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2010年6月14日月曜日

変化する時代の中で、菅民主党の経済・財政の方向を見極める

 世の中の価値観というものは日々変化して行くものである。
 昔、大物歌手の旦那だった人が女性のスカートの中を撮った写真集を出してベストセラーになった。
 所が、今日では極端な話がエスカレーターで手鏡を出しただけで捕まってしまう。

 インターネットの急速な普及で画像が不特定多数の人々に一斉に広がってしまうと言った時代の変化の影響もあろう。

 伝統や文化は守り続けて行かなければならないといった使命はあるものの、社会の変化に対応して、方法や考え方も変えて行かなければならないのも事実である。


 新聞を見ると、米国の国会議員が「中国政府は不当に人民元の通貨レートを操作し、経済の実勢より低く抑えているために中国製品の対米輸出を有利にし、米国の対中貿易赤字を膨張させ、240万人の失業者を生んだ」と非難している。

 誰だったか評論家が、「何で日本の円が高いのかサッパリ分からない」と言っていたが、日本の国会議員で「何者かが円を不当に操作して、日本の輸出を妨害している。これでは企業が海外に出て行ってしまい、税収が減るし、雇用も失われる」とか言ったりはしないものなのか。

 残念ながら、いつも選挙の事で頭がいっぱいですか。官僚は、狭く深くは知っているが、全体は分からないって、またここに突き当たるのか。

 専門家は、ギリシア危機でユーロが売られ、アメリカも良くない、中国は為替操作しているし、消去法で仕方なく円が買われている、とか言う。

 その点では、「もっと円安が望ましい。日本はヨーロッパやアメリカよりも大変な状況だ」という認識を表明した菅総理は評価して良い様に思うのだが。

マネーの循環で見る経済

  良く、国とかの借金がこんなに膨らんだのは、貿易黒字で貯まった資金を使う様に言って来たアメリカに責任がある様な事を言う人がいる。

 確かに貿易黒字を解消する様に内需拡大を要望したかも知れない。しかしそれがイコール建設工事を主にした公共事業に使う様に言ったという事ではない。

 その趣旨はカネを循環させるという意味である。カネが一ヵ所に貯まっていたのでは、世界の経済が回って行かなくなるからという理由だろう。グローバル経済だから、全体で回して成りたって行く必要がある。

 いかにしてカネを使い世界経済に貢献して行くかが問われる様な所がある。それなのに、鉄やコンクリートの資源は輸入するが、黒字の多くを国内で使用してしまったり、貯蓄してしまうのではカネが循環しないで、結果的にどこかに歪が出てしまう。

 その部分の理解が、どうしても日本の経済学者や政治家たちには今ひとつだったのだと思われる。島国で、世界各国にそれ程人々が住み着いていない国の人々であった所にその原因があるのだろうか。

 そこへ行くと中国は違っていた。世界中の様々な国々で土着している割合は多いし、カネを回す理解も日本よりしていた。
 中国は世界の工場と言われている様に、各国の企業を次々に国内に入れて来た。まあ日本とは土地や自然環境も違うので一概に同列の比較は出来ないのであるが。


 それでアメリカは、中に入れたがらない日本より中国の方が経済的には付き合い易く、経済を回して行くためには必要性が高いと評価したのだと思う。

 しかしそんな中国でも、ホンダの工場で賃上げストが起きている様に、インフレ、賃金上昇が起きて来た様である。
 これまで何故賃金上昇、インフレが起きなかったかと言うと、工場の労働者として内陸部からやってくる安い労働人口に安定的に支えられて来た事が、その理由だという。

 しかしいま現在では、景気対策で内陸部への公共事業に大きな資金を投入し(四川大地震などの頻発する地震復興も原因の理由だと思うが)、そこに労働力が取られるので、都市部に人が回らず、従って人手不足になり、賃金が上昇して行く、という現象が起きているという。

2010年4月28日水曜日

ゆでガエルの法則と日本の現状

 中国での自動車の販売台数が世界一になったといったマスコミ報道が、つい先日あった事は記憶に新しい。

 日本のメーカーも随分と向こうに工場が増えている様である。家電メーカーも例に漏れないだろう。日本各地で町中の大きな工場が次々と消え、その広大な跡地に大型ショッピングモールが出店したりしている。

 人件費の安い中国へと工場が移って行ってしまう。そして日本国内には失業者が増えて行く。

 日本では中国と比較して、高等教育を受けた人が多いから、人件費の高い分、付加価値の高い仕事をしようとして、コンピュータをやたらに搭載した自動車や機能満載の携帯電話を作ったが、ガラパゴスとか言われている様に、世界では中々認めてもらえない。

 つまりこういう事態になっているという訳である。わが国は敗戦から、高度経済成長を遂げて、先進国の仲間入りをする様になった。そして多くの人々が高等教育を受けられる様にもなった。その結果、賃金の高い人々、教育水準の高い人々が大量に生まれた。

 その人達がその立場に見合った仕事を思う様に出来ていない。成果が十分に上げられていない。そのために、国の税金に頼って生活する人々が増え、あちこちで借金依存型の体質が蔓延してしまい、このまま行くと大変な事態になる事が予想されるが、それが10年先か20年先か誰にも確かな予測は出来ない。

 有名な「ゆでガエルの法則」というのがあって、蛙を熱い湯の中に放り込めば、すぐさま飛び出すが、水の中に入れて置いて徐々に温めると、飛び出る時期を逸して死んでしまう事を他の例にも当て嵌めていうのである。

 例えば、今日の日本に当て嵌める事が出来る。このままでは大変だと、頭では分かっていても、実感が湧かないというのが現状である。だからどうしてもぬるま湯の中から飛び出そうという気になれないのである。

 企業ならば、親会社が外国へ行ってしまったり、仕事が激減したりで実感が半端じゃない訳だが、税金で安定した収入が確保されていると、そういう実感が湧かないのである。だからどうしてもぬるま湯の中から出るのは嫌だといった意識の方が勝ってしまうのだ。

 

2010年4月26日月曜日

適正競争と過当競争

 とある東北地方の都市にあるデパートで、バーゲンセールの時期だったので、男性用の衣料品売り場へ行った。
 
 そしたら女性物は相当割引していたのに、男性衣料は余り割り引かれていなかった。

 それで店員の人に、どうしてなのかと聞いたら、女性の物には流行があるので、来年になるともう売れなくなってしまうからだという。
 それに比べて男性衣料の方には流行がないので、来年も売り場に出す事が出来るのために、割引はそれ程出来ないとの事だった。

 最近では、ショッピングモールへ行っても、駅ビルや駅近辺の商業ビルなどへ行っても、男性用の物はほとんど消えてしまい、若い女性の衣服だとか、アクセサリーや小物それに化粧品などばかりと言った感じが強い様な傾向が見られる。

