2009年11月10日火曜日

「海老床(えびどこ)」の十代目が描いた幕末の地図



マンションが切れている辺りが「海老床」の跡地








 文京区の「文京ふるさと歴史館」へ行ったら、駒込の岩槻街道沿いにある「海老床」という名の江戸時代から続いた髪結いの十代目の主人が描いた幕末の岩槻街道周辺の地図が展示してあった。

場所はどの辺りかというと、東大前を通っている本郷通りを北に行くと、農学部の所で旧中山道と分かれる。真っ直ぐ行くのが岩槻街道(本郷通り)で、「六義園」まで行く少し手前の所に地図に描かれた所はある。

この辺りは江戸市中の外にあるのだが、街道沿いにはかなりの数の商店が軒を並べていた事が分かる。
どんな店があったかというと、「かさや」「質や」「湯や」「まき炭や」「たばこや」「わたや」「油や」「下駄や」「水菓子や」「米や」「とうふや」「アラ物や」「さかなや」「そばや」「カンブツや」「紙や」「居酒や」「箒や」などだ。

「六義園」を目印に地図にあった所へ行ってみた。この辺りなんだがなぁ、と回りをきょろきょろしていると、通りすがりの爺さんが歩道のベンチに腰を下ろして、何かを聞いてくれと言わんばかりの顔でこっちを見ていた。

「この辺に、以前床屋さんがあったって聞いたんですけど」と尋ねてみると、待ってましたとばかりに「海老床、海老床。そこ、そこの信号の所」と指をさしながら、威勢の良い元気な声で教えてくれた。
「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ」ってな感じだった。

通り沿いはマンションが建ち並んでいて、その谷間の様になった空き地が、「海老床」のあった所だった。

この通りの少し裏に入った所に「富士社」の広い境内や木々が描かれていて、脇道に入るとすぐに分かった。社殿は古墳の様な富士塚なのだろうか、その上にあった。
社殿に向かう急な階段を上って行くと、上の方から「にゃおー」と鳴き声がして、階段を上り切る前に上の地面にいた猫とご対面と相成った。
猫は非常に礼儀正しく脚をそろえて座って迎えてくれた。ちょっとビックリして、「昔この辺にいた人の化身か?」とチラッと頭を横切ったりしながら、カメラを向けてパチリ。