2009年10月30日金曜日

こっちが新都心の夜景


 さいたま新都心駅とスーパーアリーナの夜景

「新都心の夜景」っていうか


 さいたま新都心の夜景っていうか、ロッカーだろ。

2009年10月29日木曜日

東京都水道歴史館(文京区本郷)で水を考える




 東京都では、ペットボトルの「東京水」を販売している。500mlが1本100円(税込)だ。販売場所は都庁舎内の他、上野公園や東京ビックサイト、東京駅の「東京みやげセンター」あるいは都立病院の売店などになる。
 水は葛飾区にある金町浄水場の水道水を使っている。でも、最終段階で入れる塩素はペットボトルに入れる前に抜いてある。
 この浄水場ではオゾン処理や生物活性炭吸着処理を行う「高度浄水処理」を取り入れているために、通常の施設よりコストは掛かっている。

 都はこの高度浄水処理した水を、利根川水系と荒川水系の浄水場で平成25年までに100%供給出来るように計画を進めている。
 東京の水道はほとんどが河川から供給され、その内訳は利根川水系・荒川水系が78%、多摩川水系が19%である。話題の八ツ場ダムが出来ると80%になる予定だったという。

 現在の状況が本当に八ツ場ダムからの水の供給を必要としているのだろうか、あるいはもっと他に方法はないものか、事業の進捗状況や費用などと付き合わせながら税金を払う国民の意見も聞く事が必要になると思う。

 近年、ゲリラ豪雨や都市型災害がクローズアップされて来ているが、地下に大規模な貯水池を造ることも大事かと思うが、各家々で貯水するバケツや桶やもう少し大きなものを用意して一時的に貯めて置いたり、それを掃除や植木の水に使ったりするだけでも随分と違って来るのではないかと思う。

 もしかすると都は水の輸出でも企んでいるのではなかろうか。昨今は世界的な水不足の時代がすぐそこまで来ていると叫ばれている。そして中国では水を求めて日本で採掘場所を探しているとの新聞記事をついこの間見た覚えがある。

 そうした事情を見越してのダムの建設かどうかは、知る由もない。  


2009年10月27日火曜日

81兆円もが市中に出回っている(日銀の本店見学)



 という訳で、日銀本店の中を見学して来た。そうはいっても、本店は本館・旧館(東側)・新館(北側)に分かれていて、中を見る事が出来たのは明治に建てられた本館のみだった。
 実際に業務をやっているのは新館の方で、本館での業務は行われていず、過去の建築遺産を見学しているという感じだった。
 ガイドの方は関東大震災でもビクともしなかったと言っていた。何か表面は石造りで頑丈で重そうな印象があり、この日本橋は江戸時代には海に近かった事でもあり、埋立地ではないにしても地盤がそれ程良さそうにも思えないのだが。
 というモヤっとしたものがあり、ちょっと調べてみた。日銀のホームページを見ると、こう出ていた。「当初は総石造りの予定だったが、明治24年(1891)の濃尾大地震の被害状況から地震の多い日本では欧米の様な総石造りは適さないと判断し、積み上げたレンガの上に外装材として石を積み上げるという方法に変更し、建物の軽量化を図った。石の種類は地下1階と1階が厚い花崗岩、2階と3階が薄い安山岩」。
 さて日銀の業務についてだが、その主なものの一つに金利政策があり、金利を上げ下げする事で物価の安定を図っている。
 以前は公定歩合の上げ下げによって調整を図っていたが、金融の完全自由化以降はオペレーション(公開市場操作)という方法で調整している。これは短期金融市場で民間銀行などから国債を買う(正確には、国債を担保に現金を貸し出す)操作により金利を下げたり、逆に国債を民間銀行に戻す事によって金利を上げたりしている。
 つまり、日銀は例えば市中に資金が不足して来たと判断すると国債を担保に各金融機関に資金を貸し出して、資金不足の解消を図り、反対に資金が増え過ぎたと思った時には国債を銀行などに返して現金を引き取る、といった事をしている。
 またこの他にも、市中に出回っている紙幣は日銀に戻って来た時点で、古いものを破棄し、新しい紙幣と交換する事も行っている。                                
 交換の目安は、1万円札が4~5年で、千円や五千円札は1~2年という。
 そして今時点で市中に出回っているカネは81兆円で、年々増加傾向にあるという。


