2009年12月13日日曜日

スポーツ界と科学技術の世界

 WBC世界バンタム級チャンピオンの長谷川穂積がカウンターの天才だという事ぐらい、素人の自分にでも分かる。
 カウンターパンチとは、相手が打って来る所を交わしながら打つ極めて難しいテクニックで、相手は打って来ているから防御は出来ず、前へ出て来ているから、そこを当てれば効果はてき面で、それ程強いパンチでなくても相手は倒れてしまう事になる。

 だからこれを成功させるには、相手の繰り出して来るパンチを事前にキャッチし、素早いパンチで攻撃しなければならない。
 この様な高度なテクニックは教えても中々出来るものではない。それをあれだけ見事に天才的にやってのけるから、彼は天才だと思う。

 石川遼もテレビでショットを時々見るだけなので、どこが天才的なのか自分には分からないが、あの若さで並みいる先輩プロを差し置いて、トップの賞金王になるのだから、そこだけを見ても天才的と言える。

 男子器械体操の内村航平選手にしても、あの床運動なんかは宇宙人的なレベルで楽々やっているように見えて、あれじゃあ、中国雑技団もビックリだろう。鉄棒も難しい技を簡単そうにやっている様に、しかもこれ以上ないというほど完璧に演技する。
 苦手と言われる鞍馬にしても、失敗してもニタっとして、後の種目に影響を及ぼす事がない。何かコマネチがデビューした当時の衝撃を思い出してしまうね。


 この様にスポーツの世界では、天才的な選手が出て来るのだが、どういう訳か学問や芸術の分野ではサッパリと出現しない様に見える。どうしてなのだろうか?

 日本人でノーベル賞をとった人でも、そんなには税金が掛かる研究をしてる場合というのは、少ないんじゃないかな?

 やっぱり多額の研究費を使っている所は、寄付ならば文句は出ない訳で、そうでないならもっとオープンにして、将来どのような結果が期待出来、商売に波及するならどの程度の効果が予想出来るか、最低その位は国民に分かるように説明してもらいたい。
 「オレはどこどこ大学を卒業し、どこどこ大学の教授をしている。それに海外で賞ももらっているから、日本がこれから科学技術立国を目指すのだったら、これだけの予算を必要とするのは当たり前だ」という様な考えを持っていたら、今日の様な国家財政の逼迫している状況の時には、おそらく国民の理解を得られないに違いない。

 今日の研究は予算が掛かる分、人手も多くなりチームで行う傾向にあるから、中々個人の独創的な意見は通り難くなっているのかも知れないが、一方でチームの個々のメンバーの独創性をリーダーが摘み取ってしまう様な事はないのか、懸念される所ではある。