2010年6月3日木曜日

リーダーの責任とは

 ある町が、丘陵部を開発し、人口がどんどん増えて行った。人口が減って行くより、増えて行く方が好ましいと皆思う訳である。

 しかし住民が増えて行くと、住民サービスも必要になって来る。例えば保育園、幼稚園、小中学校、公民館、上下水道、道路整備など様々な費用が掛かる。

 その町に大きな工場でもあれば、税金がドンと入るから、お金持ちの自治体になるが、そうでないと、自治体の持ち出し分が多くなってしまう。
 それらの分は、国からの交付税で穴埋めして財政が回って行くのだが、全部が国の補助金で出来る訳ではないので、自治体の起債(借金)も含めた持ち出し分は、当然の事ながら増えて行く事になる。

 そしてついにある日、地元にあった中堅どころの企業も、国内にあっては人件費や税金の総額が大きすぎて、国際競争に勝ち残れないという事で、海外に移転してしまった。

 そうなれば自治体は、その分の税収が入らなくなり、かつ住民の雇用の場も失われるで、不景気の時代に失業増と税収減のダブルパンチに見舞われる。

 これまで来ていた国からの交付税にしても、国自体が世界一の借金を抱え込んでいるために、次第しだいに減って行かざるを得ない。

 もはやこのままでは財政運営に困難を来たし、夕張市の様になってしまうと歳出削減に乗り出さざるを得なくなった。

 そこで市長の出して来た案が、多額の維持費が掛かっている町の文化ホールの長期休館、町職員の給料カット、市民税の増税だ。

 
 日々の新聞を見ると、国内企業がどんどん海外へ工場を移転しているし、「これからは世界の工場である中国が、日本よりも重要だ」とアメリカは言うし、日本は国の借金と老人しか残らなくなってしまうのだろうか。このままで行けばの話だが。

 こうした導きの結果を出すと、どこかの方から「お前は悲観論者だ」と言われる。直接は言われないが、僕を取り巻く工作員方々がつぶやくのが聞こえる気がするだけだ。

 多分彼らは、楽観主義者になって笑って過ごせば、そのうち神風が吹いてどうにかなるさと思っている感じである。

 若い人や若い従業員では、それも仕方ないと思うが、少なくともリーダーとしては無責任と言える。