2010年6月21日月曜日

昭和初期の小説「雪国」へ



向こうの山が三国山脈で群馬県側から見たところ 


新潟県側から昭和初期に造られた最初のトンネルを見たところで、当時は単線だった。今の土樽駅の所に、当時の信号所があって、汽車のすれ違いが行われた。


橋脚は当時のものと思われる。向こうに見えるのは関越道。


こうした景観は文化財としての価値も感じる。何年か前の地震でも大丈夫だった様に見えるし。



右の線路が新しいトンネルを掘って複線化した時のもの。


  
  「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」
 
 これは川端康成の小説「雪国」での有名な冒頭部分である。

 国境とは、今の群馬県と新潟県との境の事を言い、昔は上野国と越後国と言った。その境に聳えるのが三国山脈で、ここを昭和の初め頃にトンネルが開通し、日本一長いトンネルとして長年に渡って君臨した。

 このトンネルが出来て間もなく、川端はここを通って越後湯沢の温泉宿に滞在した。その時の材料を元にして書かれたのが「雪国」である。

 この境は、太平洋側と日本海側とを分ける境でもある。日本海を通って北からやって来た雪雲が、この山脈にぶつかって、豪雪をもたらし、その後の乾いた空気が、空っ風となって、群馬県側に吹き下ろす。

 だからこのトンネルを抜けると雪国の別世界になるという訳なのである。

日本サッカーと平等思想

 オシム元サッカー日本代表監督が「本田だけを持ち上げてはいかん。カメルーン戦での勝利は、全員で勝ち取った勝利だ」と言っていた。

 全員サッカーが日本のポリシーだ。野球と違い、なるべくヒーローを出さない。個人技やスタンドプレーをしないようにする。
 昔はドリブルの杉山、シュートの釜本という様に、平等とチームプレー思想はごく一般的だった様な気がするが、Jリーグ発足時の頃からか、その手の色合いが強く出て来ている様に思える。

 そのために、日本のサッカーはパス回しばかりで、ドリブルの個人技もなければ、シュートでも枠の中に入れない様に蹴っているとしか思えないようなのが時々見られたり、ゴール前に行っても尚パスの相手を探す様なのがある。

 個人が目立ってはダメなんだ、チームで勝つ。これが余りにも徹底してしまったために、点の入らないサッカーになってしまったのだろうか。

 これは恐らく平等思想から来ていると思われる所があり、教育の世界にもこの思想は広く浸透している。一人だけ目立ってはダメだ。皆で一緒に進む事が大切といった考えである。確かにチームワークは大切ではある。
 しかし目立って能力を発揮すると、妬みが湧き起こり、チームワークが乱れるからほぼ平等に能力を発揮するのでは、比較的目立たない選手に合わせる様になるのでチームは強くはならないと思われるのだが。

 つまり弱肉強食の社会ではなく、弱者も一緒になって全体をボトムアップして行こうという思想なのかも知れない。強くなる事よりも、チームワークと平等が大事なのであろう。

 これからの日本は少子化で高齢化社会だから、否応なく体力面での弱者が多くを占める様になる。だからと言って年寄りが若い人達を逃げ出さない様に閉じ込めて、我々のために自分を無にして働けと言っては恐らくまかり通らないだろう。

 平等思想には、試験の成績や運動会の徒競走で順番を付けないというやり方などがある。

 成績に順番を付けると、それの下の方の者が可哀そうといった感情から生み出されて来た思想なのだろうか。人は平等であり、それをあらゆる所に徹底して推し進めようとしているかのようである。

 その思想もある程度、ある部分は共感出来るものもあるけれど、現実的とは言い難い様な平等原理主義思想までになって来ると、とても社会には適応し難いものに思えるのである。

 そういう思想の表立ったものを、実際にある程度纏まった形で見たり聞いたりをした事はないのだが、何となくそこここで感じるのというのはある。とにもかくにも、はっきりとは表に出て来ていないので、想像するしかないのだが・・・

