2010年4月2日金曜日

学力の中身を論じた事があったかなぁ?

 郵政民営化を元に戻して、ゆとり教育も元に戻して、・・・。色んなものが振り子のように右に行っては左に戻り、左に行ったら右に戻るを繰り返している様な感じがする。

 そんな事をしながら、少しは前進しているのだろうか。ゆとり教育の10年で学力が落ちたのだと言う。つまりゆとり教育の時間の間はただボーっとしていたり、ふざけて遊んでいたりで、表面上の学力が落ちたばかりか真の学力(考える力、論理的かつ科学的な物事の筋道の組み立て方、興味を持って意欲的に物事に取り組む事など)も身に付かったのだろうか。

 どこに問題があるのだろうか。生徒の尻をひっぱたく様な事をしなければ、学力は付かないのか。意欲的にさせる動機づけを身に付けさせる様な事は出来ないのだろうか。

 これまでの様に薄っぺらな表面上の学力を身に付けさせる事にどれ位のメリットが今の社会にあるのだろうか。

 勉強は基本的に自分で行うものである。教師とは、基本的な計算力や基本的な読書力・読解力、それに物の仕組み、あり方、論理的な筋道の立て方、科学的な物の見方、自分の意見とは異なる意見への対処の仕方など、そういった基本的な物を教えれば良いのであって、その後は自分で本を読めば済む事である。

 だから教科書は欧米の様に分厚くて、教師の助けを借りなくてもそのテーマが理解出来るように分かり易く書かれていれば、それを見て学習できる訳である。

 我々の生徒だった頃は、説教ばかりされていた記憶がある。あとは先生の外国旅行の話とか諸々の学習とは直接関係ない話だ。当然の様に説教とかお話が多い分、教科書は進まないので、途中で終って、後は自分で読んどいて下さいといった様なもんだ。
 話が面白いなら、大概教科書の勉強よりも面白いから、教科書は後で読んでも構わないと思った。でももう少し厚い教科書で丁寧に書いてあれば、教科の勉強なんてそれを読むので十分だろう。

 僕が授業に期待していたのは、その先生からしか聞く事が出来ない話や考え方とかで、教科書に書いてある学習内容なんてその次くらいの位置づけだった。まあ、年がら年中お説教されてうんざりした事もあったが。

 幼稚園の時にはお説教された事がなかったが、小学校に入ると、恐い男の先生がいて、今でも思い出すのは、給食の時間の前に手を洗って先生に見せるのが決まりだった。それで見せ行った所、もう一度洗い直す様に言われて、再び見て貰ってもダメで、もう一度洗いに行く様に言われた。そしてまた見せるとダメだと言う。
 他の生徒は既に給食を食べ始めている。僕一人だけが取り残されて仕舞っている。何回目か忘れたが、先生はこう切り出した「まだ分からないのか。爪がのびているんだ」と。爪の先が汚ないので、爪を切れと言われ、食べる時間が無くなっちゃうと焦る気持ちを覚えながら、切ったのを覚えている。

 今から思うと教師も生徒のためを思ってお説教をしてくれるとは思うのだが、人間だから時には感情的に不満や怒りをぶちまける事もあったのではないかと思う時もあった。
 中学の時には、授業の開始時間を過ぎても先生が現れなかったので、ボールペンか何かをドラムのスティックの様にして叩いていたら、いきなり先生が現れて、前の席にいて目に付き易かった僕を見付けて、「おい、お前」と指をさされ、そこから授業の半分ぐらいネチネチ怒られっぱなし。
 何でそこまで言われなくちゃならないのと、まいった。その先生はその時相当機嫌が悪かったのだろう。

 自分が学生だった頃に当て嵌めて考えると、近頃の先生が精神的に病を抱える事が多いと言うのが中々実感できない。学級崩壊みたいに、授業中席に着いていられない生徒が何人もいたりすると、悩んで休む様な先生も出て来る気はするのだが。

 また良くマスコミで言われるのが教師は忙しい、寝る暇もないほどとか。それは完璧にやろうとすれば、寝る暇もないだろうが、そんな先生が何人いると言うのだろうか。手を抜こうと思えば、これまた幾らでも抜けて、公立ならクビにもならない。そういう印象を持つのであるが、そうではなくこうなんだといった具体的な反論にこれまで出会った事がない。

 学力がどうのこうのとマスコミでは何十年と言い続けて来てはいるが、学力の中身を突き詰めて考えた人が果たしているのかどうかは疑問である。受験テクニックを教えるだけの様なのが果たして学力と言えるのかどうか、そこから考える必要があると思うのだが、中々そう思う人が出て来ない。

 でもこの国の良い所は、欧米の翻訳書が色々出ているので、自分で勉強しようと思えばし易い環境にはあると思う。学問をする場合の、色んな物事の考え方、取り組み方、基本的な姿勢などは、様々な古典で身に付ける事が出来る。

 国際的なテストの平均点で、学力が落ちたとか上がったとか騒いでいる様に見えるのだが、人口の多い中国と逆に少ない北欧などとどういう学力の比較をするのか知らないが、全部をひっくるめる様な比較をすれば、人口の多い方が点数は下がるだろうし、ごく一部で比較すれば人口の多い方が点数は上がるかも知れない。統計を見る場合にはそこまで見る必要がある。

 アンケートの取り方でも、「こういう様な事態になっているんですよ。酷いですよねー。さて、あなたはそれに賛成ですか、反対ですか?」と聞かれれば反対と答える人が多くなってしまうに違いない。そういう調査をする場合もあるので、ただ数字だけを取り出して比べれば良いといったものでもない。

 アンケートや統計は、データの取り方によってはどうにでも変わる場合が出て来るので、結構良い様に世論操作に使われる場合もあり、取り扱いには注意が必要である。