 あれだけ多くがひしめき合って、良く店がやって行けるものだと感心してしまう。そんなに若い女性は使えるおカネを持っているのだろうか。

 恐らくその分野が儲かるという事になると、同じ様な店が次々と進出して来て、その内に供給過剰となり、持ちこたえられなくなったどこかが店を閉めて行く事になるのだろう。所謂ミニバブルといった現象が起こるのだと思われる。

 こうした事は、大型のショッピングセンター競争でも起こり得るし、近頃、都心の駅前で勃発している家電量販店のガチンコ戦争にしても、供給過剰になって消耗戦がその内始まる事になるだろう。

 こうした消耗戦の過程や結末は、そごうやダイエーなどで十二分に見て来たのだが、社会にとって決して良い結果はもたらさない様に思われる。
 
 何か税制のあり方やその他の法的規制のあり方が、もう少し改良の余地があるのではないかと思われるのだが。


 以下に、ミニバブル的な傾向を呈している、あるいは表しつつあると思われるものの例を取り上げてみた。
           
    ① 大規模なショッピングセンター

    ② 大型家電量販店

    ③ 若い女性用の衣料や小物類を販売する店舗

    ④ 犬や猫のペットブーム

    ⑤ 贅沢な博物館建物

    ⑥ バッハホールの様な贅沢豪華な建物

    ⑦ 地方空港  
   

 公共施設の場合は、隣の自治体やあそこで造ったから内でもといった様に、横並び意識で、借金を膨らませても造ってしまう事がある。
 民間の場合には、あそこに店を出したので、うちの客を奪われてしまいそうだから、こちらもその近くに出店するという事で、経営の健全化を失わせても資金の投入をしてしまったりする。

 つまり一定のルールの中での競争は社会に良い結果をもたらすが、これが過当競争になってしまうと、脚の引っ張り合いや消耗戦、潰し合いになってしまい、当事者いずれにもまた社会全体にも良い結果はもたらさなくなってしまい兼ねないので、何らかの対策が取られるべきだと思われる。

2010年4月22日木曜日

商店街に見る大都市と地方の格差


巣鴨






江東区




池袋


原宿






群馬












茨城





 始めの3枚の写真は「おばあちゃんの原宿」と呼ばれて、全国的に有名になった巣鴨の地蔵通り商店街だ。健康を願うお年寄りが引っ切り無しにやって来る。それに釣られるように中高年も、また若い人も結構多い。

 若者の街に余りお年寄りは見受けないが、お年寄りの街には若者も結構見かける。

 こうした例にならって、地方の商店街でも健康の願いを叶える地蔵さんとかを置いて、お年寄りに優しい商店街作りをしてはどうだろうか。

 関東地方周辺の主な地方都市は、そのほとんどが城下町で、市の中心商店街はその中に位置している。
 しかも歴史を持った商店街が多いといえる。

 シャッター通りになっては、観光客も寄り付かなくなってしまう。地元自治体をあげてのバックアップ体制を取るべきではないだろうか。

2010年4月6日火曜日

日本の未来が見えるぜよ

 この国は遅かれ早かれ世界で最も悲惨な先進国として歴史に名を残す事になる可能性が高い。

 僕らが学生だった30年以上前に、あるクラスメートから「俺らが年金を貰う頃になったら、制度が崩壊してしまうかも知れないってよ」とか、他の友人からは「先生になるんだったら今しかないって、何年か先になると少子化で採用が減るから難しくなる」とか聞いていた。

 あれから30年以上も経つのだが、この国の人間は何一つ対策を立ててやって来なかった。つまり、何年も先の事など誰にとってもどうでも良い事であったのである。今の自分にとって必要な事をやるだけで、先の事は全く考えない、関心を持たない、知ったこっちゃない。そういう国になってしまっていたのだった。

 それにもう一つ、僕が聞いたのは、この国が世界の注目する実験国になると言う事である。それは、世界最高の高齢化でかつ少子化という紛れもない事実。そして資源がなく、輸出でも稼げなくなる。世界最高の借金を抱え、それは自国民からの借金だから、世界はどこも国も日本を助けようなんて思わない。
 企業は生き延びるために、当然この国を見限って本社や工場を海外に移転する様になる。そうなると若者は職を求めて、海外に働きに出て行かざるを得なくなる。国内に残るのは高齢者ばかりだ。

 こういう筋書きが予想される国が、今後どういう対策を立て、どういう実行を進め、それが上手く行くのかどこが失敗したのか、そういった事を他国はしっかり分析し、良かった所は取り入れ、悪かった所は真似しないようにし、良くも悪くも手本にしようとしている。

 こういう風に聞いたので、これまでの例で行くとこれから20年、30年と今言った様な筋書きで進んで行くので、それに対して我々は何らかの手を打たざるを得なくなって来るのである。

 では、この国では何らかの対処をしている人が一人でもいるか。残念ながら相変わらず、30年前と同じ様に目先のこと以外にはほとんど関心を持っていないのが現実と言ったところである。

 以上の事を読んでどう思いますか。余りにも悲観論過ぎるってきっと多くの人は思うんでしょうね。もっと楽観的になれ、希望を持て、何か言い事があるさ、日本人の底力は凄い、潜在能力は世界一だ、突破能力は宇宙一だ・・・。

 口では幾らでも威勢のいい事は言えるんですがね。言うのとやるのとでは大違いなんです。

 僕ですか?僕は何だかやる気が湧いてくるんですよ。簡単な事やっても世界各国は注目してくれないでしょう。やりがいがあると思うんですがねぇ。

 先ず、目先の利益でしか行動しない国民をどう教育したら良いかだ。こういう事を昔っから言うもんだから、良く「お前みたいなバカが考える事じゃないよ」とか言われたもんだ。
 だって誰も考えてないから、俺みたいなバカが考えるしかないんじゃないの。そう思ったりしている。

2010年3月19日金曜日

日本再生へ(新しい産業と教育)

 ニュースによると、日銀は銀行への低金利での貸し出しを10兆円の予定から20兆円の倍に増やすのだという。
 
 それって何のため?35兆円だかの需給ギャップがあって、物を作っても売れないのに。何で民間企業が借りるんだろう。それに資金を作るのに株の増資をして新株を発行したり、社債を出したり、自分で集める事が多くなっているので敢えて銀行から借りなくても済む場合が多いんじゃないの?
 中小企業にしたって、大企業から仕事が入って来なくて仕事が減っているのだから、カネを借りても仕方がない。 

 そうすると民間銀行は、またぞろ国債でも買うのでしょうか。こうなって来ると国民から預かった預金で国債を買うのではなく、日銀から借金して国債を買うパターンになる。
 これは結局、国が自分で紙幣を刷って、国の予算に充てる事と同じになる。紙幣が20兆円ばかりじゃぶじゃぶと市中に流れる訳だ。