2010年6月14日月曜日

おやっ、全く同じ記事が異なる新聞紙上に

 




 
 
 一番上の富士山の写真は、左がS新聞社の記事で、右がT新聞社の記事である。両者とも同じ写真で、記事もほとんど同一である。これらは同じ日の朝刊の記事なので、どちらかが盗作したのではない事がほぼはっきりしている。

 この記事の内容は「富士山に季節外れの雪が降った」というもので、役所や企業の発表記事ではなく、個人が取材したものである。あるどこかが取材してそれぞれの新聞社に配信したという事である。

 聞いてみると、この記事は時事通信社が取材していて、それを買いたいと思った各新聞社が購入し、紙面に載せる仕組みになっている様である。だから、全国あちこちの新聞に同じ写真と記事が載る事もあり得るのだという。

 海外から配信されてくる記事には、どこの提供と入るが、国内のものは入らないので通信社からのものかどうか区別が付かないという。

 下の写真は企業の発表記事の様で、二社とも提供された写真を掲載している。内容は、着火に力がいるため、子供の火遊びが出来難くなったライターを新発売する、というものだが、記事内容は余り同じ所はない。

 最近ではホームページに役所の発表記事が載る様になって来ているので、これから役所や企業の発表記事がインターネットで流される事になれば、これと各地で取材した記事をリーズナブルな価格で購入出来て、それらを組み合わせれば割安なインターネット新聞が作れたりするのではないだろうかと思ってしまう。
 

変化する時代の中で、菅民主党の経済・財政の方向を見極める

 世の中の価値観というものは日々変化して行くものである。
 昔、大物歌手の旦那だった人が女性のスカートの中を撮った写真集を出してベストセラーになった。
 所が、今日では極端な話がエスカレーターで手鏡を出しただけで捕まってしまう。

 インターネットの急速な普及で画像が不特定多数の人々に一斉に広がってしまうと言った時代の変化の影響もあろう。

 伝統や文化は守り続けて行かなければならないといった使命はあるものの、社会の変化に対応して、方法や考え方も変えて行かなければならないのも事実である。


 新聞を見ると、米国の国会議員が「中国政府は不当に人民元の通貨レートを操作し、経済の実勢より低く抑えているために中国製品の対米輸出を有利にし、米国の対中貿易赤字を膨張させ、240万人の失業者を生んだ」と非難している。

 誰だったか評論家が、「何で日本の円が高いのかサッパリ分からない」と言っていたが、日本の国会議員で「何者かが円を不当に操作して、日本の輸出を妨害している。これでは企業が海外に出て行ってしまい、税収が減るし、雇用も失われる」とか言ったりはしないものなのか。

 残念ながら、いつも選挙の事で頭がいっぱいですか。官僚は、狭く深くは知っているが、全体は分からないって、またここに突き当たるのか。

 専門家は、ギリシア危機でユーロが売られ、アメリカも良くない、中国は為替操作しているし、消去法で仕方なく円が買われている、とか言う。

 その点では、「もっと円安が望ましい。日本はヨーロッパやアメリカよりも大変な状況だ」という認識を表明した菅総理は評価して良い様に思うのだが。

マネーの循環で見る経済

  良く、国とかの借金がこんなに膨らんだのは、貿易黒字で貯まった資金を使う様に言って来たアメリカに責任がある様な事を言う人がいる。

 確かに貿易黒字を解消する様に内需拡大を要望したかも知れない。しかしそれがイコール建設工事を主にした公共事業に使う様に言ったという事ではない。

 その趣旨はカネを循環させるという意味である。カネが一ヵ所に貯まっていたのでは、世界の経済が回って行かなくなるからという理由だろう。グローバル経済だから、全体で回して成りたって行く必要がある。

 いかにしてカネを使い世界経済に貢献して行くかが問われる様な所がある。それなのに、鉄やコンクリートの資源は輸入するが、黒字の多くを国内で使用してしまったり、貯蓄してしまうのではカネが循環しないで、結果的にどこかに歪が出てしまう。

