東京と、その周辺の県を訪れて、ランダムに記事にしていったブログです。東日本大震災以降、建物の耐震化の面からも建設需要が高まっているので、最近はその取材が多くなっています。 その他に政治・経済・教育などのミニ論評も挟んであります。
2010年4月9日金曜日
相次ぐ天窓事故から見えて来るもの(学校はどうなっているのか)
学校の屋上に写真の様な半球形状の天窓があり、そこに走って来た子供が足を乗せて踏み抜いてしまって、下まで落下して亡くなる事故が以前にあった。この場所でも、白く光っている丸くなったプラスティック部分に子供が乗ったりしているので、もしやと思って調べてみた所、天窓にはなっていなかった。
今朝も、テレビで学校の校舎の屋上にある天窓から生徒が落ちたと流れていたニュースをチラッと見たが、一体学校の教師達は何をやっているのかと思ってしまう。
学校の屋上に写真の様な形をした天窓がある校舎があって、それが全国にどの位の数があるのか知らないが、それは太陽の光を採り込むためにあって、材質はプラスティックで出来ている場合が多い様である。
プラスティックは数十年前はコンクリートと同様に半永久的と考えられていたが、今日ではプラスティックのスキー靴の部品が壊れた事故とかで、プラスティックは劣化する事が一般的に知られるようになったし 、日常でもプラスティックの洗濯バサミは、時期が来ればほとんどが同時期くらいにボロボロに壊れ出す事は皆が経験している様に思う。
だからプラスティックで作られた天窓は古くなれば劣化し、壊れやすくなる事はそれを作った業者も知っているし、教師も知っていなければならない事であろう。もし仮に知らなかったにせよ、屋上へ何らかの理由で生徒をあげた時に、屋上の柵とか天窓の危険性とか頭に思い描き、それへ注意を払う様にといった事前説明を十分にし、なおかつそこに乗ると壊れて下に落ちる危険性があると、注意書きをしたり、柵を巡らせる事が必要である。
にも拘らず事故が相次ぐという事は、予測できるものを予測する知識も能力もない教師が結構いるという事か。さらには情報さえもまともに伝わらない教育の世界だという事なのだろうか。これは事故を起こした管理者一人の問題というよりも、教育界全体の問題として捉えるべきだと思われる。
政治家のカネや国家予算や税の使い方とかはマスコミで良く報道されるので、その実態が国民に知らされる面が多い様に思うが、学校の中の様子はほとんど一部分しか放送や報道をされた事がないので、中々国民にその実態が分からないというのが実状だと言えよう。
以前は、川でも池でも何でも柵をするみたいなのが一時あったが、危険な事には一切近づくなとか、リスクを一切取るなとかいった事ではなく、こうした場合にこういう危険やリスクがあると教えるのが年上の者や親や教師だと思うが、その能力さえも失われてしまったのであろうか。由々しき事態の一端を垣間見る思いがする。
この国の制度疲労はハッキリ言ってどこから手を付けて良いのか分からない程酷い状態の様に思える時もしばしばある。
ところがその対策は徹底されてはいないというか、どこにも手が付けられていないといった様相なのである。