2009年11月26日木曜日

日本の産業の未来

 金融を操作したり、経済政策を多少打った所で、一時は持ち直す事もあるかも知れないが、肝心の産業が回復しなければ、どうにかなるものではないと思う。

 良く携帯電話を例に出して、日本製品のガラパゴス化が論じられるが、例えば国内で売れて内需に寄与したとしても、一個人にしてみれば限られた収入から支出している訳で、他の物を買うのを止めて携帯を買ったのであれば、全体の経済効果からいうと同じで、そこから生じて来る国の税収もそうは変わらない事になるでしょ。

 だから外国で売れてこそ、外貨を獲得する事が出来、税収も大幅に増える事に繋がるのだと思う。
 
 繰り返す様だが、いくら内需を盛んにしても、結局、収入の範囲、あるいは多少貯蓄を取り崩す程度になるのだから、大きな税収増は期待できない。それ故、やはり海外に売れる物が、どうしても必要になる訳である。

 ところが、これまでの日本がどうであったかというと、欧米の作った製品を真似して同じような物を作って行けば、先進途上国のメリットもあって、貿易の収入がどんどん増えていって、様々な社会整備も産業の技術力の方も進んだ。

 しかし先進国になった今、これまでと同じ事をやっていたのでは、かつての日本がそうであった様に中国やインドやブラジルといった国から追い上げられて、もはや中国にかつての座を奪われ様としている現状がある。

 だから産業そのものを劇的に変えて、世界で売れる商品を作っていく必要性に迫られている。
 それには、「これは自分達が作った非常に良いものだから、客は買って当たり前だ」的な発想では、さすがに国内ではそれが通用しても、海外では通用しない事を肝に銘ずべきだろう。殊にソフトの面に関しては尚更である。

 これまでの様な価格競争では後発国に勝てないという事で、各企業は付加価値を付けた商品の開発の方に力を入れて来た訳だが、今までの所は必ずしもそれが上手くいっているとは言えない。

 相手国のニーズに合わせた商品開発が求められるし、他国と同じ物を作っていたら物価、賃金の安い後発国には勝てない。

 それ故、新製品を作ってしかも圧倒的な技術力での売り込みを図っていかないと、もはや立ち行かなくなって来るのだろう。

 これからの日本が採る道は、地球レベルでの環境分野に貢献する技術力の高い製品を作って、更には苦手な英語を磨いて行かねばならないのかも知れない。

 学校教育はそれに向けて、劇的に変わる必要に迫られて来るのだろう。これまでと同じ様な教育のやり方では、いくら資金を投入しても目に見える成果は挙がらないと思われる。
 ものを覚えてただ知っているだけでは、コンピュータに敵う訳はなく、計算や単なる知識を競うだけでは、もはや学習の意味はないと思われる。

 他にないものを作り出す能力、仲間内だけではなく、世界の人々に同じような感覚で感動を与えられる様な能力を身に付ける事の必要性を痛感する。

 アメリカという国は世界中から優秀な人材を集めて国づくりをして来たが、それに対して日本はというと、優秀なというか多少毛色の変わった人材を異端として排除して国家づくりをして来た印象は否めないのではないか。

 こうした若干村八分的な排除の論理を引きずって今日に至っている敢えて言わせてもらえばその教育界に、いくら資金を注ぎ込んでも、結果的に無駄に終わる事は、今日の教育界の現状が変わらなければ、目に見えて明らかなのではないだろうか。

 この国の教育界は、一部だけか蔓延しているかは分からないが、妬みと村八分的な考えから抜け出ていない所があるとどうしても思わざるを得ない。だから例え優秀あるいは変わり種の才能であっても、新しい人が国内で最初に認められる事は滅多になく、そのほとんどが最初は外国で認知され、そうなってから国内で仕方なく認められるという全く恥ずかしいお粗末な結果を日本国民は嫌というほどこれまで見せられて来ている。

 こんな風で、これからもこの状態を続けて何の成果が期待できると言うのだろうか。この国の教授という人達の中には、自分と違う意見を言われると切り返しや反論をする事をせずに、恨んで反発するだけの学問には全く不向きの人が結構いる様に思われてならない。
 しかしそれでは生徒は皆イエスマンになって、その教授以上の成果なんか出せるはずがないのであって、この時点でもうほとんど教育の成果に期待が出来なくなってしまうのである。


 若い人がいくら画期的な成果を上げたとしても、皆結果的に潰す様な事をしてしまっては、国は結局滅びて行くしかなくなって来るだろう。

 こうした絶望的とも思える状況をもし打破出来るとすれば、海外から多くの優秀な人材を受け入れ、閉鎖的な教育界の環境を変えて行くしかないと思われるこの頃である。


 以上生意気な言葉の数々に、読まれた方は嫌悪を抱かれたのではないかと思われるので、ここに該当しない多くの先生方にはお詫びをしておきます。
 昔から良く言われた、「お前みたいなバカが偉そうな事を言う立場にはない」と。立場に無い事は重々承知していた。しかし、バカでも国を憂える事があるのだ。バカを承知で名前を晒して、止むに止まれず言っているのだ。という事を、多少とでも分かって頂けたら幸いです。