 その部分の理解が、どうしても日本の経済学者や政治家たちには今ひとつだったのだと思われる。島国で、世界各国にそれ程人々が住み着いていない国の人々であった所にその原因があるのだろうか。

 そこへ行くと中国は違っていた。世界中の様々な国々で土着している割合は多いし、カネを回す理解も日本よりしていた。
 中国は世界の工場と言われている様に、各国の企業を次々に国内に入れて来た。まあ日本とは土地や自然環境も違うので一概に同列の比較は出来ないのであるが。


 それでアメリカは、中に入れたがらない日本より中国の方が経済的には付き合い易く、経済を回して行くためには必要性が高いと評価したのだと思う。

 しかしそんな中国でも、ホンダの工場で賃上げストが起きている様に、インフレ、賃金上昇が起きて来た様である。
 これまで何故賃金上昇、インフレが起きなかったかと言うと、工場の労働者として内陸部からやってくる安い労働人口に安定的に支えられて来た事が、その理由だという。

 しかしいま現在では、景気対策で内陸部への公共事業に大きな資金を投入し(四川大地震などの頻発する地震復興も原因の理由だと思うが)、そこに労働力が取られるので、都市部に人が回らず、従って人手不足になり、賃金が上昇して行く、という現象が起きているという。

2010年6月10日木曜日

消費者としてのリンゴの研究

 今頃の時期になると、リンゴの「ふじ」の中に、表からは分からないが、割って見ると、中が悪くなったのが多く見つかるようになって来る。
 
 悪くなるというのは、果肉が茶褐色化してしまう現象の事を言う。以前は、「食べても問題ありません」とリンゴの棚に注意書きが表示してあったが、今は「取り替えます」と出ている。

 茶色くなるのにも、少しだけ全体的に茶色っぽくなるのもあれば、どうにもならない程にこげ茶になっているのもある。こうなると取り替えてもらうしかない。

 買う時にどうやって見分けるかというと、重さで分かる。他のと比べて重いと大概大丈夫だ。全体に果肉が薄茶に成り掛けたリンゴは、中には味が変わらない様なのもあるが、ほとんどが不味い。そしてスカスカ気味で水分が抜けている。
 こうなる理由は分からないらしいが、冷蔵の保存期間が永かったり、保存の温度の具合によっても違って来るのではないかと思われたりもする。

 リンゴの果肉は空気に触れると直ぐに茶色く変色してしまう。酸化作用なのだろう。皮に保護されたまま保存しても、長期間に及ぶと少しずつ空気が入り込んで酸化されてしまうのではないかと思う。

 こういうのがリンゴの抗酸化作用なのか分からないが、体内で人体に悪影響を及ぼすと言われている活性酸素と結び付いて、その影響を打ち消す効果があるのかも知れない。

 西洋では「一日一個のリンゴは医者を遠ざける」とか、「朝のリンゴは金、昼は銀、夜は銅」などと言われていて、それだけ健康維持には効果があるとされている様だ。

 店側が言うには、「表からは判断できない」との事だが、例えば、透明なビニールに包んで4個を纏め売りをしている内の1個が、悪くなっていたりする。「1個だけだから仕方ない」と諦めてしまったりするが、2個だったりして、それがとても食べられる状態ではないとなると、交換してもらいに行く事になる。

 その時店の人はわびを言って快く代わりのリンゴと交換してくれるが、この交換してくれるのが決まって一番美味しいのである。また値段の高いリンゴはこう言うのがない様で、みずみずしく美味しい。
 だから全く分からないという訳じゃないんだと思う。

2010年6月6日日曜日

フーテンの寅さんが悪い

 寅さんはずーっと結婚しない。マドンナと良い所まで行くんだけど、自分から身を引いてしまう。

 つまりいつも財布の中は空っけつで、妹に払ってもらったりしている様な自分と結婚しても食わせて行けない。だからいつも そこが壁になる。

 根が良い人だから、ほらでも言って誤魔化して結婚して、女房に働かせるなんて事も出来ない。このパターンが映画のシリーズ化と人気のためもあってか、国内で一般化してしまった感がある。

