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2010年6月14日月曜日

おやっ、全く同じ記事が異なる新聞紙上に

 




 
 
 一番上の富士山の写真は、左がS新聞社の記事で、右がT新聞社の記事である。両者とも同じ写真で、記事もほとんど同一である。これらは同じ日の朝刊の記事なので、どちらかが盗作したのではない事がほぼはっきりしている。

 この記事の内容は「富士山に季節外れの雪が降った」というもので、役所や企業の発表記事ではなく、個人が取材したものである。あるどこかが取材してそれぞれの新聞社に配信したという事である。

 聞いてみると、この記事は時事通信社が取材していて、それを買いたいと思った各新聞社が購入し、紙面に載せる仕組みになっている様である。だから、全国あちこちの新聞に同じ写真と記事が載る事もあり得るのだという。

 海外から配信されてくる記事には、どこの提供と入るが、国内のものは入らないので通信社からのものかどうか区別が付かないという。

 下の写真は企業の発表記事の様で、二社とも提供された写真を掲載している。内容は、着火に力がいるため、子供の火遊びが出来難くなったライターを新発売する、というものだが、記事内容は余り同じ所はない。

 最近ではホームページに役所の発表記事が載る様になって来ているので、これから役所や企業の発表記事がインターネットで流される事になれば、これと各地で取材した記事をリーズナブルな価格で購入出来て、それらを組み合わせれば割安なインターネット新聞が作れたりするのではないだろうかと思ってしまう。
 

2010年5月26日水曜日

日本のマスコミが報道自粛をする事例

 日本のマスコミの中には、

         口蹄疫・・・風評被害を恐れる。

         哨戒艦沈没・・・戦争を煽る事を恐れる。

         国家破綻・・・景気が悪化する事を恐れる。

 こうした恐れがあるとして、初期段階の報道を自粛する傾向が見られる。報道する事によって事態を悪化させる恐れがあると思っている節がある。

 しかし敢えて言いたいのだが、事実関係を最大限の努力を払って調査する事は、報道するしないに拘わらずにしなければならない。
 もし自粛する方が適当だと判断したなら、取材をした後の時点でそうすれば良いのである。
 一番悪いのは、取材調査の活動に入らないで、その手前で自粛してしまう事だ。
 これでは、自粛すべき物なのか、あるいは自粛すべきではない物なのかが、判断が出来ない事がほとんどだと思う。
 
 つまりは、判断放棄になってしまうのである。
 そうするとマスコミの本来持つ機能が失われると思うのだが・・・


 例に挙げた「口蹄疫」で言えば、十分な取材をしていれば、自粛すべきか否かの判断が違う結果になっていた可能性があるのだ。
 毎日の様にH総理の言動に振り回されてか、売り上げになると判断してなのか、あればっかりの報道だった。「5月末と言ったら5月末です」とか「腹案がある」とか毎日毎日、あの様な人を必要以上に相手にしてたら、他に置き去りにされた重要な取材対象は、深刻な事態がさらに悪化してしまう事に気付くべきだった。

 また公開された魚雷の残骸にしても、100人以上も乗った大きな哨戒艦を真っ二つにした割りには、魚雷の外側の覆っていた鉄製の部分は飛び散っているものの、前の部分や後ろのスクリューや軸はほとんど壊れていない。
 だからあれが哨戒艦を沈没させた魚雷かどうかは疑問が残る所だ。

 それから国の財政破綻にしても、ようやく正面から論じる様になって来たが、欧米では財政赤字問題の他に、投機資金が一辺に動く事によって、実体経済が大きく影響を受ける事や空売りの問題とか、突っ込んだ話になっている。
 日本もどこかの組織の御用経済評論家さんばかりでなく、世界レベルの経済学者みたいな人が出て来て欲しいものである。
 

2010年4月3日土曜日

書店に並ぶ書籍の最近の傾向

 書店に行くと、幕末とか龍馬本のコーナーがあったりする。最近では品格本の種類は一時より下火になった感がある。
 品格がないと思っていた人が多かったと言う事なのだろうか。朝青龍も引退したし、この不景気で品格どころではないと言った所なのだろうか。

  <ちょっと日本人観を論じる>
 日本人は欧米人みたいに、正面切って物事をハッキリ言う事をあまりしない。例え怒っても、表面上は平静な振りをして後でとんでもないところでしっぺ返しをしたりする。
 その場で感情を表に出さない事を美徳としている様で、怒っていないかと言うとそうではなくて、後で何かの時に行動をおこすぞ、と言うのだから時限爆弾みたいだ。
 
