2010年3月19日金曜日

日本再生へ(新しい産業と教育)

 ニュースによると、日銀は銀行への低金利での貸し出しを10兆円の予定から20兆円の倍に増やすのだという。
 
 それって何のため?35兆円だかの需給ギャップがあって、物を作っても売れないのに。何で民間企業が借りるんだろう。それに資金を作るのに株の増資をして新株を発行したり、社債を出したり、自分で集める事が多くなっているので敢えて銀行から借りなくても済む場合が多いんじゃないの?
 中小企業にしたって、大企業から仕事が入って来なくて仕事が減っているのだから、カネを借りても仕方がない。 

 そうすると民間銀行は、またぞろ国債でも買うのでしょうか。こうなって来ると国民から預かった預金で国債を買うのではなく、日銀から借金して国債を買うパターンになる。
 これは結局、国が自分で紙幣を刷って、国の予算に充てる事と同じになる。紙幣が20兆円ばかりじゃぶじゃぶと市中に流れる訳だ。

 しかしこういうその場しのぎをやっていても、そのカネを使い切ったらまた元に戻る事になり、再び同じ事をやらねばならなくなる。

 そういった小手先の、その場限りの対応しかやって来なかった結果、問題は少しも好転せず、悪くなる一方である。にも拘らず、良くなっていると期待感を垂れ流している場合が多い。それは恰も敗戦の連続であるのに、連戦連勝と言い続ける過去の例と似てなくもない。


 現実を認識して、次に打つ手は何かを考える、これが手順だと思う。
 例えば、建設現場には重機が入り、あっという間に人手を掛けずに仕事をしてしまう。そうかと思えば、計算機は驚くべきスピードで複雑な計算をする。様々な事務処理をパソコンは簡単にこなす。工場は機械化されて、人手は益々必要なくなる。

 そうなれば、これまでにない新しい産業を興さなければ、人々の働く場所は確保されず、社会は失業者などの余剰人口を多く抱え込む事になる。

 新しいハード、ソフトの産業と言っても、人々を堕落させていくようなものであってはならない。やはり人々がレベルアップして向上して行く類のものでなくては人類は衰退に向かうのではなかろうか。
 
 これまでの歴史においては、人々は暮らしを便利にする道具を作り出し、それが広まる事によって、家事や雑用、仕事の一部が楽になった。しかしあらゆる事が便利で楽になる事に慣れ親しんでしまうと、人は今度は怠け者になって行き、おバカになって仕舞いかねない。

 古代ギリシアでは、きつい労働は奴隷が行い、市民は自由な時間で政治を語りあったという。今日では機械が重労働は代わりにやってくれる事になるならば、空いた時間に人々は政治や社会や経済について学んだり、討論したり出来、社会はより良くなって行くと思われたのだが、実際はそうなってはいないのではないか。

 そういう方向に近づくような考えを持って、人々がそこにおカネを出したがる新しい産業が生まれるのが一番いいと思っている。人々がおカネを出そうと思わなければならない。しかもそれは人々が堕落して行く方向ではなく人間としての価値を高めて行ける方向に行く事が望ましいのであるから。

 そして世界に受け入れられないとダメだな、ウオークマンみたいに。そういえば、コンピュータもウインドウズも携帯電話もiPodもみんなアメリカだっけか。ハリウッド映画もそうだな。
 この所日本の映画も頑張っているが、なんせ国内オンリーだからなぁ。

 勉強のシステムでももう少し変えたら何かが変わるかも知れないけれど、その気配さえもないからね。