 しかしこういうその場しのぎをやっていても、そのカネを使い切ったらまた元に戻る事になり、再び同じ事をやらねばならなくなる。

 そういった小手先の、その場限りの対応しかやって来なかった結果、問題は少しも好転せず、悪くなる一方である。にも拘らず、良くなっていると期待感を垂れ流している場合が多い。それは恰も敗戦の連続であるのに、連戦連勝と言い続ける過去の例と似てなくもない。


 現実を認識して、次に打つ手は何かを考える、これが手順だと思う。
 例えば、建設現場には重機が入り、あっという間に人手を掛けずに仕事をしてしまう。そうかと思えば、計算機は驚くべきスピードで複雑な計算をする。様々な事務処理をパソコンは簡単にこなす。工場は機械化されて、人手は益々必要なくなる。

 そうなれば、これまでにない新しい産業を興さなければ、人々の働く場所は確保されず、社会は失業者などの余剰人口を多く抱え込む事になる。

 新しいハード、ソフトの産業と言っても、人々を堕落させていくようなものであってはならない。やはり人々がレベルアップして向上して行く類のものでなくては人類は衰退に向かうのではなかろうか。
 
 これまでの歴史においては、人々は暮らしを便利にする道具を作り出し、それが広まる事によって、家事や雑用、仕事の一部が楽になった。しかしあらゆる事が便利で楽になる事に慣れ親しんでしまうと、人は今度は怠け者になって行き、おバカになって仕舞いかねない。

 古代ギリシアでは、きつい労働は奴隷が行い、市民は自由な時間で政治を語りあったという。今日では機械が重労働は代わりにやってくれる事になるならば、空いた時間に人々は政治や社会や経済について学んだり、討論したり出来、社会はより良くなって行くと思われたのだが、実際はそうなってはいないのではないか。

 そういう方向に近づくような考えを持って、人々がそこにおカネを出したがる新しい産業が生まれるのが一番いいと思っている。人々がおカネを出そうと思わなければならない。しかもそれは人々が堕落して行く方向ではなく人間としての価値を高めて行ける方向に行く事が望ましいのであるから。

 そして世界に受け入れられないとダメだな、ウオークマンみたいに。そういえば、コンピュータもウインドウズも携帯電話もiPodもみんなアメリカだっけか。ハリウッド映画もそうだな。
 この所日本の映画も頑張っているが、なんせ国内オンリーだからなぁ。

 勉強のシステムでももう少し変えたら何かが変わるかも知れないけれど、その気配さえもないからね。 

2010年3月11日木曜日

ハイパーインフレも止むなし論の評論家に一言

 経済評論家のM氏が、「デフレになれば、儲かるのは金持ちで、ハイパーインフレになれば、借り手は楽になり、損するのは金持ちだけだ」とハイパーインフレ仕方なし論を展開したようだが、事はそう上手く行きそうもない。

 世の中、借り手側の方は「インフレにしろ」と騒いでいるし、貸し手の方はデフレ容認のようにも見え、両者が自分の利益の事しか考えないで経済論を戦わせている様にも見えるが、仮に政府がインフレ方向に持って行こうとして、紙幣をじゃんじゃん刷り出して、急速で抑えの利かないインフレになりそうだと資産を持つ人達が判断したとすると、一気に資産の移動が始まり、この国から資産が逃げ出して行く。
 そうなれば、国はその穴埋めに紙幣をさらにじゃんじゃん刷る様にならざるを得なくなり、一気にハイパーインフレとなるだろう。

 その結果、悲惨な状況に置かれる事になるのは、低所得者層になり、破綻した経済の中に、老人や失業者や障害者や低所得者などが残される結果となる。

2010年3月4日木曜日

アクセルの電子制御装置にみる安全性問題

 「劣化」にしても、どういう物質がどのようにして、またどの位の時間を掛けて劣化して行くのかは中々難しい。これを調べようとしても、最先端の研究になるので、研究者の話を聞くにしても結構大変だ。
 調べてみても、講演会を聞くだけでも何万円も必要みたいだ。様々な物の劣化状況を知って、それへの対策を立てる事はビジネスに繋がるので、それだけの代金を支払っても聞く人がいるのだろう。

 同じような事で言えば、トヨタ車のアクセルペダルの電子制御装置の問題にしても、コンピュータの電子部品に関した問題なので、その専門家以外にはシステムのあり方やどういう状況で故障が起こるかとかは分かりはしない。
 だから社長や部長にその事を質問したって、「システムに問題はない」と下からそういう内容が上がってくれば、そう答えるしかないのだ。

 そして恐らく設計の担当者や製作の関係者は、自らの責任問題になって来る時には逃れようとする場合も出て来るので、隠そうとしてしまう場合や、責任逃れをしようとして来る事もあり得る。そうした時には、やはりそれ相応の第三者の専門家に調査を依頼し、原因を追及して行く事が必要になる。

 この電子部品のブラックボックスの中を説明してくれる専門家は限られてくるから、テレビや新聞とか雑誌なんかでも詳しい解説は載らないので、たぶんこれも講演会やらで詳しくかつ分かり易く説明をしてくれるようなのを開催すると、何万円という参加料金を取れる様になるのかも知れない。

 しかしそれにしても今の今まで、自分の乗っている車ももしかしたらトヨタ車のようにアクセル制御が電子装置で、そして電気信号で動いているのかも知れないなんて思ってもみなかった。
 そうならば飛行機で、携帯電話やパソコンが何年も前からあれ程大騒ぎになっていたのに、なぜ車は問題がないと思ったのか。テレビによると通常の電波の2倍の強さのものにも影響がでない様になってはいると言うのだが・・・。

 でも車の購入者は、そんな事は全く聞かされてはいないのではないか。車は我々の知らない所で実はこうなっていましたみたいな。「もし電子部品が故障したら、減速したり止まるようにシステムは作動しますので、加速したりは絶対にいたしません」と言われても、それを専門家を交えて説明してもらわないと納得は出来ないのではなかろうか。

 自分の乗っている車も、電子装置でアクセルが作動するようになっているのだろうか。一応聞いてみるかな。
 

2010年2月26日金曜日

リーマンショックに続いてのトヨタショック

 トヨタ自動車のアメリカでのリコールの問題が、大きくなりそうだ。数百万台規模のリコールと死亡事故が起きていると言い、どの位の訴訟人数になるのか、その補償額の膨らみはどの程度になるのか気になる。

 日本にとっては、リーマンショックに続いてのトヨタショックというダブルパンチだ。法人税収の稼ぎ頭とも言うべきトヨタが、このような状態に陥ってしまうと、法人税収全体の落ち込みが今後心配される。

 わが国の法人税率は40%だっただろうか。2006年から企業の納税額は非公表になっている様だが、多い時で、トヨタは大雑把に言って5000億円からの法人税を払っていたみたいだ。

 これをどの程度か知るために、目安とする数字を挙げてみると、一般会計予算が約100兆円と仮定して、法人税・所得税・消費税などの税収が約40兆円とする。差し引いた60兆円は国債で賄っている訳だ。

