2010年11月13日土曜日

比企一族の墓 ー 元八幡 ー 披露山公園



                                            
妙本寺にある比企一族の墓





ここは比企ヶ谷(やつ)と呼ばれ、鎌倉時代に比企氏の館があったと言われている。

比企氏の出は埼玉県の比企地方で、源頼朝やその子の頼家の乳母、つまり育ての親のような立場に付いたことから、その一族が政治の実権を握るようになった。

そのため、頼朝の妻で頼家の母親であった北条政子側の北条一族との対立が深まって行き、ついには、ここの館で北条氏に滅ぼされてしまった。







比企ヶ谷の鬱蒼とした樹木





        幼稚園の建物も独特です。
 
 
 
 
 
                     道路脇のお堂にあった五輪塔

 
 


                           
                       石清水の井

 
 
 
 横須賀線の線路を渡って、狭い路地を入って行くと、このような古びた石造りの井戸があった。
 近くには芥川龍之介が横須賀で英語の教師をしていた頃に住んでいた場所がある。
 彼の著作の中に次のように記されている。


 「彼等(芥川と新婚の妻)は平和に生活した。大きい芭蕉の葉が広がったかげに。 ― 彼らの家  は東京から汽車でもたっぷり一時間かかるある海岸の町にあったから。」


 ここでの生活は長くは続かず、一年あまりで彼が新聞社の作家になったために、東京の田端に引っ越す事になった。

 上の文章にもある様に、田端へ引っ越して伯母たちと一緒に暮らすようになって、平和な生活に波風が立つようになって来る。

 
 



 その細い路地の先に、今の鶴岡八幡宮が最初にあった場所とされる八幡宮の元宮(元八幡とも言う)がある。
 この地は頼朝が鎌倉に幕府を開く以前の古くから、源氏一族が所領としていた。




 
 
光明寺に隣接した江戸時代頃と思われる墓石群





                       鎌倉市街地方面を望む

 
 


                     披露山公園から見た逗子湾