 今、働く男はこの格差社会で、正社員と臨時社員との賃金の差が、大きく開いてしまったままである。

 小泉内閣で、経済と金融の大臣だった竹中平蔵氏は「この賃金格差を埋めようと試みたが、組合と経営者側が一緒になって反対した」とテレビ番組で言っていた。

 低賃金の非正社員が増えても、女性がおカネは結婚に関係ないと思ってくれれば、結婚は出来るし、子育ても出来るであろう。

 しかしいま、収入の少ない男と結婚しても良いと思う女性がいるのか。広告宣伝で買い物癖を仕込まれて、親には小使いをタンマリ貰う事に慣れ、どうして節約生活や貧乏生活でも愛があればという気になれるのか。

 企業は、多くの消費者が低所得者に近づくと、売れなくなる物が出てくるから困る事もあるのだろう。だったら、格差社会をある程度認めて、余裕のない生活をしてでも、結婚をするべきだと教育する事だと思う。

 そうでなければ、カネのある人に複数の相手を囲う事を許可し、子供を持たせるようにするか、どちらか進めて行くしか道はないでしょ。

 子供手当とか保育園、保育所だけでは問題は解決しない。

 少子化対策が国の重要施策という割には、子供手当と保育所対策しか出て来ない。そこから話が広がって行かない。

 昔は「貧乏人の子だくさん」というのがあったが、世界が抱える人口爆発の難題は一人当たりの所得の低い国での問題なのである。

 今では、この国で子供を大学まで行かせるには大変なカネが掛かるので、教育の事を考えると子供をたくさん産めないのは当前の帰結だろう。
 最初の子供を大学に入れたら、二人目三人目は高卒で良いという訳には行かなくなって来るだろう。

 子供手当や保育所だけで、少子化対策にならないって事は言えるのではないだろうか。

 

総理になると初めて明かされるこの国の実情?

 テレビを付けると、「総理大臣が1年も経たない内に何人も辞めて行く様な状態は好ましくない。どうにかしなければならない」と出る人出る人、誰かの指示でもあったかの様に言っている。

 しかし皆どの総理も長くやろうと思ってなったのだとと思う。しかし、いざなって見て、この国の置かれた極めて困難な事態が、まざまざと分かったのだ。

 つまり総理大臣にならないと、この国の困難に直面している状態が分からないという事なのだろう。

 だから、総理になってから気が付くのだと思う。そして「私ではとても力量不足です」という事で辞めて行く。この事は全く自然な成り行きで、総理以外の他の人間のほとんどはそんな事とはつゆ知らず、何ですぐに辞めてしまうんだ、情けない。もっと続けないと、外国に対して恥ずかしい、などと言っている。

 今その地位になるという事は、楽な国家運営の時に総理大臣になるのとは違い、倒産寸前の企業の社長に就任する様なもので、自分の時に倒産したら困ると誰もが思っているのだろう。
 ある日突然会社が倒産し、従業員は全くそれに気が付かなかった。そんなのと似ているのかも知れない。

 何故上の方は、会社の危機を従業員に伝えて来なかったのか。それは仕事をする上で、いらぬ心配をさせたくはないというのもあるのだろう。また歴代のトップの犯した失敗が表ざたになるという事もあるのかも知れない。

 しかし、皆が危機意識を共通して持てば、従業員も倒産はしたくないから、頑張って働くかも知れないのだ。不安になって辞めて行く事を心配するよりは、より以上の力を発揮する事に期待した方が良い様に思う。

 まあ、そんな事を妄想してしまった。

 良く、「将来に不安を持っていては、消費も思う様に出来ない、だから政治家には安心出来る様な制度を作って欲しい」と聞く。そんなものは出来ないから、皆苦労している。分かりましたなんて言うやつは詐欺師に近いよ。将来に何が起こるかは分からないのである。
 ただ言えるとすれば、難局を乗り切れる人材を育てる事ではないだろうか。