 僕はどっちかと言うとその場で問題を解決し、後に引きずらない様にしたい方だから、ハッキリという方である。ところがその場では「良いよ、良いよ」と言いながら、全くそれが嘘で、恨まれたり、仕返しされたと思える様な事が思い起こすとあれもこれもそうかなあというのがある。

 欧米人の様に物事を荒げたりしない代わりに、嘘を言ったりズルをしたりする場合が多い様な気がする。

 その他書店で目に付くのが「うつ」関連の本だ。不景気で、悩んだりする人が増えているのだろうか。不景気といってもそれ程の酷さはない様に見えるが、それでもこの時とばかりに余剰社員を整理する様なリストラが行われたり、ローンを抱えた人が失業や給料の大幅削減で支払いが難しくなれば、大変な事になってしまい兼ねない訳だ。

 <ニーチェ本の超訳について>
 そんな中で注目したのが、少し前に出たドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」とか今売れているニーチェの超訳本というやつである。
 手にとってペラペラ部分的に読んでみたが、分かり易い。どこかのマスコミ批評で、原文の内容が正確ではない様な事が書かれていたが、これまでは直訳気味で日本語の内容が意味不明な翻訳本が結構あった。ニーチェの今までの翻訳がそうだと言うのではないが、翻訳者が原作者の書いている内容のレベルに達してなくて訳そうとするものだから、どうしても直訳的にならざるを得ず、時には頓珍漢で意味不明な日本語の翻訳になってしまう様な事もあったに違いない。

 それに比べれば、多少正確さには欠けても、大意が伝わる方が余程良いのであって、その大意が間違っていなければ、読者は学術書として読む訳ではないのだから、そっちの方がずっといい。
 

2009年12月6日日曜日

風邪をひいた。布団に入ってラジオを聞いた

 風邪を引いてしまった。ニュースでは新型インフルエンザに罹っている人は10人に1人になったと言っていたが、電車に乗っても隣の人が鼻をグシュグシュしていたり、あちらこちらでくしゃみや咳をしていたりといった印象がする。

 でも、これって新型インフルエンザなのか?何か普通の風邪っぽいけど。といった訳で、今日は外出を控え、鼻水たらたらで頭も重いので、布団に入ってラジオを聞いていた。

 気持ちが悪くて頭痛がする時は、ハイテンションな民放よりNHKを聞いた方が気分が落ち着くのだが、今日はそれ程でも無かったので、民放を聞いていた。

 そしたら、以前は少し舌っ足らずだが、良く口の回ったEさんが、お歳を召したからか、喉でもお悪いのか良く聞き取れない言葉で喋っていた。ちょっと聞き続けるにはしんどかった。

 時間を置いてまたスイッチを入れると、今度はKパーソナリティーの番組だった。ゲストの話を聞いていたら、この調子だと時間内に収まりそうもないと思ったK氏は、ゲストに話を端折ってもっと前に進める様に促し始めた。
 その事は良いのだが、元々早口で聞きとり難い部分がちょくちょくある所へ、更に輪を掛けて早口になり出し、接続詞的な所は分かるが、肝心な所がほとんど聞き取れない様になってしまった。

 まさか、「どうせただで聞いているんだから、聞き取れなくても我慢しろ」みたいな気持はないとは思うけど、以前は聞きとり易かったので、チョット残念な気がした。


 暫くして、また性懲りもなくスイッチを入れてしまった。今度は、番組を聞いているリスナーから面白話の体験談を提供してもらって合格すると3千円がもらえるというのだが、「これは誰が書いたコントなんだ!」とM氏が叫んだ様に、余りにも有り得ない様な話があり、仕込みがあるのは大体周知なのかなぁ。
 素人にしては、喋り方が上手過ぎるのがあるし、…。 

2009年11月8日日曜日

近頃テレビなどで良く使われる物の考え方

 
 
 

 最近マスコミあるいはテレビやらで流行っている言葉に、「内需、内需」や「国民に希望を持たせる政策」とか「何かを得ようとすれば、何かを失う」何ぞはしばしば耳にする。

 先日もテレビを見ていたら、コメンテイターが「人は何かを得るために、何かを失わなければならない。こうしてテレビに出ていれば、(ギャラは入って来るが)一方で時間を失う。」

 それって、「オレはこうしてテレビに出ているけど、カネのために仕方なく自分の貴重な時間を潰している」って事か?

 じゃあ、それを見ているオレって、何を失っているの?時間とカネって事か…、えっ、両方。こりゃあ大変だ!