2009年10月26日月曜日

国家財政を自分なりに検証



 以前から、一部の政治家や評論家とかが「国の借金は個人の借金と違い債務なんだ」と言ったり、「国家財政は家庭の収入とは違う」という言い方をして来た。
 またこうも言っていた、「国はいくら借金しても潰れない」、「国の借金は日本国民からの借金で、外国からではないから大丈夫」と。
 どこが違う所なのかな、国と家計って?増税が出来るという事なのか。確かにサラリーマンが、借金が増えたから給料上げてくれとは言い難い。しかし増税した所で、当初の一時期は良いかも知れないが、消費税、法人税が、そして所得税が上がれば景気は冷え込むし、税収は減るし、失業者は増える可能性が出て来るので難しい面もある。
 さらにはこんな言い方もされたりする、「国などの借金が増えて財政が悪化するというのは、すなわち子や孫の代になって負担が増えるという事ですからねぇ」などと。
 でもそれを言ったら、子や孫から、更に孫そして曾孫となって、そのまた子供と永久に借金を先送りして行けるという事にもなり兼ねない。そうなると、まるで恰もネズミ講国家の様な呈を為すと言えなくもないのだが、しかしそこに行くまでに立ち行かなくなるのは明らかだ。
 上の図を見ると、歳入の円グラフの中で「その他」の項目がある。「租税及び印紙収入」の中の「その他」の部分は大体分かったが、もう一方の「その他収入」の9兆1510億円の内訳が、いまひとつ調べた中ではハッキリしなかったので、これから他の資料も当たってみようと思う。


 

2009年10月25日日曜日

国民貯蓄が1500兆円の本当


 しばしば、我が国の財政赤字を論じる時に、例として持ち出される事が多い数字に、日本の家計の金融資産を合わた1500兆円というのがある。

 この数字が、何か国家の借金の歯止めの目安になっているかのような言い方をする経済評論家などが時々いる。そしてこう続けて言う、「国や地方の借金は900兆円を超えると言われているが、国民の貯蓄は1500兆円あるので、そこまで借金が大きくならなければ大丈夫だ」と言ったり、「国債はほとんど日本人が買っているので、仮に国債が暴落しても日本人に迷惑かけるだけで、外国人には迷惑かけないので国の信用は保たれる」と言う人もいる。
 こう言う人達の言い分の論理性や正当性はどの程度なのか、ちょっと検証してみよう。

 先ずはその1500兆円という数字の出所はと言うと、日銀が出している「資産循環統計」になる。その内訳はどんなのかと言うと、現金・預金・国債・社債・株・投信・ゴルフ会員権などになると言う。
 しかし2007年度末には1,536兆円だったものが、2009年度末には1,410兆円になってしまった。これは株価が大幅に下がった事が原因だ。
 また1500兆円の中には企業年金や国民年金の分にあたる397兆円が含まれている。これらは純粋な貯蓄とは見なさない方が良いと思われる。

 だから1410兆円から年金準備金の397兆円を引き、さらには住宅ローンの負債(民間金融機関153兆円、公的金融機関35兆円)188兆円を引く事になると、合計825兆円となる。

 「1500兆円、1500兆円」と言っていたのは、実際には825兆円だった訳だ。つまり国や地方の借金の合計は、もう国民の貯蓄の合計を超えている可能性が大なのである。   (つづく) 

2009年10月24日土曜日

国債発行の限度額を探る


 最近、民主党に政権が代わって、組んだ来年度予算の概算要求が95兆円を超える額だというので、マスコミなどが大騒ぎしている。
 この額は自民党政権時に組んだ、今年度の当初予算額88.5兆円を大幅に増額している。そして税収が増えていればまだしも、景気の悪化で今年度のは40兆円を切ると言われている。
 差し引いた55兆円は国債発行という借金で穴埋めする事になる訳だが、この国債の累積赤字つまり国の借金は、2009年度末で607兆円になる。それに地方の借金が合わさると804兆円という額だ。その他財投の国債残高123兆円が加わると927兆円になる。
 これじゃあ、印刷局もお札や国債をじゃんじゃん刷らなければならず、忙しい訳だ。