            < さて、>
 いま新しく総理大臣になったK氏はある誘惑に駆られている。37兆円の税収で、92兆円の支出がある国家財政で、この先さらに支出は膨らみ、国の累積赤字も900~1000兆円になる状況である。

 こんな状況で、もうこうなったら印刷機でおカネを刷って、返済に充ててしまおう。日銀はそんな事をしたら、金融システムが崩壊してしまうかも知れないと、必死に堪えているのだが、赤字は止めようもない。
 支出を削減して赤字を止めようとすると、それで生活している人達が、職を奪われる事になるので猛烈に反対する。つまり傷みを伴うのだ。

 だから誰もが、手を打たない。だからこのままでは、自然に国家が崩壊するのを待つしかないのである。崩壊すると、経済連鎖が起こり、他の国へ大きな影響が出る事も考えられるので、アメリカはそれを予測して中国にシフトしている。

 ただ米軍は退かない。何故なら、仮に日本が近い将来に崩壊したり、混乱を来したりした場合、その混乱の中で蜂起が起きたりすると、米軍が出動する必要に迫られる事態が起こる事が想定されるからである。

 残念ながら民主主義の世の中にあっては、自然崩壊以外に思いきった手を打つ事は中々出来ない。誰かが手を売って犠牲が出れば、マスコミや世間が大騒ぎして、犯人を吊るし上げるからだ。

 こういう世の中では、誰も手を打てなくなって、自然崩壊で大きな犠牲を払うしかなくなって来る。そうなれば、誰のせいでもなくなる訳だ。

 これだけ平等主義が広がり、しかも裕福な平等主義である。稼ぎ出す能力以上に裕福な生活を、借金でしてしまっているという現実を誰もが理解していないかの様である。

 

2010年6月3日木曜日

「信頼はしても信用はするな」というフィルターを通した情報収集

 リンゴの「サンふじ」を買おうと思って、店に言った。

 「これサンふじですか?」と聞いたら、「『ふじ』とあるから、サンふじですね」と言うから、「ふじとサンふじの違いは分かりますか?」と聞いたら、少々お待ち下さいと言って、担当者を呼びに行った。

 その担当者が言うには、「もうこの時期(5月)はどこも置いてないですね。あれは袋をかぶせないんです。蜜が入っているのから持ちが悪いので、今の時期まで持たない」と言う事だった。

 で、違う店に行ってみた。そこでは「いつもは5月くらいまで置いているんですが、今年はもう終わりですね。蜜が入ってないのもありますよ」と言った。

 その次の店は「サンふじ」が置いてあった。「冷蔵してあった」と言って、ふじも一緒に並べてあった。


 このように専門の担当者でもそれぞれ言う事が違っているのである。これは一つの例で、どこの分野でも専門家と称する人に意見を聞いたりすると、多少なりとも違う場合がほとんどである。

 事実関係ですらこれほどに違うのだから、状況判断ともなれば、もっと違いに開きが出て来てしまう。
 Aは「大した事ありません」、Bは「大変な事になっています」、Cは「事態はすぐ治まります」、Dは「長期化しそうな気配です」と、みんなその事態に対しての印象が違う。それでは自分で行って、状況判断をして来ようとか、他の様々な手段を用いて、最終的な判断を下す事になる訳である。

 人を読む、数字を読む、流れを読む、目に入ったものを読む、一つ一つの情報を読んで判断をし、最終的な結論を下さなければならない。
 こうした手続きを踏まないと、より好ましい結果を引き出す事は難しい。

 このやり方は、大体何にでも応用できるのであって、基本はこうしたやり方しかないと思われる。政治判断にしても、研究でも、取材でも、捜査でも、ありとあらゆる事に、情報を精査し、様々な角度から検討を重ね、いかにして真実に近づいて行くのかである。