 この税収約40兆円の内の約0.1兆円がトヨタの法人税になる。またその波及は部品を調達する関連企業や下請け企業のみならず、原料メーカーやそれぞれで働く従業員にまで及ぶ。

 つまり、とても0.1兆円だけの影響に留まるものではないという事になる。

 さらには、払い過ぎた大企業への税金の還付が行われる。大企業は前年度実績などに基づいた法人税の半分を中間決算後に納めていて、その後の下半期に業績の急激な悪化に見舞われ、結果的に払い過ぎてしまった企業が続出したという。

 これらの点をそれぞれ考慮して行くと、おそらくこの国の税収は悲惨な事になり、現在税収そのものの在り方について、抜本的な見直しをしようと、検討委員会が設置され、話が進められているのだろう。

 まさに国家の非常事態に直面している。政府はこの事態を正直に国民に話し、理解を得るようにした方が良いと思う。

 現在、国民の大半は何とかなるさ、楽観論を持て、悲観的な事を言うな、といった調子で、行け行けどんどんの考えが支配的な様にも思える。気分の問題で景気はどうにかなるの一辺倒な所がまだまだある感じだ。

 この国の実態を取材しようと出掛けると、後をついて来るパパラッチみたいなのが日ごとに増えていって、日本全国追っかけ回しみたいになってしまい、とても国が良くなって行くとは思えないのだが、この国はいったい何を考えているのかさっぱり分からない。

2010年2月24日水曜日

評論家や新聞のデフレ対策に一言

 「デフレだから景気を良くしろ、対策取れ」と新聞見ても喧しい。低所得者が借金して使えば、アメリカのサブプライムローンのように破綻するし、そうかと言ってこれまでのように国が借金して使えば、もう国家がパンクしてしまいかねない所まで来ているし、どうしたら良いんだ。

 簡単な事がある、カネのある人が使ってくれさえすれば良いのだ。鳩山総理のようなお金持ちか、貯蓄の70%とかを持っているという高齢者である。
 こうした高額所得者が、社会のためになるようなおカネの使い方をしてくれれば、世の中はもっと良くなると思うのだが、店を出したり、変な事業に投資したり、貯蓄したりと「余り世のため、人のため」になるようなカネの使い方をしている様には見えない。

 与謝野元財務大臣が「鳩山総理は自分の子分にカネを配るので、母親に無心した」ような事を国会で言い、総理はそれを否定していたが、小沢幹事長にしてもそうだが、トップの大金持ちの政治家が、国民に範を垂れるようなカネの使い方が出来ないのだから、他の金持ちにどうこう言える立場になく、もうどうにもならない気がする。

 どう考えても、カネは持っている人間が使うべきであって、使ってしまって持ってない人間に借金をさせて使わせるというのは、小学生レベルで考えてもおかしいと思うはずだ。なぜか景気を良くしろという新聞は、そんなことは一言も書かない。

 評論家は、「1万だ2万だとかのせこいカネを国民に配るのではなく、50万円とかもっと大きなカネをどんと配る事が必要だ」、みたいな事を言いだす者もいる。確かにその時は景気が良くなるかも知れないが、それを使い切ればまた元のように景気は落ち込む。
 それじゃあ第二弾だ、さらには第三弾だと続けざるを得なくなる。しかし、そんなことは永久に続くはずのないことは、誰もが分かる事である。ハイパーインフレになって、経済が破綻してしまう事は目に見えている。

 目先の事だけを何とか処理さえすれば良い、小手先の技術で何とかその場の問題をかわせれば良いといったやり方ではもうどうにもならないという事を、知るべきだと思う。

 そろそろ自分達の仲間の中だけで褒め合って、外の意見を悪意ある非難だという様な態度で臨むばかりの対応は止めた方が良いのではなかろうか。悲しくなって来る。

2010年2月18日木曜日

技術神話の崩壊

 以前の車は結構自分で調整出来た感じがする。でも最近のはより複雑になっているし、専用の工具がないといじれない部分が増えたようだし、コンピューターがあちこちに組み込まれてブラックボックスになってしまっている。

 窓でも手動の方が良かった。電動式になって、水溜りに入ったり、川にでも落ちたりしたら窓は開かなくなるし、便利になって危険性は増した。またパワーウインドーの強化で首を挟まれて子供が亡くなるという事故も起きた事もあった。現在では挟まれたら止まるようになっているが、その装置が何かの拍子に故障しないとも限らない。

 そして、ブラックボックスになる事で、故障した時にそれまではそこだけ修理すれば良かったのに、全部を取り変えなければならず、電気製品などの修理費が高くなった。儲けるためにかあちこちがブラックボックスになって行った感じがする。

 これらは安全性の面からみると極めて不安の多い材料であって、手動で操作が自由に出来ないとなれば、部品の一部が故障した場合は命に係わって来る場合も出て来る訳である。そうした面への配慮が欠けているのだ。

 あくまでも操作は手動があって、それがままならなくなった事態に至った時に、初めて機械に補助してもらうというのが本筋であると思う。

 車や電気製品がコンピュータを様々な箇所に組み込んで、複雑なハイテク機械になって行き、ちょっとした原因で故障した時、もう人が操作は出来ませんというのでは、不安で使えなくなる。

 携帯電話が故障して、持って行ったら「修理が出来ない、記録情報はほとんど残らない、部品をまるごと交換するしかない」と来た。そして「機械は今複雑になっているから故障して当たり前、バックアップを取らないのが悪い」とか。
 これじゃあ外国で売れないのは当たり前か。

 車だったら安全思想を何よりも第一に考えるはずなのに、携帯だったら記録情報が失われないようにするのを第一に考えるものと思うが、何とも情けない限りである。

 世界一の借金大国、故障の多くなって来た電化製品などや、世界一の高齢化社会といった現実が迫って来ている。こうした物の言い方をすると、すぐに、不安を煽るのは良くないとか、景気は気分の問題だからそういう言い方は景気の足を引っ張るとか、心配のし過ぎで、悲観論じゃダメだとか、もっと夢を持って現実ばかり見るなとか、そう言った浮っ付いた言葉があちこちの支配層辺りから沸き起こる。

 あたかもそれは、重篤な床に就いた患者に「しっかりしろ、医者に行かなくてもすぐに良くなる。病状は軽い、気楽に考えろ」と言っているのに似ている。病は気からという諺を信じ込み、気分を楽にして悪い考えを捨て去れば免疫力で病気が治ると言っているのと同じだ。

 僕はこの国が「死に至る病」に罹っているとは思わない。立ち直れると思っている。だから敢えて此処とこことここを治す事が必要という言い方をしたい。 

消費者にとって良い店と信用について

 例えば、ある情報誌があるいはある人が特定の商品や会社を褒めたとする。その場合、それが広告なのか、あるいは客観性の高い情報なのかその情報の受け手としては見極める必要に迫られる。

