2009年12月17日木曜日

iPS細胞の研究と進化論

 京都大学の山中教授がテレビでこんな事を言っていた、「イモリとかは足が欠けてもまた生えて来る。所が人間はそうはならない。これは再生するiPS細胞が癌細胞と似ていて、再生し易い細胞が生命体の中で作られると、一方でそれは癌化し易い細胞の側面も持ってしまう」と。そして 「イモリの様に短い寿命の生命体であれば、癌化と再生のどちらがその生命体 に有利に働くかと言うと、再生の方が餌を採るなどの必要性からいって癌化の危険を差し引いても重要度が高い。一方人間はというと、寿命が長く、子供を自立出来るまで傍で育てなければならない。そうなると、例えば腕や脚の一部が失われた場合に、イモリと同じ様に脚が生えて来る方を取るか、生えて来ないで癌化の危険性を取り除いた方が良いかを考えた場合、もし生える方を選択すれば癌化の可能性も同時に抱え込まねばならなくなってしまう。そうなった場合、子育ての途中で死んでしまう事にもなり、子供の生命も危うくなり、死に至る場合も起こり得る。そちらのケースの方が片腕がないままで生きて行く事よりリスクが大きいとの理由から、人の場合では腕が再生しない方を自然淘汰の中で選択して行ったのではないか」といった主旨の事を話していた。

 腕の事は山中教授の推測である。実際に大昔に事故で片腕を失った人が、近代の様な医療技術のない中で、果たして腕の傷が治るものなのかどうか良く分からない。普通で考えると出血は止められたとしても、傷口は自然に治癒して行くものなのか、中々難しい様な感じがするのだが。
 例えば、手の小指を落として落し前を付けるとか聞くが、その後は治療せずに包帯でも巻いて置くだけで大丈夫なものなのだろうか。

 人間ではなくて、例えを小鳥にしてみよう。小鳥が片足を欠損した場合、その脚は生えては来ない。これをどちらが有利かのその理屈に当て嵌めてみると、ひな鳥の成長の期間を考えると癌化の危険性を選択しても片足が生えて来て、餌が採れた方が鳥にとっては有利な選択になるはずなのに、現実では小鳥の欠損した片足が生えて来る事はない。

 体の欠損部の再生はごく一部の小動物でのみ起こり得る事象であり、他には人間の歯が生涯二度の生え変わりなのに対し、鮫の歯は幾ら欠損しても生え変わるという。

 一般的に言えるのは、高等生物になると細胞のそして身体の組織の再生というは難しいという事である。それに挑戦する様な研究が、私の生きている内に何らかの成功の一部が見られるのかどうか難しい所ではあると思われるが、それはどんな研究にも言える事で、むしろ柔軟で絶え間ない研究努力をして行く事によって、他の副産物を生む可能性の方が歴史の中ではしばしば例が見られる。
 優秀な研究者であるならば余り一つの凝り固まった観念に固執しない方が、良い結果が生まれる可能性が高いと思われる。