 でも素朴な疑問として、収入もないのにただの印刷した紙をどんどん刷っちゃって良いもんなのだろうかと思ってしまう。いや、ただの紙ではない。国の信用紙幣だ。でもそんなに刷ったら、信用されなくなったりはしないのだろうか。
 
 例えば単純計算で、市中に出回るカネが倍になったら、カネの価値は半減するのだろうか。高度経済成長している時期ならそうなるかも知れないが、現在の様な経済の成熟した社会となっては、そう旨くは行かないのではないかと思う。
 貨幣への信用が失墜してしまい、国の将来性への失望が加わり、それでは済まなくなる可能性がある気がする。
 
 何でこうも、毎年のように借金が膨らみ続けて行かざるを得ないのかというと、たぶん世の中の価値観の第一位がカネで、そのカネでしか人々は動かず、付いては来ないからだと思う。だから人を纏めよう、従わせようとするにはカネをばら撒かねばならず、選挙に勝とう、人を付いて来させようとするとどうしても予算を付けざるを得なくなって、その結果、借金は雪だるま式に増えて行ってしまう。

 どこかの政治家が、言葉だけで人々を纏めて付いて来させようとしても、中々それは難しい。人々は、思想・心情・哲学で動くよりもカネによって動くからだ。そうした社会の価値観が出来上がってしまっている。だからその価値観を崩さない限り、根本的な解決策は見い出せないのではなかろうか。    (つづく)

2009年10月22日木曜日

今年度に発行される日本銀行券16.8兆円(日銀へ行って来た)


 JR王子駅から近い所に印刷局王子工場はあった。門の外から中をちょっと覗いて、守衛さんに「工場見学は出来ないか」と聞いてみた。すると、「ここは出来ないがもう少し駅の方へ行った所に印刷局の展示室がある」という。また「滝野川工場では見学が出来たが、今は工事中である事やインフルエンザなどの理由から中止になっている」ともいう。
 そんな訳で、先ずはその展示室へ行ってみた。小ぢんまりとした所で、余り知りたいと思う様な事は展示されてなかった。
 「お札って一年間でどの位の金額が刷られているんですかねぇ。何か資料はないですか」と聞いたら、「日銀がどうのこうのフムフム」とか言われたので日本橋にある日銀まで行ってみました。
 団体見学のバスとかが停まっていて、守衛さんに聞いて中の受付に行ったが、いま申し込んでも一週間後だという。
 折角来たのだからと、聞きたい事を幾つか質問してみた。
 滝野川の印刷局で刷られたお札は、日本橋の日銀へとやって来る。そのお金は各銀行などの金融機関へと貸し出される。一方で銀行などは国から国債を購入していて、その国債を日銀に買い取ってもらって、引き換えにお札をもらう、といった流れですか?と聞いたら、そんな事をしたら日銀に国債がどんどん溜まって行ってしまい、幾らでもお札を印刷出来てしまうので、法律で禁止されているという事でした。
 じゃあ国債はどこに行っちゃってんですか?と聞いたら、オペレーションといって数日とかの短期に日銀と金融機関との間で国債をやり取りして、日銀に留めて置かないようにしているとの事だった。
 「それって日銀と金融機関で共同で持ち合っているって事じゃないんですかね。」とチョロっと突っ込みを入れた。
 結局お札を刷る総額ははどんどん膨らんで行ってるんじゃないでしょうかねぇ。国や地方自治体の借金が増えている訳ですから。
 ちなみに財務省の発表では、平成21年度の日本銀行券の製造金額は16兆8400億円になるという。     (つづく)

 

悲しい出来事(交通事故)


