2010年2月14日日曜日

国民の皆が専門を目指してしまった結果

 わが国の今日ある様な厳しい状況を招いたと思われる原因の大本は、「狭い範囲を誰よりも知るような専門分野に強くなれ。」という指導が広がって、皆が狭い分野でのナンバーワンを目指す様になった事と関係していると言えるのではなかろうか。

 そしてその狭い範囲を追求して誰よりも詳しくなる事が、どれ程社会にとって重要か否か、といった評価はなされては来なっかった。
 それは特許の出願がどこの国より多いと自慢しても、誰も見向きもしないような事に特許を取って見た所で、実のない見せ掛けの数字に過ぎないといった様な傾向が見られる所にも、その一端は表われていると思えるのである。

 誰もが狭い専門分野で自分の仕事を追求した結果、全体を見渡せる人が誰もいなくなってしまった。産業、環境、エネルギー、雇用、金融、教育など、どれもリンクしていなものはないのに、皆バラバラにそれぞれの狭い分野しか知らず、話し合っても話し合いにならず、自分の仕事の分野の利益をそれぞれが主張し合うだけになってしまい、意見を譲る事がなく、言いっぱなしの話し合いになり、進歩が発展が理解が失われ、物事が進まなくなっていった。

 その結果、例えば二人で協力して獲った一匹の大型の魚を分けるのに、俺の方に尻尾の部分を寄こせとか、もっと多く寄こせと双方で言い張ってしまい、決着が着かず、結局借金してもう一匹大型魚を購入し、一匹づつにして分ける事になった。そういう様な状態がもう何年も続き、借金が膨大になってしまった。 そんな場合と似かよっているのがこの国の財政状況である。

 この国にしても、皆が主張するだけの国家になってしまい、結局が国の予算をどの省庁もどの族議員もどの有権者も譲り合う事をせず、借金をする事によってどちらの主張も通すような解決方法を採るようになり、借金が雪だるま式に増えて、どうにもならなくなってしまったと言える。

 こうしたどつぼに嵌ってしまった国を、どうにか解決を導き出すような方向へと持って行くには、議論する相手の事情をも分かった上で議論出来るようになる人達を作り上げて行く教育が必要となる。
 そしてある分野と他の分野との繋がりが理解でき、自分の利益だけを追求するような事ではなく、全体のバランスを見ながら公平にそして適格性を持って判断し、ある程度不利益を被る方を説得できるだけの能力を有していなければならない。

 いまこの国の実情はどうだろうか。何でも便利になれば良い、楽に、頭や筋力をなるべく使わない方が良い、何でも他人のせいにする、ややこしい問題は先送りにする、そして究極の他人任せ。

 秘書に任せっ放しは、本当かどうか知らないが、経理を任せっ放し、格付け会社に任せっ放し、部下に任せっ放し。

 そして自分の目で確かめない。ブランドだと直ぐ飛び付く、家柄で判断する、学歴で評価する、大企業だから信用する、世間で張られたレッテルで評価してしまい、自身の目を判断力を放棄する。

 こういう風だから、個々人の能力が落ちて行く一方になるのである。
 学校の教育で表面的な知識めいたものを幾ら身に付けても本当の学力や仕事に生かせる能力は身に付かない。
 本物の力、能力とは何かを今一度考え直す必要があると思われる今日この頃である。