 その場合、見極めが難しい時に最後の判断基準になるのがその媒体の信用度なのである。つまり商売、取り引きの根っこはとどのつまり信用と言うことに尽きるのか。
 もちろん自分の目で判断する事は言うまでもない事ではあるが、それでも判断しかねる所が出て来れば、それはもうどの個人をその会社をどの程度信用出来るかどうかに掛かって来るのである。誰であれ、あらゆる事を自分の目で確かめる事は不可能であるから、その人がカネをもらってそれを褒めているのか、もらわずにそうしているのかは、政治家であれ、広告と明記しない情報であれ、その人間がどういう人間かを判断して決めるという事に、最後はなるのであろう。

 しかし総てを全面的に信用してしまうというのも、利口な人間のする事ではない。個人にしても、会社にしても常に金銭的に余裕のある状態であるとは限らない。時には厳しい状況に追い込まれる時もある。
 そうなれば人間であるから、多少とも宣伝的な情報をそれと分からないように流す場合もあるやも知れない。しかしそれはある程度は認めてやらねばならないだろう。そうしないと、良心的な人間は皆死に絶えてしまって、弱肉強食の何でもありの世の中になってしまわないとも限らないからだ。

 例えば、マスコミなどで時おり激安の店とかやるでしょ。あれなんかも判断が難しいのがあったりする。しかし宣伝費をもらわずに激安店をテレビなんかで放映したとしても、本当に年がら年中激安で売っていたら、先ず店が潰れてしまうと思う。

 それこそ目玉商品として限定した量だけ安売りするのが普通で、それでお客を呼び寄せて、ついでに他の商品を買ってもらう事で儲けを得る訳である。
 その他にも、形が不揃いだったり、多少の傷があるものや作り過ぎてしまった物、あるいは売れ残ってしまったり、売り上げの数字をどうしても達成したいがために、損を覚悟で売りに出したり、または流行が思いのほか続かずに流行遅れになってしまったり、倒産した会社から安く仕入れたりした商品など、様々な理由から安売りは行われるが、ほとんどがその量は限られていて、少ない多いの違いはあれ、恒常的に安売りが続かないのが普通である。

 ずーっと安売りを続けようとすると、儲けなくても良いという哲学と家賃を支払う必要のない自宅兼店舗での商売なら、やっていけるだろうが、中々今どきこういう人は少ないのが実情であろう。

 例えば、あるファーストフードチェーンの場合であるが、ある時安いコーヒーの味が良くなった。アレッと思って、それからあちこちの店で飲む機会が増えたが、店によってバラつきが見られた。また味の良いコーヒーを出す店であっても、前に戻ったりする事もある様であった、

 店舗によって家賃も店の造りも客数も皆同じ所はない。その中でいかにして客を増やして利益を出していくかが問われる訳だ。
 ある時大阪のとある場所のそこの店舗に偶々車で通り掛かって入った。そしたらコーヒーは旨いし、100円でお代り自由だし、新聞はスポーツ紙から一般紙まで揃っているし、椅子は良いしスペースも広かった。朝のべーグルサンドも高くないし、随分と得した気分になったが、一方で店としては採算は取れない事は確実である。

 しかしこういうチェーン店が最高の利益を上げているという事は、必ずや他で儲けているからであって、全部がこういう店である訳がない。でも、今まで行かなかった人が、偶々入った店で、何か良かった思いをする事があれば、次にも行く訳で、そこは期待外れだったとしても、この次は良いかもしれないと何回かは訪れる事になる。
 それでまた気に行った印象を持つ店が見付かれば、その人は新たな固定客として根ずく様になるかも知れない。
 他の儲かっているチェーン店なんかを見てもそういうやり方をしている所が多い様に思われる。

 だから良く一番安い店を教えてくれなんて質問があるが、総ての商品をどこよりも安くしていたら、倒産の危険が高くなる。チェーン店であれば、店によって価格を変えて利益を確保しようとするし、商品によってもある時はこの商品、また違う時にはこちらの商品と替わるのが普通である。

 それ故、あっち見たりこっち見たりと時間を掛けなければ安くて買い得の商品は見付からない。

 だから、もしどこそこの店で買い得商品を売っているとここで書いたとしても、それを見て行っても、同じ物はもうないかも知れない。旨いレストランという評判で、足を運んだとしても客を集めた所で、味を落として来るかも知れないし、この機に店舗の拡大を図り、味の秘伝をもって、店主は新店舗に行ってしまうかも知れない。
 また代が替わると、方針が違ってきたり、もっと儲けを出す事に重点を置きだしたりと変化して来たりする事もある。

 行き着く所は、人柄ではないかと思う。その人が信用できるか否か、それしかないのではないだろうか。
 
 

2010年2月17日水曜日

インフレ論と利息について

 デフレで景気が厳しくなったので、今度はインフレにしようといった考え方がある。インフレにして、国の借金や企業、個人の借金を軽くする狙いがあるようだ。

 ではどうしたらインフレになるのか。国債をどんどん増発し、遂に発行し過ぎてしまうと、国債の金利も上がり続け、やがて信用が無くなってしまい、暴落の危険性が生じて来る事になる。
 
 あるいは政府債とかを発行して、日銀を通して金利を低くして市場に流しても、結局は国の債権であり、国債とひと括りで見られてしまう。

 ならば国債を発行しないで、ただ単に印刷局で紙幣をどんどん刷って、市場に流せばいいのだろうか。低利で貸すというのではなく、直接に国民や企業に、現金で支給してはどうか。あるいは企業に配って、従業員の給料を上げてもらい、また年金受給者には年金にプラスして支給する。

 そうすればそれは借金ではない。印刷機で刷った紙幣をそのまま市場に流した訳だから。そうなれば、紙幣の価値は下がり、全体の物価が値上がりして、借金は目減りする事になる。借金の方が、物価スライド制ではなかった場合であるが。


 しかし、そんな事になって来ると、企業は儲からなくなって来るし、国民は働く意欲がだんだん失われて来そうだ。そんな事をやるより、ローンの組み換えや利息の見直しでもやってもらった方が手っ取り早いのではないだろうか。


 利息の支払いにしても、昔の高度成長期のインフレの時代の利息をまさか今の時代に適用して支払いがあるのは、やっぱりおかしい気がする。その時代に合った適正な利息というのが存在するはずだから、それに沿った形が生まれて来るのが正当だと思う。

2010年2月14日日曜日

法人税収が10.5兆円の意味

 テレビを見ていたら、菅財務大臣が「法人税は5兆円なんですよ、良い時は15兆円あった。ほとんどは赤字企業で法人税を払ってない。」と言った様に聞こえた。

 えっ、法人税が5兆円しかない?そこで確認しようと財務省のホームペ-ジを見たら、平成21年度の税収予測で、法人税10.5兆円、所得税15.6兆円、消費税10.1兆円と出ていた。「5兆円じゃないぞ、どこから出て来た数字だ」と思い、他の年度の数字を見てみると、法人税は平成19年度に14.7兆円あったのが、リーマンショック後の平成20年度には10兆円になり、差し引き4.7兆円も減ってしまっている。