 道路脇にこういう花束を時々見掛ける事がある。どなたか交通事故で亡くなられたに違いない。悲しい出来事だ。
 何時だったか大通りの交差点で、帰宅途中の女子高生が左折してきたダンプカーに自転車ごと巻き込まれて亡くなられた事があって、新聞で知った。その後にそこを車で通りかかった時、交差点の角に花束が立てられていた。「ここの所で…」とご冥福を心の中で思った。
 またある時は、雑貨店向かいの塀の傍に花束が添えられていたので、まさかこんな所でと伺った所、孫を自転車の荷台に乗せたまま買い物をしていて、その自転車が何かの拍子に倒れ、そこに運悪く車が来て轢かれてしまったのだという。誠に痛ましい事故で言葉もなかったが、どうして荷台に乗せたままにしたのか、どうしてスピードを落として通過出来なかったのか、それぞれに自身を責めた辛さにもまたやり切れない思いがした。
 そしてこの事も忘れられずに心に残っているのだが、ある時良く通る道路の道端に花束が立てられていた。それは通る度にかなり長い年月続いていた様な印象だった。その事がいかに悲しい事であろうと、ある時点で区切りを付けて現実に立ち向かって行かなければならないと思うのだが、その辺が難しいのかそれとも立ち直って生活しているのか分からないけど、どうなんだろうとその花束の傍を通り過ぎる度に思った。
 それから大分してから花束は見られなくなった。その事も忘れていた。そんなある日、花束のあった近くに「ひこうき雲」という店がオープンした。すぐに思い浮かんだのはユーミンの歌詞だった。あそこで亡くなったのは幼い子供だったに違いないと思った。
 事故に遭った幼い子供、長く続いた花束、ひこうき雲の店、それらが頭の中でしっかり結び付いて忘れられなくなってしまった。

透明ガラスと虫や鳥


 電話ボックスの中で、蝶が羽をバタバタさせて外に出ようとしていた。たぶん下の隙間から入ったのだろうが、出ようとしたらガラスが邪魔して出られないで、ちょっとパ二クったりしている。
 透明なガラスが見えなかったり忘れたりして、当たってしまう事は人間でもある。でも人間にしても、仮に虫のように小さくて大きなガラスに初めて遭遇したとしたら、何が何だか分からずに慌ててしまうに違いあるまい。
 以前、家の中に入り込んで来た雀を外に追い出そうとした所、逃げようとして透明なガラス窓にぶつかってしまった。そんなに強くは当たらなかったと思ったのだが、気絶でもしたのかと推測したのとは違って、手の中で目を閉じたまま固くなってしまった。たぶんショック死だと思う。
 またある時は、京都のとある庭園でガラス越しに庭を眺めていた。外では鳥がさえずりながら飛び回っていた。その時、ガラスにその鳥が当たった様な音がした。ははー、ガラスが見えずにぶつかったんだなと直感した。
 その方向を見ていると、暫くしてまた鳥がガラスの方へ飛んで来た。すると今度はガラスにぶつかる直前でほとんど直角に下へと降りて衝突を避けたのだった。この鳥は学習したと思った。しかもミスした直後に練習をしてる訳だ、忘れない内に。これが凄いね。
 東北大学の構内のカラスは固い殻の実を車に轢かせて食べるというニュースをいつぞや見たが、鳥にも中々なのがいる。

 

2009年10月21日水曜日

都電と再開発ビル


 都電荒川線が広い信号機のある道路を横断する所。建設中を含めて再開発のビルが立ち並ぶ奥に見えているのがサンシャイン60。

首都高


 首都高池袋線の4本の高架道路(真ん中の上に良く見ると一本ある)が収束する向こうには、東池袋のインターチェンジがある。

 左に見えているのはサンシャイン60。

対角線の歩道橋


 高速道路の下にある対角線に渡した長い歩道橋。余りに長いんで、途中に支えを置いたという所か。

火災報知機


 「えっ、こんな道端に火災報知機が…」と思ったら、今は使われていないと書かれていた。何でも電話が使われ出してから廃れていったという。
 街角の屋外博物館でした。

団地と布団干し


 天気の良い日の布団干し、気持ち良く寝られるよね。でも、もし団地の高い階から落ちて来たりでもしたら、恐いな。風に煽られて道路の方に来ないとも限らない。ちょっと思ったりもする。

団地と車庫


 都営三田線の西台駅に隣接する団地の1Fは車庫になっていたが、車ではなく、電車の車庫だった。

2009年10月18日日曜日

隅田川と堤防





 この川の堤防はコンクリートの壁になっている。台風などの大雨で水嵩が増えると、赤羽にある岩淵水門が閉じられて、北東を流れる荒川放水路の方に流される。

2009年10月17日土曜日

月と都電


工場萌え






子供たちの遊び


 子供の頃は良く走り回って遊んだりした。中でも遊びのルールを決めるのが好きだったな。

 心に残っているのは、近所の寺の賽銭箱があって、その一段低くなった幅の長い階段の一枚板だったかが敷かれた所で、何メーターあったろうか片方の端にビー玉を置き、もう一方の端からそれを当てる遊びがあった。

