2010年1月25日月曜日

欧米と日本の教育の違いに起因したガラパゴス化なのか

 以前から勉強のやり方は、その本質のところからこの国のやり方とは違っていた。小学校の時から、先生は百科事典をノートに移して暗記するような勉強をする生徒を好ましく思っていたが、僕は内心そういう生徒を愚かな勉強の仕方をしていると思っていた。
  
 そんなやり方より、百科事典をいかに使って、どういう内容の事がどこを引けば出ていると分かれば、そして読んで内容を理解すれば、暗記して多くを覚え込むような事をする努力は無駄で、その分の努力は内容理解の方に使う方が能力を向上させるのには有効だと思っていた。

 しかし中学に入っても、教師は名前を覚えたりする極めて表面的な知識の暗記をするような勉強を肯定する場合がほとんどだった。

 それは長い間心の底辺に沈殿してわだかまって、時々思い出したように沸々と湧き出して来ては自身を悩ませる疑問であった。時あるごとに、理解すれば暗記なんかする必要はないと思っていた。例えば文法に関してだが、英語、古文、現代文とかあるのだが、あんなのは研究者がやるものだ、位に思っている。どこの国のどんな人だって、自国語の文法を考えながら、喋ったり書いたりしてやしない。だったら学生は多少はやっても、少し小難しいのは研究者がやれば良いのである。時間の浪費だと思う。

 源氏や徳川将軍の名前とか、年号とかあるが、そんなのは源氏の義家の何代前とか、徳川何代将軍とか、何年ころとか、頼朝の父とかそういうので覚えて置くので十分だと思うし、いちいち暗記なんかしていて、それに時間を取られたら、一流大学に入れるのかも知れないが、実質は暗記だけの考える能力の劣る人間になってしまう気がしていた。私は単に将来の収入を安定させるために、そうした学習、勉強、学問をすることに納得ができなかった。

 新聞に大学入試センター試験の問題が載っていて、渋沢栄一に関しての設問がけっこう長い量あった。私事ではあるが、まだ最近の事ではあったが王子の渋沢栄一史料館へ行って来たところなので、どんな問題なのか興味があった。その中の一部は、彼が日本で最初に作った銀行や株式会社の名前を問うもので、名前を覚えるのが苦手な私は多少それらしい記憶はあったのだが、はっきりとは思い出せなかった。

 王子の飛鳥山には博物館とかが3館並んであって、共通券の割引もあって、限られた時間の中で回ったのだが、中々覚え切れるものではなかった。
 しかしそんな中で、覚えている事は、彼がヨーロッパで経済や金融の仕組みなど学んで来たようであり、帰国後に江戸時代には存在しなかった銀行を明治時代になって初めて作り、社会にどう機能させていったのだろうか、という事だった。
 また株式会社にしても、株というものを社会にどう浸透させていったのだろうか。その辺のところが詳しく知りたい、と思った。
 名前なんか、中央だか、第一だか、国立だか、覚える気なんかなかった。そんなものはどうでもいい、そこに時間と頭を使う必要はないと常々思っている。

 かつてアインシュタインの伝記だかを読んでいたら、次のような内容の文章に出会った。インタビューアーが、彼にこう聞いた「音の速さをご存知ですか」と。その質問に「知らない」と彼は答えた。そしてこう付け加えた「教科書に載っているような事を覚えるために、自分の頭を煩わす必要はないと思う」と。このような主旨だったと記憶している。

 この例にもあるように、大体において欧米の教育は日本のように暗記を中心としてはいない。日本は特に高度経済成長期の頃に、教育人口が増えるに従って、論文試験は実質、実行する事が難しくなり、〇☓式の短時間で採点できる方式が取り入れられ、「論文式は主観が混じり不公平が生じるが、〇☓式は客観的で公平性が保たれる」といった暗記能力の面にのみに置いての客観性と公平が保たれるといった、あらゆる面の能力を判断する訳ではないといった真実や事実と異なる錦の御旗のもとに、教育の大衆化の流れと一体になって社会に浸透して行った。

 しかし一端流れができ、これで育ってしまうと、「これは不味いぞ」となっても、ではどうやったら良いのか他のやり方が分からず、どうにも変えられなくなってしまった。

 その結果が、教育にこれ程の費用を掛けている割には、費用対効果が表われないといった実態となって中国や韓国との競争においても、弊害の一端が見え始めているのではないかと思われるのだ。