2010年4月3日土曜日

書店に並ぶ書籍の最近の傾向

 書店に行くと、幕末とか龍馬本のコーナーがあったりする。最近では品格本の種類は一時より下火になった感がある。
 品格がないと思っていた人が多かったと言う事なのだろうか。朝青龍も引退したし、この不景気で品格どころではないと言った所なのだろうか。

  <ちょっと日本人観を論じる>
 日本人は欧米人みたいに、正面切って物事をハッキリ言う事をあまりしない。例え怒っても、表面上は平静な振りをして後でとんでもないところでしっぺ返しをしたりする。
 その場で感情を表に出さない事を美徳としている様で、怒っていないかと言うとそうではなくて、後で何かの時に行動をおこすぞ、と言うのだから時限爆弾みたいだ。
 
 僕はどっちかと言うとその場で問題を解決し、後に引きずらない様にしたい方だから、ハッキリという方である。ところがその場では「良いよ、良いよ」と言いながら、全くそれが嘘で、恨まれたり、仕返しされたと思える様な事が思い起こすとあれもこれもそうかなあというのがある。

 欧米人の様に物事を荒げたりしない代わりに、嘘を言ったりズルをしたりする場合が多い様な気がする。

 その他書店で目に付くのが「うつ」関連の本だ。不景気で、悩んだりする人が増えているのだろうか。不景気といってもそれ程の酷さはない様に見えるが、それでもこの時とばかりに余剰社員を整理する様なリストラが行われたり、ローンを抱えた人が失業や給料の大幅削減で支払いが難しくなれば、大変な事になってしまい兼ねない訳だ。

 <ニーチェ本の超訳について>
 そんな中で注目したのが、少し前に出たドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」とか今売れているニーチェの超訳本というやつである。
 手にとってペラペラ部分的に読んでみたが、分かり易い。どこかのマスコミ批評で、原文の内容が正確ではない様な事が書かれていたが、これまでは直訳気味で日本語の内容が意味不明な翻訳本が結構あった。ニーチェの今までの翻訳がそうだと言うのではないが、翻訳者が原作者の書いている内容のレベルに達してなくて訳そうとするものだから、どうしても直訳的にならざるを得ず、時には頓珍漢で意味不明な日本語の翻訳になってしまう様な事もあったに違いない。

 それに比べれば、多少正確さには欠けても、大意が伝わる方が余程良いのであって、その大意が間違っていなければ、読者は学術書として読む訳ではないのだから、そっちの方がずっといい。