例えば、ある情報誌があるいはある人が特定の商品や会社を褒めたとする。その場合、それが広告なのか、あるいは客観性の高い情報なのかその情報の受け手としては見極める必要に迫られる。
その場合、見極めが難しい時に最後の判断基準になるのがその媒体の信用度なのである。つまり商売、取り引きの根っこはとどのつまり信用と言うことに尽きるのか。
もちろん自分の目で判断する事は言うまでもない事ではあるが、それでも判断しかねる所が出て来れば、それはもうどの個人をその会社をどの程度信用出来るかどうかに掛かって来るのである。誰であれ、あらゆる事を自分の目で確かめる事は不可能であるから、その人がカネをもらってそれを褒めているのか、もらわずにそうしているのかは、政治家であれ、広告と明記しない情報であれ、その人間がどういう人間かを判断して決めるという事に、最後はなるのであろう。
しかし総てを全面的に信用してしまうというのも、利口な人間のする事ではない。個人にしても、会社にしても常に金銭的に余裕のある状態であるとは限らない。時には厳しい状況に追い込まれる時もある。
そうなれば人間であるから、多少とも宣伝的な情報をそれと分からないように流す場合もあるやも知れない。しかしそれはある程度は認めてやらねばならないだろう。そうしないと、良心的な人間は皆死に絶えてしまって、弱肉強食の何でもありの世の中になってしまわないとも限らないからだ。
例えば、マスコミなどで時おり激安の店とかやるでしょ。あれなんかも判断が難しいのがあったりする。しかし宣伝費をもらわずに激安店をテレビなんかで放映したとしても、本当に年がら年中激安で売っていたら、先ず店が潰れてしまうと思う。
それこそ目玉商品として限定した量だけ安売りするのが普通で、それでお客を呼び寄せて、ついでに他の商品を買ってもらう事で儲けを得る訳である。
その他にも、形が不揃いだったり、多少の傷があるものや作り過ぎてしまった物、あるいは売れ残ってしまったり、売り上げの数字をどうしても達成したいがために、損を覚悟で売りに出したり、または流行が思いのほか続かずに流行遅れになってしまったり、倒産した会社から安く仕入れたりした商品など、様々な理由から安売りは行われるが、ほとんどがその量は限られていて、少ない多いの違いはあれ、恒常的に安売りが続かないのが普通である。
ずーっと安売りを続けようとすると、儲けなくても良いという哲学と家賃を支払う必要のない自宅兼店舗での商売なら、やっていけるだろうが、中々今どきこういう人は少ないのが実情であろう。
例えば、あるファーストフードチェーンの場合であるが、ある時安いコーヒーの味が良くなった。アレッと思って、それからあちこちの店で飲む機会が増えたが、店によってバラつきが見られた。また味の良いコーヒーを出す店であっても、前に戻ったりする事もある様であった、
店舗によって家賃も店の造りも客数も皆同じ所はない。その中でいかにして客を増やして利益を出していくかが問われる訳だ。
ある時大阪のとある場所のそこの店舗に偶々車で通り掛かって入った。そしたらコーヒーは旨いし、100円でお代り自由だし、新聞はスポーツ紙から一般紙まで揃っているし、椅子は良いしスペースも広かった。朝のべーグルサンドも高くないし、随分と得した気分になったが、一方で店としては採算は取れない事は確実である。
しかしこういうチェーン店が最高の利益を上げているという事は、必ずや他で儲けているからであって、全部がこういう店である訳がない。でも、今まで行かなかった人が、偶々入った店で、何か良かった思いをする事があれば、次にも行く訳で、そこは期待外れだったとしても、この次は良いかもしれないと何回かは訪れる事になる。
それでまた気に行った印象を持つ店が見付かれば、その人は新たな固定客として根ずく様になるかも知れない。
他の儲かっているチェーン店なんかを見てもそういうやり方をしている所が多い様に思われる。
だから良く一番安い店を教えてくれなんて質問があるが、総ての商品をどこよりも安くしていたら、倒産の危険が高くなる。チェーン店であれば、店によって価格を変えて利益を確保しようとするし、商品によってもある時はこの商品、また違う時にはこちらの商品と替わるのが普通である。
それ故、あっち見たりこっち見たりと時間を掛けなければ安くて買い得の商品は見付からない。
だから、もしどこそこの店で買い得商品を売っているとここで書いたとしても、それを見て行っても、同じ物はもうないかも知れない。旨いレストランという評判で、足を運んだとしても客を集めた所で、味を落として来るかも知れないし、この機に店舗の拡大を図り、味の秘伝をもって、店主は新店舗に行ってしまうかも知れない。
また代が替わると、方針が違ってきたり、もっと儲けを出す事に重点を置きだしたりと変化して来たりする事もある。
行き着く所は、人柄ではないかと思う。その人が信用できるか否か、それしかないのではないだろうか。