 もしかすると、この4.7兆円減った数字の事を言って、「約5兆円下がってしまった、良い時は15兆円あったのに。」と言ったのをこっちが聞き違えて、「法人税収が5兆円しかない」と受け取ってしまったのかも知れないと思った。
  あるいは、新人の財務大臣の菅さんが誰かにレクチャーされたのを間違って聞き取ってしまったのか、ちょっと分からない。

 竹中さんの場合とかは滑舌が良く、はっきりした言葉の発音をするので、聞き取り難いことや聞き間違えはほとんどないが、語尾がもごもご言う人や発音のはっきりしない人の言葉は中々苦労する。

 しかし改めて法人税が3分の1になってしまったを、数字を見て実感した。あの時、当時の麻生総理は「日本にとっては蚊に刺されたようなもの」と言っていたが、それは総理だけではなく、多くの日本中の専門家と称する人達がそんな風に言っていたのだ。
 要するにほとんどの専門家と称する人達には、経済の、産業の、金融の繋がりが見えてはいないという事を、図らずも証明してしまったのである。

 

2010年2月3日水曜日

ダブついたカネが起こすミニバブル(少子化なのに、なぜ大学は増えるのか)

 景気を良くしようと国は紙幣を刷って市場へと流すが、一般の人達は中々無駄使いはしなくなっている。それではそれらの紙幣は一般じゃない人の所へ集まっていると言えるのか。 

 例えば、少しでも人気がある場所や土地や地域といった情報が流れると、どこに投資をしようかと狙いを定めていた資金が、どっと入りこんで来てバブルが起こり始める。

 そうするとあちこちの空き地や農地にアパートが建ち、古くなった住宅が取り壊されて、マンションが建設される。それが集中的に行われるもんだから、あっという間に供給過剰になってしまい、他の地域よりも空き部屋が多くなってしまう。そういったミニバブルは、貸家以外の他の分野でも当然起こり得るのである。

 一つの例として、教育の分野がある。随分と以前から、この国が近い将来は少子化社会になるという事は皆が知っていた。そうすると一人の子供に掛ける教育費が手厚くなるだろうという算段が働き、そこの分野に色んな所からの資金が入り込んでくる。その結果、全国の多くの自治体が公立なり私立の大学誘致を望み、次々と新設校が増えて行った。

 (数字をあげると、平成2年に507校だった4年生大学が、それから20年弱の間に758校になった。約1.5倍である。)

 そして多くの資金が投資されていった結果、それらの資金は元を取って利益を出そうとするから、一人の子供に掛かる教育費は益々家計に占める割合が大きくなり、デフレの時代が長引いているのとは逆に、そこだけインフレの道を歩んで来た。

 しかし、さすがにここの時点に来て、教育費が余りに高くなり過ぎてしまったのと、不景気が忍び寄って来ている事で、人々が認識を変え始めて来ているようである。

 また、子供をこれから持とうという人達も、余りの教育費の収入に占める割合の大きさに、子供を持つ事を止めようといった、一層少子化を進めて行ってしまう様な傾向が生まれて来ている。

 ある調査によれば、子供を持ちたい数は2.5人なのに、実際には1.3人というのが現状といった結果があり、その理由が「教育費が高いから」という事のようである。

 まさに高くなり過ぎてしまった家計における教育費の比重が、業界にもそして社会にも深刻なダメージを与え兼ねない結果をもたらそうとしている。

 以上の様な例に出した分野にばかりではなく、これからもこうした不景気の中にあってのダブついたカネ余りの状態は、日銀が紙幣を市場にどんどん発行すればするほど、ある期待が見込まれそうな場所や分野で容易にバブルを引き起こし得ると言えよう。

 このように時として行き過ぎた投資は社会や企業に悪影響を及ぼすような事が起こり得る。それ故、節度のある金融システムを構築して、社会の安定化をもたらし得るような仕組みを作って行って欲しいものである。


 新聞報道によれば、4年生私立大学を経営する学校法人の44.3%が2008年度決算で赤字だった事が、日本私立学校振興・共済事業団のまとめで分かったという。
 また文科省によると、平成15~20年度に新設された学部のうちの380学部を調査した所、約四分の一の100学部で学生数の過不足やカリキュラムの変更など、当初の計画通りに運営されていない事が分かったという。

2010年1月17日日曜日

デフレ克服で、インフレ政策を選んで良いのか

 デフレだという。円高で、中国から安い商品が続々と入って来る。100円ショップが各地に急激に広がっている。280円牛丼や、数百円のジーンズとかが話題になっている。
 
 安い輸入品が多く入って来ると、同じ様な商品を作っている国内製の会社の商品が思うようにこれまでみたいに売れなくなって来る。そうすると製品の単価を下げて価格競争する必要に迫られる。
 その結果、効率化や合理化が一層進められるようになり、従業員の給料が下がったり、品物の受注が減れば、従業員数も減らさざるを得なくなって来る。
 そういう人達が多くなってくれば、その人達が買う品物も少なくなって来るので、他の業種にも影響が及び、景気が悪くなって来る。

 一方で円高は輸入には有利に働くので、輸入業者は利益を得やすくなり、輸入品は価格が下がる事になる。その点では消費者にとっては好ましいと言える。また国内産業においても、原料の価格が下がるためにそれを元にした製品の単価や価格を下げる事が出来るので、国内産の原料を使うのでなければその点では相殺される面もある。
 しかし、国内産の原料を使った国内で生産される純国産に近い物は、大きな影響を受ける事になると言える。

 また、輸出産業においてもグローバルな大企業にあっては、以前からその傾向があった円高の対策は取って来ているはずであって、極端な話が、日本に10の工場があって、アメリカに10の工場があれば、ドルに対する円高の場合には、それ程に影響は受けない事になる。

 しかしながら、日本国内にあった工場が外国に移転するとなると、国内で働いていた従業員は、移転に伴って外国へ行く事が出来なければ失業してしまう事になる。また親会社の工場が移転する場合には、下請けの工場も移転する必要性が出て来るので、そうした事情で国内では失業者が増え、雇用の機会が減る事になってくる。

 だから国内においては、新しい産業を生み出して雇用の場を確保し、収益を上げて行かなければならないのだが、ここが上手く行ってない。

 そこで出て来るのがインフレにしたら、上手く行くのではないかといった考え方である。金融の小手先操作だ。分かり易く簡単に言うと、カネをばら撒けという事だ。しかも、総理大臣のような金持ちがカネをばら撒くのではなく、国が印刷機で紙幣を刷ってばら撒くのである。それを市場に流して、インフレを、もっと正確に言うと、徐々に物価が上昇して行くようなインフレを起こせないものかと考え、それを実行しようとするものである。

