2010年12月22日水曜日

奈良700万、江戸3000万、平成1億2000万、世界人口100億人へ

 日本の人口は奈良時代の17倍になる。当然世界の人口も鼠算的に増え続け、何年かすると100億人に地球の人口は達すると言われている。

 そうした時に、世界のエネルギー、資源、食糧、気候、環境、水などはどうなって行くのだろうか。

 資源不足、エネルギー不足、食料不足、温暖化、環境汚染、水不足などが相当深刻な状態になって来る事が予測される。

  
 報道によると、国土交通省は高度処理した下水をオーストラリアに輸出する計画をしているという。
 川や海に捨てていた処理水を、鉄鉱石の産地へ船を使って運ぶのだという。

 温暖化、異常気象、砂漠化で飲料水や工業用水が不足している国が増えているようである。

 いくら土地があって、工場を造っても、水が不足していては工場は動かない。

 だから、水不足の深刻化して来ている中国では、もはやそれ程工場は増やせないのかも知れない。
 
 将来は石油を運ぶタンカーよりも、水を運ぶタンカーの方が多くなるなんて事が起こるかも知れない。

 そうなると、いま問題になっている八ツ場ダムも必要性が出て来るなんて事にもなり兼ねない。





          
 このブログではこれらの事をテーマに取材を続けて行こうと思っています。




           ただ今、制作の途中です。

染まる雲、照らす太陽

骨組み、小枝、稜線



2010年12月21日火曜日

奈良時代の人口の続き

 ちょっくら大雑把な計算をしてみた。

 計算のもとになるのは、平安時代の「和妙類聚抄」だ。奈良時代と平安時代とでは200年位の差があり、郷自体もおおよそ同じとは言い切れないので、目安程度にしかならないと思うが、一応数字を出して見ると、次のようになる。

 国が全国に68ヶ国あり、郡が592郡あるという。そして郷は4026という。

 1郷が約1200人とすると、1200 × 4026になり、483万1200人という事になる。

 しかし、当時(律令時代)は奴婢と呼ばれる人達もいたりその他にもカウントされない人々もいた事が推測出来るので、その人達を加え、さらには大和朝廷の支配の及ばない地域にいた人達の事をも人口に入れるとなると、増える事になるので、600万とか700万人になるのではないだろうか。

2010年12月14日火曜日

奈良時代の総人口は700万人弱


東京都葛飾区にある「郷土と天文の博物館」へ行って来た。

ここは天文も目玉なのだが、もう一つの目玉があって、そっちが目当てだった。

何かというと、奈良にある東大寺の正倉院に、伝わる宝物の中に「養老五年(721年)下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」という文書がある。

その中に、大嶋郷が甲和・仲村・嶋俣の三つの里から構成されていて、それらを合わせた人口が1191人であると記載されている。

それ以外にも残されている奈良時代の戸籍の一部があり、平安時代の「和名類聚抄」には全国の郷が載っているから、それらから類推すると、単純計算で各郷が1000人位の人数とした場合、当時のおおよその人口が分かると考えられる。

しかし、戸籍にもれる人口も結構いたろうと思われるので、余り正確な所は分からない。

にも拘らず、専門家がもう少し高度な資料の付き合わせをして、当時の人口を推測した所では、当時の日本の人口は600万人とか700万人の間くらいではないかと考えられている。






素朴な疑問・・・本当に600~700万人分書いたのでしょうか。考えると夜も眠れなくなりますよー。











公営住宅の光と影

本体工事中は高いフェンスに覆われていて見えなかったのですが、完成間近になってそのフェンスが取り払われ、やっとお目見えしました。

ちょうど西日が当たって、陰影が印象的でした。


2010年12月13日月曜日

調神社(浦和)の十二日市とお化けやしき

この日は、いつもは車の行き交う旧中山道が、歩行者で賑わう道路になる。

そうすると、ゆっくり歩いて、隙間なく建ち並んだ露店の奥にある街道沿いの建物をじっくり見る事が出来た。

まだ所々に昔ながらの面影を残した建物があったりするのも風情が感じられる。



射的


落花生







お化け屋敷















熊手

2010年12月11日土曜日

大宮氷川神社の十日市(さいたま市大宮区)

 
 


12月10日に大宮の氷川神社の十日市(とおかまち)を終えると、次は浦和の調神社の十二日市になる。

両方の神社とも、古代の「延喜式」に出て来る由緒ある式内社だ。

古くから、年越しに必要なものとかを調達するための市が開かれて来た、その名残りでもあるのだろうか。

10日に大宮、12日に浦和と旧中山道沿いに続くので、8日に八日市がどこかにないかなと調べたが、そう上手い事にはいかなかった。

でも、県北部の神川町に八日市という場所があり、そこに延喜式に出て来る可能性がある神社があった。




縁起物の熊手が所狭しと並んでいる。




氷川神社参道の大ケヤキと出店



                 (更新2012.12.20)
 
 

2010年12月9日木曜日

この道は長そうだ


行くべきか、行かざるべきか。

車が来たら、逃げられないかも。

もしかして秘密基地が


「これは何ですか?」

「○○○。」

「ずいぶん大きな○○○ですね。地下に何があるんですか?」

「ちょっと言えない。」

「え、もしかして秘密の基地だったりして。」

何だろう、これは?


やたらとデカイ。

街中スナップ


奥から手前に緩やかな下り坂でカーブを描いている。

このカーブが渋滞の車列に奥行きを持たせて、ビルも斜めにポーズを取るかのよう。

ところで、手前のタクシーが変な所を曲がろうとしているのか、写真に撮られたくてわざわざ入って来たのか。





駅舎の天辺に何やら古めかしい突起物が・・・。






何故か後ろ姿で、二人でポーズ?でもないだろうに。

2010年12月6日月曜日

倒れてたまるか


どうだ‼

寺と銀杏プラス公園

古い寺には、大きな銀杏がある所が結構あります。











神社と絵馬と工場と駅と

 古い神社に行ってきました。

江戸時代の建物や寛政年間や文化年間の絵馬が掛けられていました。

神社の境内には、近所の高校生と子供と遊ぶ母親と端っこの方でゴルフの練習をやっているおじさんがいました。

















寛政年間に神社に奉納されたのでしょうか。








  中々見事な彫刻だと思いました。


















駅の傍には大きな工場がありました。




向こう側のホームの線路がなくなっています。