旧中山道の大宮宿があった場所は、JR大宮駅東口から100メートルそこらの所を通っている。だから現在ではオフィスビルや商業ビルが建ち並んで、旧街道の面影はほとんど見られない。
そんな中に、古びた倉や瓦屋根の建物が残っていたのが最近取り壊されて、さら地になったのが上の写真である。どこの旧街道にも見られる様に、街道に面した間口が狭く、奥に長く延びる敷地で、ウナギの寝床と言われるさまが見て取れる。
江戸初期の中山道は現在の旧道より東の方にある氷川神社の参道を通っていた。それを1628年に一の鳥居の所から新道を造り、現在の旧中山道の道筋になったという。
恐らく宿場町を形成して行くのにさすがに参道では都合が悪かったのであろう。
氷川神社には男体社、女体社、簸王子社が祀られていて、江戸時代には祭祀はそれぞれ東角井家、西角井家、岩井家の三社家が別々に行っていた。その結果、三家の間に本社争いが起こり、訴訟になったという。
明治時代になり、鉄道が交通の主流になって来ると、大宮は鉄道交通の分岐点になり、国鉄の大宮工場も出来て、鉄道の街として発展して行った。
桜の向こうが一の鳥居
氷川神社
左下にあるのは東北新幹線の車輪