2010年3月16日火曜日

実社会で役立つ教育とは

 新聞を読んでいたら、「もっと実社会で役立つ教育を学校に期待する」といった内容の事が書かれていた。ある企業の相談役へのインタビュー記事だった。

 学校の教師は、そのほとんどが民間企業という実社会での経験がほとんどない。だから受験勉強を経てから大学で学び、そこでのやり方を生徒に教える事になる。
 この受験型の勉強が行き過ぎると、受験テクニックを教えるだけの教育になって仕舞いがちで、そこには社会に出て役に立つような考え方がそれ程ある訳でもなく、優れたアイディアが生まれるものでもなく、事務処理的な仕事を上手くこなすのには適している程度の勉強と思える。

 この様な事務処理的な仕事の能力は、今日ではコンピューターが発達したお陰で余りその必要性は高くなくなって来ている。それでもなお相も変わらずに時代の要求に対応し切れないで、従来の事務処理型の教育を受けた社会人を大量に世に送り出している今の現状は、問題の解決能力が低く、先延ばししてしまいがちで、借金を大量に抱え込んでしまっている現在のこの国家を生んでしまった最大の原因と言えるのかも知れない。

 単に表面的な事を覚えるだけの教育では、今日この国が断行して行かねばならない様々な問題を、解決する方向に導いて行く人々の出現を期待する事は出来ない。
 一般企業という実社会での経験を持たない現実感の薄い教師がその頭で作り出した問題を、教師に気に入るような形で答えを生徒が答案用紙に書いたとしても、その問題の解釈なり捉え方、あるいは解決策が実社会で活用出来るとは中々思えては来ないのだ。

 
 記事の終わりに、「日本のように資源もなく、少子高齢化が急速に進む社会では、個々人がパワーアップし、技能や知識を高めて行かなければならない」とある。
 資源がなく、ハードやソフトの作ったものを他国に売って稼ぐしか方法はないのに、その事を実感が出来る程に理解し得る公務員や教師がどれ位いるのかを考えた時、中々この国の超えなければならないハードルは高いと思わざるを得ない。