 一人の人に聞いた事をそのまま鵜呑みにしてしまうと、その人が得たある部分的な偏った情報だったという事や、本人の勘違いや単純な誤りだったり、情報操作がされているなど色々な場合があり、正確な情報は伝わらないのがごく普通である。

 「信頼はしても、信用はするな」という言葉があるが、一人の人からの情報のみを信用して、それが仮に違っていたからと言って、裏切られたと思うのはお角違いである。
 人間には、間違いは付き物である。ウソを言おうと思わなくても、間違いなんて日常である。それを織り込まないのは、本人の力量不足という他はないのだ。

辞任後の記者会見で

 いやー、驚きましたねぇ、H総理には。三者会談が終わって部屋から出て来た総理がニヤッと笑って親指を立てたポーズを取った。

 それをテレビで見た視聴者は「続投で行くのか」と思った訳である。何度もその部分だけがテレビで繰り返されていた。

 その事を辞任後の会見の時に記者が聞いたら、「親指を立てたのは、心をいっさい出さない(辞任を悟られない)様に嘘を言った」と言ってた。


 うっそー、「国民が聞く耳を持たなくなって来た」とか言ったよねー。


           <H 総理の謎とき>

 「気持ち(心)は正直なんです。でも、喋るとみんなウソになっちゃうんです。」
 これがキーワードだったのか。

 と言うことは、もしかして腹案なるものは「普天間」だったのか。
 気持ちは普天間の現状維持だったのか。「最低でも県外」、辺野古案、徳之島案はみんなウソだったのか。

 結果的には普天間の現状維持になっちゃったよね、これって最初から狙っていた訳じゃないでしょ、いくらなんでも。

 まさかねぇ、「結果的にこじれちゃった」というのが本当のところでしょ。

リーダーの責任とは

 ある町が、丘陵部を開発し、人口がどんどん増えて行った。人口が減って行くより、増えて行く方が好ましいと皆思う訳である。

 しかし住民が増えて行くと、住民サービスも必要になって来る。例えば保育園、幼稚園、小中学校、公民館、上下水道、道路整備など様々な費用が掛かる。

 その町に大きな工場でもあれば、税金がドンと入るから、お金持ちの自治体になるが、そうでないと、自治体の持ち出し分が多くなってしまう。
 それらの分は、国からの交付税で穴埋めして財政が回って行くのだが、全部が国の補助金で出来る訳ではないので、自治体の起債(借金)も含めた持ち出し分は、当然の事ながら増えて行く事になる。

 そしてついにある日、地元にあった中堅どころの企業も、国内にあっては人件費や税金の総額が大きすぎて、国際競争に勝ち残れないという事で、海外に移転してしまった。

 そうなれば自治体は、その分の税収が入らなくなり、かつ住民の雇用の場も失われるで、不景気の時代に失業増と税収減のダブルパンチに見舞われる。

 これまで来ていた国からの交付税にしても、国自体が世界一の借金を抱え込んでいるために、次第しだいに減って行かざるを得ない。

 もはやこのままでは財政運営に困難を来たし、夕張市の様になってしまうと歳出削減に乗り出さざるを得なくなった。

 そこで市長の出して来た案が、多額の維持費が掛かっている町の文化ホールの長期休館、町職員の給料カット、市民税の増税だ。

 
 日々の新聞を見ると、国内企業がどんどん海外へ工場を移転しているし、「これからは世界の工場である中国が、日本よりも重要だ」とアメリカは言うし、日本は国の借金と老人しか残らなくなってしまうのだろうか。このままで行けばの話だが。

 こうした導きの結果を出すと、どこかの方から「お前は悲観論者だ」と言われる。直接は言われないが、僕を取り巻く工作員方々がつぶやくのが聞こえる気がするだけだ。

 多分彼らは、楽観主義者になって笑って過ごせば、そのうち神風が吹いてどうにかなるさと思っている感じである。

 若い人や若い従業員では、それも仕方ないと思うが、少なくともリーダーとしては無責任と言える。