2009年12月15日火曜日

国家破綻を視野に見据えて

 このまま行くと、今の金貸しシステムは崩壊せざるを得なくなって来るだろう。日本版サブプライムローンだ。税収がないのに、国はその何倍もの予算を使わざるを得ない事態になっている。正確に言うと、概算要求の95兆円に近い予算が組まれれば、収入に対して2.5~2.6倍の借金をする事になる。

 国の税収は、1987年に60兆円あったのが、2001年には47兆円、今年度は36兆9000億円の見通しだ。
 それと逆なのは国債の発行額だ。小泉内閣の時に30兆円を超える超えないで騒いでいたのが懐かしく感じる。今は44兆円を超える超えないで騒いでいる。
 そんな国の台所事情だというのに、脳科学者が忙しくて4億円の所得を申告し忘れたとか、一国の首相が9億円もらったのに気付かなかったとか、何とも国の体を為しているのだろうかとも疑ってしまいそうな事が多い。

 借金は永久に先延ばしにして行く訳にはいかない。どの時点かで返せなくなる時期が訪れる。その時にシステムが崩壊して行く事になる。日本版サブプライムローンの破綻である。これを放置すれば、あらゆる所のシステムが機能不全に陥ってしまう。

 金融システムの崩壊は多分こうだ。先ず国債が暴落する。買い手が付かなくなる。人々は先ずは先立つものは現金だと預金を引き出そうと詰めかける。銀行は用意がないから引き出しをストップせざるを得なくなる。

 混乱やパニックを鎮めるために戒厳令が敷かれる。そして政府による一時的な統制経済の状態に国全体が置かれる事になる。個人の引き出される紙幣は一定額に制限される。
 中小企業の倒産は増発し、町には失業者が溢れる。各国から支援が集まり、食料の配給が行われる。

 これまでの借金は大きく棒引きされ、スリムになった所から再出発される事になるのだろう。こうなれば企業の倒産や戦争による敗戦と同じように否応なくその現状を呑まざるを得なくなる。これまでの様に、「あの予算を減らしやがった許せない」とかバカな事はもう言ってられなくなる。あるものでやって行くしかなくなり、当然多くの人々が貧乏生活にならざるを得なくなる。

 例えば悪い事をして贅沢していた人が、警察に捕まって刑務所の生活に変わるのと似ているのかも知れない。

 そうだ、その内に夕張へ行ってみよう。財政破綻した町、そこには将来の日本の国の姿が見えているのかも知れない。そこで何かが分かるかも、見えて来るのかも知れない。


 我々は余りにも人間の生きる知恵というものを、これまでの歴史の中で軽んじて来た。知識や便利性や楽さばかりを追求し過ぎて来た。その結果、知恵が忘れられ、大事な物が失われ、簡単にそれまで築きあげて来たものを崩壊させてしまうレールに乗ってしまう様な事になってしまったのだと思う。

 大体多くの老人の望むままに、歩きたくないから車が便利だとか、階段は上りたくないからエスカレーターやエレベーターを付けろとか本人達の要望ばかり受け入れていたら、足腰の筋肉が弱りいずれ近い将来に歩けなくなってしまう。だから予防医学的な立場から言えば、リハビリ的な見地からも歩いて筋肉が落ちないようにし、寝たきりの状態になるのを防ぐためにも、多少の苦痛があっても階段を上る必要が生まれて来るのである。

 便利な物へ、さらに便利な物へと流れて行くと、結局体力は衰える方向に行き、頭は知恵を使わずに社会システムの崩壊へと舵を切って行く事にならざるを得なくなって来る。

 便利になる、楽になるという事は、裏腹にそう言った危険を孕んでいるという事を肝に銘じなければならないのだが、人間は残念ながらそれ程利口ではないようである。