鉄剣が出土した稲荷山古墳
(埼玉県行田市のさきたま古墳群)
木の柱でも、風雨に晒され易い地面に近い所から腐って行く。一般に物は空気に触れる事での酸化による劣化、太陽の紫外線を浴びる事での組織の破壊による劣化、これらが多くの物質や生命体を劣化、老化させる大きな原因になっている。
木は腐る。プラスチックも劣化する。紙も日に当たると黄ばんで来てもろくなってしまう。だから紙に書かれた巻物の仏教の経典や物語の絵巻物などは、なるべく保管して置いて、空気や光に晒さない方が良いのだが、どうしても展覧会などでの展示があるので、その度にそれらに晒されての劣化が進む事になり、それの進んだ場所は補修する事になり、補修が頻繁になると、元々の物がほとんど失われてしまう事にもなり兼ねない。
最近の文化財に関した例では、高松塚古墳の壁画のカビの繁殖による劣化の被害が話題を集めたが、現代科学を持ってしても壁画の劣化を防ぎとめる事が出来なかった訳だ。
だからと言って古墳をそのままにして置いても、劣化が起こらない訳ではない。僅かづつではあるがそれは起こっているのであって、鉄剣はボロボロになるし、壁画も元のままの姿で永久に残る訳ではない。
これまで日本で発見された最古の文字資料としては、埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣に書かれてあった文字が有名である。もう一例、熊本県の同じ頃の古墳から出た鉄剣がある。
これらの鉄剣は錆びて盛り上がって、脆くなっていたが、それをエックス線を通して見た所、鮮やかな文字が浮かび上がって来たのである。
その文字は金製の細い針金を、文字にして鉄剣に埋め込んだもので、1500~1600年を経ても、全く劣化せずに綺麗に残されていて、稲荷山のものは鉄剣が折れていなかったので、ほとんどの文字が当時のままに読み取れる状況だった。
これらの他にも何点かは見付かっている。恐らく金や銀ではなく、その他の金属や、刻書したものもあったと想像できるが、金や銀以外は残らなかった可能性が高い。
また当時でも金や銀の貴重さは認識が十分にあったと思われるので、この様に金や銀による文字の書かれた鉄剣が収められた古墳は極めて限られた高い地位の人達だったろうから、その当時の天皇クラスの古墳にも収められている可能性は十分考えられる。