2011年10月30日日曜日

机上の勉強では身につかない観察眼


上の写真はJR青梅線の青梅駅ホームにあるそば屋さんである。これを見て若い二人が言い合っていた。

一方は、古めかして作ってあるものだと言い、もう一人は自然のままで、以前作られたものが、次第に古びて来ただけだと言っていた。

ここで問われるのは確かな観察力に基づいた判断力である。観察して、様々な蓄えられた知識をもとに判断する訳である。

最近では技術の向上で非常にレプリカが良く出来ているから、博物館で近づいて良く観察しても分からないようなのがある。
だから入口の看板でも端のさびが本物のかどうか中々分からない場合もあるだろう。しかしそこは想像力を働かせるしかない。

例えばこうだ。「ばそ出ひ想梅青」の文字は右の方から読むように書かれている。今の横文字を書く場合とは逆である。そこからかなり古いことが知れる。何十年も前それも戦争の前後の頃にまで遡ることが考えられる。さらには今では「い」と書く所を「ひ」と書いてあるのもその頃まで遡る古さだと知れる。

そして看板の端にさびが見えるので、ブリキのような金属であることが分かる。そのブリキのような金属がどのくらい持つものか、あるいはさびが出て来るのに何年くらい掛かるものなのか、生活の中から大体分かって来る人も多いのではないかと思われる。

あとは書かれている文字の色の濃さである。何十年も経っていれば当然文字は最初の色の濃さを失って、この看板の場合、黒い色は薄くなって読みにくくなって来て当然である。

また建物の木の部分だが、塗られている黒っぽい色と木の地の部分がハッキリとした境目になっていて、時間の経過によって自然に色が剥がれ落ちて来たようには見えない。

このような観察眼は、教科書や参考書を覚え込むだけの机上の勉強では身に付かない。いかにそういうものを時間と労力を掛けて覚え込んでも、実際に現実社会では役立たないという悲劇的なことがあちこちで起きていると思われる。