2010年5月30日日曜日

楽観主義者は総ての被害を拡大させるかも

 この国の楽観主義者という人々は、僕のことを悲観的に考え過ぎると批判めいた事をしばしば言う。
 最悪の事を考えて、そうなった時にはこういう対策を取るようにしようと考えるのは、人の上に立つ人であれば、そうする責任があると言える。
 しかし、そういう事を考える事自体も悲観的で好ましくないと思っている様なのである。

 戦争の「せ」の字も考えるな、考えると戦争を起こす方向へと行ってしまう恐れがあるから。
 悪い事は考えるな、考えただけでそっちの方向へ行ってしまいかねないから。良い事だけをイメージしてそうなる事を一身に念じろ、そうすれば思いは叶う。
 景気が悪くなる事を考えるな、思っただけでも景気は悪くなる。
 良い事、楽しい事だけを考えろ、そうすれば総てが上手く行く。

 信じるものは救われる。悪い人でも敵国でも信じてやれ、信じて好きになれば攻撃はして来ない。伝染病にしたって、大丈夫と思えば、向こうから去って行く。

 こういう神がかり的な思想を広めている人がいるらしい。どうも宇宙人と同類の思考回路と思えてならない。具体性が全く感じられない。

 しかしこういう考えは、合理的でも、科学的でもないし、何かが起きた時には、その被害は大きく広がり、多数の犠牲者が出る事が予想される。

 危機管理の事なんか考えて生きていても、人生楽しくないじゃないか。楽しく好きな事をやって、病気になったってそれはそれで良いじゃないか。
 車に気を付けて道を歩いたって詰まらないじゃないか。交通事故に遭う確率は高くないのだから、携帯見ながら音楽聴きながら歩いて、もし事故にあって死んでもそれはそれで良いじゃないか。

 楽しい事ばかり考えて、成り行きに任せて生きて行こうぜ。

 宮崎での口蹄疫にしても、49頭だかの種牛の処分は待ってくれとか知事が言ったりして、結局はその中から口蹄疫が発症して処分に納得したとか。
 また処分が決まった豚でも埋める場所が確保されていないとかで、発症したまま、そのままになっていたりで、鳥や小動物がウイルスを遠くに運んだりしたらどうするのだろうかと心配するが、それさえも悲観論はけしからんと言うのだろうか。

 その他にも、補償金の額が決まっていないので、殺処分には応じられないとか、何もかも後手後手で、被害がさらに拡大してしまい兼ねない。

 相手のやることなす事に、反対、反対と言って来ただけで、後は何も決断しない、出来ない、ただそれだけの人達だったのか。

 僕の考えは、ウイルスの専門家でもないし、地元にいて事態を掌握しているという状態でもないので、それ程自信を持って言える訳ではないが、自衛隊を動員して出来るだけ早く残った牛や豚を埋めて、ウイルスの広がりを封じ込めるべきだと思う。
 埋める土地の了承が得られないから、そのままいつまでも放置しておけるものではないと思う。補償額の件は後で行う様にするしかないだろう。

 地震でや戦火で、あちこちが火事になって、消防車が間に合わず、類焼を避けるためにまだ燃えていない家を取り壊さざるを得なくなった場合、補償金云々を決めてから取り壊しに応じるなどと言ってはいられないのと同じ様な事だと思う。