 投げたビー玉が当たらなかったら、的を置いた方の人に取られる。逆に当たれば何個かもらえる。その置く位置が、当て易い場所と、割れ目が盛り上がったりして当て難い場所があり、それによって当たった時のもらえる玉の数を両者が相談し合って決めるのだ。

 例えば当て易い所は5個、当て難そうな所は10個と決めて、もし一投目で首尾良く当たれば5個もらえるし、当たらなければ転がして向こうへ行った分は摩ってしまう訳だ。

 今ではこういう遊びはご法度になったらしいが、僕としては学校の勉強より貴重なものを得た様に思う所がある。何か交渉術みたいなものや読みの勉強になった気がするのだ。

都市近郊の家庭菜園


 結構、農地を借りて、野菜とか作っている人が最近増えている様だ。時々畑仕事をやってる人に道を聞いたりするけど、「この辺の人間じゃないから分からない」と言われる事が割とある。

2009年10月15日木曜日

蜜柑の舞台その3


 
 「蜜柑」の石碑が、吉倉町の線路側にある吉倉公園にある。しかし吉倉公園はJR横須賀駅から鎌倉方面へ一つ目のトンネルを抜けた所にあり、小説では二つ目以降のトンネルを抜けた所の踏切である事は明白なので、作品の舞台になった踏切はここの小さな吉倉踏切ではない。

 二つ目のトンネルを抜けた所に二車線幅の踏切があり、それより先へ行くと田浦駅になってしまうので、この「田ノ浦踏切」が小説の中の踏切番がいた踏切になる。 

 この踏切の近くには、今では安針台に移った創立百年以上経つ長岡正小学校があって、近辺には貧しいというか藁葺きの町並みがあったという。




 
 

 
 
 
 
 
 

「蜜柑」(芥川龍之介)の舞台(横須賀と横須賀線)その2




 彼らは一斉に手を挙げて、喉を高くそらせて一生懸命に喊声をほとばしらせた。その瞬間、窓から半身を乗り出していた娘が、「あの霜焼けの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかりの暖かな日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へぱらぱらと空から降って来た」

 主人公は一瞬のうちに総てを理解した。小娘はたぶんこれから奉公に行くのだろうが、わざわざ踏切まで見送りに来てくれた弟達に蜜柑を投げたのであろうと。

 彼はこの蜜柑に感動したのであった。弟たちは家を出る時に送って、さらに汽車を見送るために踏切まで来て列車が来るのを待っている。十三四の姉はその弟たちに、本人が食べるようにとでも親から渡された蜜柑を、全部弟たちに投げ与えてしまった。こういう子供の心に感動したのである。

 子供たちの心がこの投げられた「暖かな日の色に染まった蜜柑」に象徴されている。貧しくみすぼらしい生活の中でも、こうした純真な姉や弟を思う美しい気持ちがあり、主人公つまり作者は現在の自分の、雲に覆われた暗澹たる憂鬱な日々の中に、一瞬でも鮮やかな蜜柑色の太陽を垣間見た思いがしたのであった。

 彼は前の席に戻った小娘を、まるで別人を見るように注視した。そしてこの小説は「私はこの時はじめて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れる事が出来たのである」という文章で閉じられている。


 

2009年10月14日水曜日

「蜜柑」(芥川龍之介)の舞台その1












 「或る曇った冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下ろして、ぼんやり発車の笛を待っていた」

 これは芥川龍之介の短編小説「蜜柑」の冒頭である。

 主人公は作者自身である。勤務していた横須賀の海軍機関学校から鎌倉の下宿まで帰る途中での出来事が書かれている。

 その後の文章も薄暗いプラットフォーム、どんよりと曇った冬空、主人公の言い様のない疲労と倦怠感、檻に入れられた犬が時折悲しそうに吠えているのが、まるで自分の心境を映す様だとか暗く沈んだ描写が綴られて行く。

