人が国内で最初に認められる事は滅多になく、そのほとんどが最初は外国で認知され、そうなってから国内で仕方なく認められるという全く恥ずかしいお粗末な結果を日本国民は嫌というほどこれまで見せられて来ている。

 こんな風で、これからもこの状態を続けて何の成果が期待できると言うのだろうか。この国の教授という人達の中には、自分と違う意見を言われると切り返しや反論をする事をせずに、恨んで反発するだけの学問には全く不向きの人が結構いる様に思われてならない。
 しかしそれでは生徒は皆イエスマンになって、その教授以上の成果なんか出せるはずがないのであって、この時点でもうほとんど教育の成果に期待が出来なくなってしまうのである。


 若い人がいくら画期的な成果を上げたとしても、皆結果的に潰す様な事をしてしまっては、国は結局滅びて行くしかなくなって来るだろう。

 こうした絶望的とも思える状況をもし打破出来るとすれば、海外から多くの優秀な人材を受け入れ、閉鎖的な教育界の環境を変えて行くしかないと思われるこの頃である。


 以上生意気な言葉の数々に、読まれた方は嫌悪を抱かれたのではないかと思われるので、ここに該当しない多くの先生方にはお詫びをしておきます。
 昔から良く言われた、「お前みたいなバカが偉そうな事を言う立場にはない」と。立場に無い事は重々承知していた。しかし、バカでも国を憂える事があるのだ。バカを承知で名前を晒して、止むに止まれず言っているのだ。という事を、多少とでも分かって頂けたら幸いです。

2009年11月22日日曜日

鎌倉観光の穴場?


鎌倉観光の本編は「神奈川(観光・産業遺産)」の中にありますので、そちらを見て下さい。




 鎌倉宮よりまだ東にある。護良親王の墓とあった。「ずいぶんと長い階段だが、行ってみよう」と思った。






 やっと上ったら、まだあったよ。




 うそっ、また階段だよ。



 えっ、ここでシャットアウト?そんな殺生な。お墓が見えません。折角ここまで来たのに、ただ階段を空しい思いで見るのみだった。

 帰り道。腹じゃ怒ってたけど、膝は笑っていた。

    ※お口直しに「鎌倉見て歩き」神奈川(観光・産業遺産)でも見てって下さい。下のラベルの所をクリックすると出ます。