2010年4月22日木曜日

専門家の「さが」と目利き素人という専門性

 専門家、技術者は暴走するものであるといった見方で捉えた方が良いのかも知れない。彼らは原爆を作り出したし、金融工学の専門家もサブプライムローン問題を引き起こした。
 常に専門家はそういうものである。自身が出来得る限界を目指して開発を進める訳だから、フランケンシュタインが作り出される事もあるのだ。

 だから専門家に任せて置けば事が総て上手く行く訳ではないのである。素人が専門家の作り出したものを常にチェックして行く必要がある。目利きの素人である。
 今で言うと事業仕分け人といった所か。学者が「歴史の法廷に立つ覚悟はあるのか」と仕分け人に言ったが、学者は自分達の研究成果が歴史的にどんな価値を持つかはほとんど知らない。彼らは実験で出来てしまった物を世に出すだけで、後は人々のつまり素人の評価に委ねるだけである。


 例えば今話題の車の電子化にしても、同じ様な事は言えるのかも知れない。電子制御でコントロールするそのブラックボックスの中は検査できないから、車検の意味も失われがちになって来るのではなかろうか。

 ブラックボックスの中の老朽化は、耐用年数は、故障の確率は、一部が故障した時のバックアップはどうなのか。色々問題点はあるのではないだろうか。

 しかし一方で、この素人も素人に徹すれば、専門性を帯びて来る現実があるという事も、肝に銘じて置かねばならない。