 計画的な制御されたインフレである。そうすれば国の膨大になった借金を少しでも目減りさせる事が出来、住宅ローンなど国民の借金も軽減させる事が出来て、その分の所得に余裕が生まれた幾らかは消費に回ると考えられ、景気が上向くのではないかというのだ。

 これをどうやって実行するかというと、国が国債を発行して、銀行がその国債を買う。そうして現金を得た国は、市場に子供手当や農家への所得個別補償、あるいは高速道路の無料化へといった事によって直接に個人へとおカネを給付する。
 また日銀は、低利で金融機関におカネを貸し、市場へ流そうとするが、物を作っても中々売れないので、低利でも借りようとする人は少ないようである。さらにはおカネをもらっても、将来の不安に備えるといった考えから、貯蓄に回す人も出て来るので、思ったより効果は出て来ない。

 しかしこれをやり続けるとどうなるのかというと、国債残高はさらに膨らみ続け、市場に出回るカネがだぶつき始めて来る。そうするとただでさえ膨大な国債残高の上さらに膨らむ事になるので、国債の方が先におかしくなって来る。要するに国家の信用が失われて来るのだ。収入も無いのにお札ばかり刷っている国家を運営していると見なされるようになれば、国債の長期金利は上昇し、国債の暴落が心配されて来るのだ。つまりはこの国の国債は信用できないとなり、その結果、ついに国債は暴落してしまい、経済は混乱状態になって、国家財政は破綻の結末を迎える事になる。

 じゃあ、どうすればいいのか。収入に応じた生活をするか、売れる物を、外国に買ってもらえる商品を作るしかない。あるいはもっと外国の人に旅行に来てもらって外貨を得るか、もしくは職のない人は海外へと職場を求め、外貨を得て、日本に残っている家族とかに送金して、それぞれの生活を成り立たせて行くしか方法はない。

 しかしながら、こういう危機感をもっている人間は一部で、多くの人がのほほんとして、大地震とか、強毒性のインフルエンザとか、首都圏水浸しとか、そういった論調の中に含まれる脅かしの部類だろう位に思っているに過ぎない。これら様々な危機にも脅かしの部分はあるかも知れないが、そうでない部分もあるので、危機対策を実施する事による利害関係のないところで、危険性のレベルを検討する必要がある。

 国の借金をこれ以上増やす増やさないにしても、インフレに期待したい人間とそうでない人で意見が割れる。それぞれの立場で、自分にとって都合のいい方の政策を指示するので、公平な立場で、しがらみのない人間が判断しないと、間違いが起こり易いと言えよう。

 この国の経済や財政への国民の危機意識が薄いのは、給与が安定した公務員や政治家が国のかじ取りをしているという側面もあるのであって、そういう人に限って、まさかそんな事はないだろう、何とかなるだろうと楽観的になっている場合が多いように思えるのだが。
 自動的にかつ安定してこれまでカネが入って来ている人は、まさかある時に突然収入がストップするなんて、本気で考えはしないのではなかろうか。どうにも不思議でならない。

 

2010年1月10日日曜日

意図が読めない二人の財務大臣の発言だが、何となく分かるような

 昨年の11月だかに為替が1ドル84円になった時、当時の藤井財務大臣は円高容認で、「為替介入は致しません」とか言ったと思ったけど、それが年が明けたら財務大臣が交代して、こんどは「90円代半ばが適切だ」と言った。

 この所の為替は円安に推移して来ていた所なので、何で突然言い出したのか真意が掴めない。だったら、84円の時に言うべきだろうにと思う。つまりは、政権内部の意見の不一致なのか。ここでも総理大臣は機能してない訳か。やっちゃった後にああだこうだ言ってもなあ。ミサイルを撃ち込んだ後で、「僕は撃ち込むようには言ってません」と言っても、もう遅いって事もありますよ。

 つい何年か前は、トヨタがGMを抜いて世界一の販売台数を記録した、とか言ってたと思ったら、今度は中国がアメリカを抜いて、自動車の販売台数が世界一になったという。目まぐるしく世界が変わるのか、あるいはマスコミが前もって報道しないのか、それさえも分からない。

 たぶん輸出企業にしても、かなりの在庫を抱えているのではないかと想像できる。それの整理が付くまでは、中々生産を増やす事は出来ないだろう。また、赤字決算の前年が黒字の場合は、その年に支払った税金の還付を受ける事が出来るという。さらに、ドル安で円高の場合には、輸出品が割高になって不利に働くことは一般に言えるが、多くの大手企業は米国やその他の国にも工場を持っていたりもする。
 そのうえ材料は円高ならば安く手に入る訳で、その分コストが下がり、原材料を手に入れる国のレートがどうかはあるが、円高が丸々不利になるかというとそうとも言えない面がある。だから軽々にどうのこうの言うべきではないというのは正しい考えだと思う。

 巷では需給ギャップが35兆円あるとか騒いでいる。物を作り出さないと、従業員は生活して行けない。しかし物はみんなに行き渡ればある程度落ち着いて伸びは止まる。
 作り過ぎ、そしてカネ余り。この場合のカネは、輪転機でどんどん刷って、安い金利で市場に流れだすカネだ。このカネがまたどこかでバブルを作り出す。


 思い起こせば、リーマンショック後に、「日本には大して影響はない。蚊に刺された程度だ」といっていたが、その内、「日本は数字で見ると、もはや内需主導型国家と見るべきで、外需の比率はそう高くはない。いまだに外需主導と思ってる人は、経済を知らない人だ」という論調に変わった。その後に、外需の影響が思ったより大きいと分かって来ると、「外需に頼っていたのが悪いんだ。これからはもっと内需に力を注がなければダメだ。一にも内需、二にも内需」と誰もが一斉に内需振興を叫び出した。

 現時点ではどうなっているかと言うと、内需を活発にする事は必要だが、それだけではなく、外需によって税収を確保する事は重要という訳で、両方ともに活性化を計って行こう、という事らしい。

 つまり砕いた言い方をすると、こうなのだろうか。民主党だから、社会主義に近い人が多いので、内需を盛んにし、自給率を上げ、自給自足に近づけようとしたが、とても無理と分かり、やっぱり輸出産業で外貨を獲得し、税収をアップさせないとやっていけないという結論になったのだろうか。

 何はともあれ、内需と外需をともに活発化させ、為替を安定させる所に落ち着けば、それがベストなんじゃないかと思う。

2009年11月26日木曜日

日本の産業の未来

 金融を操作したり、経済政策を多少打った所で、一時は持ち直す事もあるかも知れないが、肝心の産業が回復しなければ、どうにかなるものではないと思う。

 良く携帯電話を例に出して、日本製品のガラパゴス化が論じられるが、例えば国内で売れて内需に寄与したとしても、一個人にしてみれば限られた収入から支出している訳で、他の物を買うのを止めて携帯を買ったのであれば、全体の経済効果からいうと同じで、そこから生じて来る国の税収もそうは変わらない事になるでしょ。