 そして発車の笛が鳴っていま汽車が動き出そうとする時、車掌の声をふり切って十三四の小娘が慌しく乗り込んでくる。彼の前に座ったその娘は、気持ち悪いくらい赤い皸だらけの頬をし、下品な顔だちで、服装も不潔でいかにも田舎者といった風で、三等の切符で二等に乗り込む愚鈍な所も腹立たしいとけちょんけちょんにけなしている。

 さらに陰鬱な描写が続いた後、おそらく二つ目のトンネルに差しかかろうとする時、突如と小娘が動き出す。

 彼女は立ち上がり、主人公の座っている側の窓を下ろして開けようとする。そして丁度トンネルに入ると同時に窓は開き、そこから煙がどっと入って来てハンカチを顔に当てる暇さえなく彼は顔面に浴びて、咽喉を害していたので息もつけない程咳き込んでしまう。

 小娘はいっこうにお構いなく、窓から首を出してジッと汽車の進む方向を見やっている。彼は叱りつけてでも閉めさせようと思う所だったが、それより前に列車はトンネルからもう出ようとしていた。

 そして場面は「枯草の山と山との間に挟まれた、或る貧しい町はずれの踏切に通りかかっ」た。近くには見すぼらしい藁や瓦屋根の家が建てこんでいて、踏切番のうす白い旗がおぼろげにうす暗い景色の中で揺れている。

 主人公は䔥索とした踏切の柵の向こうに三人の男の子が目白押しに立ち並んでいるのを見た。 (つづく)



 

2009年10月10日土曜日

夕焼けの新都心


 前の写真とは逆の位置からのショット。右がさいたまスーパーアリーナで、左がドコモビル。



新都心の建築物の織りなす構図


 左がさいたまスーパーアリーナの正面の一部で、電動ノコの刃を思い起こさせる右の建物がドコモビル。

プラスチックの劣化とブランコ










 
 今回の台風18号の爪痕だが、近くの児童公園の樹木でも太い枝が折られてしまい、実が地面に散乱していた。これだけ葉が繁っていると、風の抵抗をもろに受けてしまい、折れてしまったのだろう。
 何処ぞやでは、イチョウの木の下に銀杏の実を拾いに行って、その木が倒れて亡くなられた人もあったと聞く。思いもよらない事は時として起こる。
 公園の隅にブランコが、さすがに今日ばかりは静止して、所在なさげなように土台の鉄柱から垂れ下がっていた。その下の子供たちの足で削られた土の凹みには、台風の雨水が吹き飛んできた葉っぱと一緒に溜まっていた。
 近くに寄って良く見ると、座席はラバーのような柔らかいプラスチックで覆われ、その下に固いプラスチックがあるという二重構造になっていた。僕らの子供の頃は木で出来ていた。何時だったかブランコから落ちて、起き上がろうとした所、戻ってきた座席が頭を直撃して大変な目にあった事がある。
 その後、どこかで鉄製の座席を見た時にはゾッとしたものだった。今ではこんなプラスチックが主流になっているのだろうか。これなら当たっても安心だ。しかしプラスチックには劣化の問題がある。
 何年前だったろうか、プラスチック製のスキー靴の破損事故が話題になった事があった。古くなると劣化が起こって壊れるのだ。家の洗濯物を干すプラスチック製の洗濯バサミも、何年か経つとある日突然の様に、パチンパチンと折れていった。時期が来たら一斉に劣化したのだ。
 
 プラスチックの劣化は、木や鉄の様には目に見えないのが恐い。子供たちは勢いよくブランコを漕ぐ。その時にパリンとでも折れたら、大けがに繋がりかねない。二重構造になってる様なので、一方が切断されてももう片方が支えるといった、その辺の安全対策は万全なのだろうか。気になった。
 

2009年10月8日木曜日

首のない五百羅漢像(群馬県藤岡市の七輿山古墳で)







 七輿山古墳は藤岡市北西部にあって、鏑川と鮎川が合流する地点の舌状になった丘陵の先端部分より、一段低くなった所に位置する前方後円墳(145m)である。

 一帯は古墳群になっていて、南の方の白石稲荷山古墳(175m)からは過去に豪族の館を思わせる大きな家型埴輪が出土し、現在は東京国立博物館で展示されている。

 この七輿山古墳の細い道をのぼると、土が削られて平らになった所に五百羅漢像が並べられていて、そのほとんど総ての像で首から上が無くなっている。これまであちこちで、明治初期の廃仏毀釈によると思われる首のない地蔵や石仏を見た事はあったが、それも数体程度で、これ程の数のしかも総てに近い像の首から上の欠けたのは見た事がない。

