2010年2月18日木曜日

技術神話の崩壊

 以前の車は結構自分で調整出来た感じがする。でも最近のはより複雑になっているし、専用の工具がないといじれない部分が増えたようだし、コンピューターがあちこちに組み込まれてブラックボックスになってしまっている。

 窓でも手動の方が良かった。電動式になって、水溜りに入ったり、川にでも落ちたりしたら窓は開かなくなるし、便利になって危険性は増した。またパワーウインドーの強化で首を挟まれて子供が亡くなるという事故も起きた事もあった。現在では挟まれたら止まるようになっているが、その装置が何かの拍子に故障しないとも限らない。

 そして、ブラックボックスになる事で、故障した時にそれまではそこだけ修理すれば良かったのに、全部を取り変えなければならず、電気製品などの修理費が高くなった。儲けるためにかあちこちがブラックボックスになって行った感じがする。

 これらは安全性の面からみると極めて不安の多い材料であって、手動で操作が自由に出来ないとなれば、部品の一部が故障した場合は命に係わって来る場合も出て来る訳である。そうした面への配慮が欠けているのだ。

 あくまでも操作は手動があって、それがままならなくなった事態に至った時に、初めて機械に補助してもらうというのが本筋であると思う。

 車や電気製品がコンピュータを様々な箇所に組み込んで、複雑なハイテク機械になって行き、ちょっとした原因で故障した時、もう人が操作は出来ませんというのでは、不安で使えなくなる。

 携帯電話が故障して、持って行ったら「修理が出来ない、記録情報はほとんど残らない、部品をまるごと交換するしかない」と来た。そして「機械は今複雑になっているから故障して当たり前、バックアップを取らないのが悪い」とか。
 これじゃあ外国で売れないのは当たり前か。

 車だったら安全思想を何よりも第一に考えるはずなのに、携帯だったら記録情報が失われないようにするのを第一に考えるものと思うが、何とも情けない限りである。

 世界一の借金大国、故障の多くなって来た電化製品などや、世界一の高齢化社会といった現実が迫って来ている。こうした物の言い方をすると、すぐに、不安を煽るのは良くないとか、景気は気分の問題だからそういう言い方は景気の足を引っ張るとか、心配のし過ぎで、悲観論じゃダメだとか、もっと夢を持って現実ばかり見るなとか、そう言った浮っ付いた言葉があちこちの支配層辺りから沸き起こる。

 あたかもそれは、重篤な床に就いた患者に「しっかりしろ、医者に行かなくてもすぐに良くなる。病状は軽い、気楽に考えろ」と言っているのに似ている。病は気からという諺を信じ込み、気分を楽にして悪い考えを捨て去れば免疫力で病気が治ると言っているのと同じだ。

 僕はこの国が「死に至る病」に罹っているとは思わない。立ち直れると思っている。だから敢えて此処とこことここを治す事が必要という言い方をしたい。