 だから外国で売れてこそ、外貨を獲得する事が出来、税収も大幅に増える事に繋がるのだと思う。
 
 繰り返す様だが、いくら内需を盛んにしても、結局、収入の範囲、あるいは多少貯蓄を取り崩す程度になるのだから、大きな税収増は期待できない。それ故、やはり海外に売れる物が、どうしても必要になる訳である。

 ところが、これまでの日本がどうであったかというと、欧米の作った製品を真似して同じような物を作って行けば、先進途上国のメリットもあって、貿易の収入がどんどん増えていって、様々な社会整備も産業の技術力の方も進んだ。

 しかし先進国になった今、これまでと同じ事をやっていたのでは、かつての日本がそうであった様に中国やインドやブラジルといった国から追い上げられて、もはや中国にかつての座を奪われ様としている現状がある。

 だから産業そのものを劇的に変えて、世界で売れる商品を作っていく必要性に迫られている。
 それには、「これは自分達が作った非常に良いものだから、客は買って当たり前だ」的な発想では、さすがに国内ではそれが通用しても、海外では通用しない事を肝に銘ずべきだろう。殊にソフトの面に関しては尚更である。

 これまでの様な価格競争では後発国に勝てないという事で、各企業は付加価値を付けた商品の開発の方に力を入れて来た訳だが、今までの所は必ずしもそれが上手くいっているとは言えない。

 相手国のニーズに合わせた商品開発が求められるし、他国と同じ物を作っていたら物価、賃金の安い後発国には勝てない。

 それ故、新製品を作ってしかも圧倒的な技術力での売り込みを図っていかないと、もはや立ち行かなくなって来るのだろう。

 これからの日本が採る道は、地球レベルでの環境分野に貢献する技術力の高い製品を作って、更には苦手な英語を磨いて行かねばならないのかも知れない。

 学校教育はそれに向けて、劇的に変わる必要に迫られて来るのだろう。これまでと同じ様な教育のやり方では、いくら資金を投入しても目に見える成果は挙がらないと思われる。
 ものを覚えてただ知っているだけでは、コンピュータに敵う訳はなく、計算や単なる知識を競うだけでは、もはや学習の意味はないと思われる。

 他にないものを作り出す能力、仲間内だけではなく、世界の人々に同じような感覚で感動を与えられる様な能力を身に付ける事の必要性を痛感する。

 アメリカという国は世界中から優秀な人材を集めて国づくりをして来たが、それに対して日本はというと、優秀なというか多少毛色の変わった人材を異端として排除して国家づくりをして来た印象は否めないのではないか。

 こうした若干村八分的な排除の論理を引きずって今日に至っている敢えて言わせてもらえばその教育界に、いくら資金を注ぎ込んでも、結果的に無駄に終わる事は、今日の教育界の現状が変わらなければ、目に見えて明らかなのではないだろうか。

 この国の教育界は、一部だけか蔓延しているかは分からないが、妬みと村八分的な考えから抜け出ていない所があるとどうしても思わざるを得ない。だから例え優秀あるいは変わり種の才能であっても、新しい人が国内で最初に認められる事は滅多になく、そのほとんどが最初は外国で認知され、そうなってから国内で仕方なく認められるという全く恥ずかしいお粗末な結果を日本国民は嫌というほどこれまで見せられて来ている。

 こんな風で、これからもこの状態を続けて何の成果が期待できると言うのだろうか。この国の教授という人達の中には、自分と違う意見を言われると切り返しや反論をする事をせずに、恨んで反発するだけの学問には全く不向きの人が結構いる様に思われてならない。
 しかしそれでは生徒は皆イエスマンになって、その教授以上の成果なんか出せるはずがないのであって、この時点でもうほとんど教育の成果に期待が出来なくなってしまうのである。


 若い人がいくら画期的な成果を上げたとしても、皆結果的に潰す様な事をしてしまっては、国は結局滅びて行くしかなくなって来るだろう。

 こうした絶望的とも思える状況をもし打破出来るとすれば、海外から多くの優秀な人材を受け入れ、閉鎖的な教育界の環境を変えて行くしかないと思われるこの頃である。


 以上生意気な言葉の数々に、読まれた方は嫌悪を抱かれたのではないかと思われるので、ここに該当しない多くの先生方にはお詫びをしておきます。
 昔から良く言われた、「お前みたいなバカが偉そうな事を言う立場にはない」と。立場に無い事は重々承知していた。しかし、バカでも国を憂える事があるのだ。バカを承知で名前を晒して、止むに止まれず言っているのだ。という事を、多少とでも分かって頂けたら幸いです。

2009年11月2日月曜日

東京都葛西臨海水族園で見たアクリル樹脂製のドーナツ型水槽


傷には弱いアクリル




 マグロの泳ぐ大きな水槽は、アクリル樹脂板を何枚も貼り合わせたもので、ガラスよりも丈夫で加工がし易く、かつ安全であるため、今日の大型水槽には欠かせなくなっている。

 ここの水槽は大手の他社製だが、大型のアクリル樹脂製の水槽を作る技術で世界的に高い評価を受けている日本の中小企業に、香川県にある日プラという会社がある。

 この会社は日本では無名の中小企業であったために、大型水槽の受注が中々出来ないでいた。そんな時にアメリカのモントレー・ベイ水族館の大型水槽の受注に成功し、その後一躍その高い技術が世界に知れ渡るようになった。

 この時、水族館側はコンペに参加した数社からアクリル板を提出させ、強度実験をして最終的に日プラに決めている。その時の採用基準は、どこの国とか、一流会社とか、賄賂とか、コネとかではなく、純粋にアクリル樹脂の強度や水槽の安全性で決めている。

 その辺りが、日本の場合には難しい面があると言われている。先ず一流企業ではなく、経験がなかったり浅かったりすると、安心感が無いやら何かがあった時の保証の点などで、知名度のない中小企業の新しい技術とかには二の足を踏んでしまう事になる。

 しかしその様な事では中小企業の技術開発は進歩しないし、自立して行く事も出来ない。結局は大企業の下請けをするだけになってしまい、その大企業が本社や工場を海外に移転すれば一緒に付いて行かざるを得なくなってしまう。あるいは親企業から回って来る仕事が減れば、縮小するか工場をたたむしかなくなってしまう。

 だから日本の一流企業やこの社会が、中小企業の独創的な高い技術力を認める様な風土が無いと、下からのボトムアップは起きて来ない。

 もしこのまま日本の国が何の手も打たなかったら、グローバルな大企業は海外へとその軸足を移して行かざるを得なくなって来るだろう。そうなると雇用問題は益々深刻化を深めて行く事になる。

 そして遂には海外へ出稼ぎに行くという事態にならざるを得なくなる。日本の若者が中国へ、ブラジルへ、インドへと働きに行く時代が近い将来にやって来るかも知れない。