 すぐにテレビのスイッチを切ったのは言うまでもない。

 

2009年11月6日金曜日

神田の古本まつりで考える


JR御茶の水駅を降りて、明大通りを三省堂の方へと下って行く途中で、空を見上げるとこんな雲が浮かんでいた。




  出版不況とか言われている。つい何カ月だか前にも出版社が倒産したニュースを目にした記憶がある。
 何でも、出版点数を相当増やして行ったという事なのだが、結局どれも当たらなかったというのだろうか。

 どこの出版社でも、多かれ少なかれ同じような傾向があるのだろうか。新たに出版する点数も多いし、冊数も膨大になり、それらの返品の割合も4割に達するとか聞く。

 当たるとか当たらないとかと、出版でカネ儲けを第一に考える様であれば感心しない。書籍を読む事によって読者の知的レベルが上がれば、読者は騙され難くなり、本を見る目が肥えて来て、内容のない詰まらない本は買わなくなる。

 しかしその逆に読者の知的レベルが下がれば、洗脳し、騙し易く、宣伝効果が上がる様になり、内容が大した物ではなくても売れる様になり易くはなるだろう。
 
 だから会社が儲けを第一に考えるならば、客がいわゆる利口でない方が儲け易くなると言えよう。これは権力者にとっても言える事で、国民が利口ではない方が収め易いと言えよう。 

 しかしこのように一部の人の利益になる事が全体にとっての利益になることと一致はしない。会社でも国でも、社員や国民が御し易くなれば、会社や国の全体のレベルが低下する事に繋がり兼ねなく、全体として衰退して行かざるを得ない。

 そうすると結局は回りまわって自分の所に跳ね返って来る事になるのだが。

 出版文化、出版のあり様の本来は、広く一般に書籍を広めて、人々の知識を豊かにし、知的レベルを向上させるためのものであるにも拘わらず、今日は本末転倒してカネ儲け第一主義に陥ってしまう危険性を常に孕んでいる状況と言えよう。

 また書き手は多くの読者の中から育って来るのであって、そうする事によってのみ読み手から書き手へと引き継がれて行くものである。そうした一連の自然な引き継ぎの流れの中で、出版社は読者や書き手を育てて行くといった役割を担うものだと考える。
 
 ところが今日では一部の出版人が、「書き手などは誰でもいいんだ。本なんかは内容よりも宣伝やタイトルやタイミングで売れるのであって、内容は二の次」といった考え方が蔓延ってしまった様に感じる事もある。

 こういう傾向になる事が切っ掛けで、読み手や書き手から活力が失われて行き、遂には社会全体が衰退していく一因になり得ると思われる。
 
 つまり教育が洗脳され易い人間を作り出そうとしている事は、そもそもそれの始まりと言える。「疑ってはならない。信用しろ。覚えろ。」そういう教育は地位や権力の保身のために行う教育の典型的なものであって、西洋の疑問を持つ所から始まる学問とは根本的に違っている。

 かつて、「社員はバカでいい」と言った有名企業の社長がいたが、それは社長や権力者の保身を第一に考えた場合に正しいのであって、会社や社会全体の事を考えれば、将来的にそういう会社や社会は衰退していくのは自明と思われる。

 

2009年8月26日水曜日

東京駅(平成の大改修)


 平成の大改修中とでも言おうか、東京駅の駅舎が工事の真っただ中である。丸の内口のドーム型の天井は鉄筋が露わになって、鳥の巣でも伏せた様な具合になっている。

 またすぐ傍の中央郵便局は、一部を残して殆んどが壊されてしまっている。H大臣が「誰が壊したんだ!」と乗り付けた車から降りざまに、カメラの前で怒鳴ったのは記憶に新しい。

 日本郵政というと「郵政民営化」、「かんぽの宿の売却」が話題になったが、最初に鳥取県の「かんぽの宿」が1万円で落札されて、その半年後に6000万円で転売されて老人ホームになったとニュースで知った時に、誰もが憤って拳を振りあげた。それから暫く経って、他の物件との抱き合わせのバルク販売だったというニュースが流れても、一度あげた拳はもう降ろせなかった。大臣もその中の一人じゃなかったのか。

 この「時間差ニュース流し」っぽいのが結構目立つ印象があるんだけど思い過ごしだろうか。例えば「足利事件」だが、菅谷さんは警察にだけではなく最初の弁護士にも自白をしてたって事を、無罪という世論がほぼ形成された後から、その弁護士のインタビューを流したりするような印象があるんだけどね。

 S中学校の女子柔道部員死亡事故についても、死亡原因がいじめによる可能性が高いという印象を視聴者に植え付けておいてから、第何弾かの中で、以前に脳の病気で入院した事があるという事実を明らかにするとか、何か後出しじゃんけんの様な感じがしなくもない所が引っ掛かる。