2010年2月2日火曜日

深谷駅から歩いて皿沼西遺跡まで行った

 埼玉県深谷市にある皿沼西遺跡の見学会に行った。JR高崎線の深谷駅北口から北へ20分位の所だと知ったので、駅から歩くことにした。

 深谷市で思い付くのは、深谷ネギとレンガと渋沢栄一といったところか。駅を降りると、さすが駅舎はレンガ造りで、立派なもんだ。市で建設費の負担をしたんだろうか。東芝とか大きな工場が電車から幾つも見えたし、税収も豊かだったりするんでしょう。

 
 自販機もレンガのデザインです。




 ちょこちょこと寄り道をしながら、北の方へ歩いて行きました。東西に通っている旧中山道と、その先の並行して走る国道17号線を渡って、現地に向かいました。
 その間、駅に近い所では空き地が目に付き、区画整理事業でもしているような印象でした。






造り酒屋でしょうか、レンガの煙突



 深谷城址を過ぎて、暫く行くと見学者が4つくらいの塊りになって説明を受けている現地の様子が唐沢川の堤防の上から遠望出来た。そこの発掘現場は、南北を流れる唐沢川と西から流れて来た福川が交わる所に調節池を造る計画で、建設の工事に入る前に、現在そこの発掘調査が進められている。

 その場所は、深谷城址から一段下がった低地の自然堤防上にある奈良・平安時代の集落跡で、古代の大地震の液状化現象の跡を見る事が出来た。
 自然堤防という事で、河川の氾濫による堆積土で覆われたその下は、水分を含んだ砂地になっている。その砂が地震によって堆積土の割れ目から表面に湧き出した跡が、掲載した写真に見られるように観察できた。

 当時その大地震は都にも伝えられ、文献にも載るような類のものであった。地震の記述が載っている一つは「類聚国史」で、弘仁9年(818年)に武蔵国を含んだやや北部寄りの関東を中心にした大地震があったとあり、もう一つの記録では「日本三代実録」の元慶2年(878年)に、武蔵国と相模国を中心に大きな被害を出した地震があったという。

 ここの地震は群馬県に近い関東の北という事もあり、前者に記載のあった方と考えられている。
 




割れ目から地表に噴き出した砂の部分


土層の断面


鳥居の向こうは墓地だった




 
 
造り酒屋

深谷ネギ



居酒屋



※ (株)東芝深谷工場・・・日本初のカラーテレビ工場として昭和40年(1965)に設立し、昭和44年にはブラウン管工場を併設した。平成6年(1994)より液晶ディスプレイの生産を開始し、現在では主要製品になっている。
 その他には内視鏡などの産業用カメラも製造している。敷地面積は東京ドーム6個分で、従業員数は約1100人。