 かなり徹底している。という事は、それだけ怒りや憎しみが強かったという表われと思えた。

 墳頂に上がるとそこにも大きな石仏等 が数体あって、同じように首から上が取られてしまっている。その大きな本尊の様な石仏と両脇の石仏も一様に東を向いていて、東には寺がある。下の五百羅漢も全部が同様に東の寺の方を向いていた。

 その寺の方では、古墳から掘り出された石棺があった。また境内に古墳の墳丘らしき盛土を削って一面墓石で覆っていた場所もあった。

 更によくよく見てみると、七輿山古墳がどう削られているかと言うと、古い鍵穴の様になった前方後円墳の後円部墳頂の上層部が半円分ごっそりとなくなっている。

 という事は古墳の石室のある場所を目的にして削られている事は明白であると言えよう。言ってみれば墓荒らしだ。どう考えても、現在の発掘の様に中の副葬品が朽ち果ててしまい、歴史的価値がなくなる前に保存をしようというのとは異なる。

 これだけ大掛かりに土を削り取って、五百羅漢像を置くとなれば、これらの像が作られた江戸時代に寺が行った事はほぼ間違いないだろう。そしてこれに怒った者が像の総ての首を欠いたと思われる。



 

2009年10月3日土曜日

キューポラの街だった川口駅からバスに乗っての出来事


 駅から幾つかのバス停を過ぎて、バスはある停留所にとまった。すると運転手が身を乗り出すように扉の外の誰かと話している様で、「後ろから乗って下さい」と言ったのが、最後部の席にいたこっちにも聞こえた。

 しかし聞こえなかったみたいで、前の扉を開けて同じ主旨の事を言った。そしたら若い男がそこから中に入って来てしまった。

 運転手は尚も説明し続けていたが、男は運転手の傍で動こうとしなかった。
 あれっ、ヤバッ。ちょっと普通じゃない男が入って来たと感じ、咄嗟に逃げ道確保の必要ありと思い、窓を確認したが何処も上の空気入れの小窓以外に開く所はない。

その時はじめて逃げ道を全く閉ざされた事を実感した。

 あいつが佐世保のバスジャック犯の様に、鞄の中から牛刀でも出して来るかも知れない。あるいは大分以前になるが、新宿バス放火事件があった。火災になっても中々窓は割れないかも知れない。

 皆知らない内に、新幹線や飛行機の様になってしまっている。

 こういう事まではその時には考えなかったが、男はイヤフォンを払うように外した。何だイヤフォンしていたから聞こえなかったのか、と一安心したが、尚も理解してなげで、少し間を置いてからやっと後ろから乗った。

 乗ってからも、カードをタッチした辺りを何かが書かれているのか、何度も顔を横にして、近視の眼を細める様に見ていた。どことなく変なやつだなと思った。

 その内こっちは席を前の方に移した。そしたら彼が降りる時になって、今度はカードの残金が足りず、小銭も持っていなかった。運転手は70円足りないと言っていたが、埒が明かずに次回乗る時に今日の分を払って下さいと言った。

 男は真面目そうな受け答えをしていたので、まともじゃないかと思った。そして「次回も乗るんでしょ、その時に70円余分に払って下さい」と言われた時に、「証明は」とか質問したのが耳に入り、意外と真面目じゃないかと印象が変わった。

 という事は、彼はイヤフォンを付けていた事はいただけないが、後ろから乗るバスを本当に知らなかったのだ。バスは前から乗るものだとばかり思い込んでいたに違いない。

 都内は一律料金だから前から乗るけど、他は一律以外が多いと思うから、後ろから乗るのが普通なんだけど。

おっ、高い。(大田区産業プラザで)


 美容技術コンテストの全国大会が開かれていた。すごっ、思わず大盛りパフェを連想。勝手に技術的な事を言わせて貰えば、高くなり過ぎてチョット曲がってる様なんですが、たぶん終了時間までには真っ直ぐになったんでしょ。

おっ、安い!(大田区蒲田の商店街)


 一枚10円かぁ、20枚買っても200円だ。大人買い出来るな。