という訳で、日銀本店の中を見学して来た。そうはいっても、本店は本館・旧館(東側)・新館(北側)に分かれていて、中を見る事が出来たのは明治に建てられた本館のみだった。
実際に業務をやっているのは新館の方で、本館での業務は行われていず、過去の建築遺産を見学しているという感じだった。
ガイドの方は関東大震災でもビクともしなかったと言っていた。何か表面は石造りで頑丈で重そうな印象があり、この日本橋は江戸時代には海に近かった事でもあり、埋立地ではないにしても地盤がそれ程良さそうにも思えないのだが。というモヤっとしたものがあり、ちょっと調べてみた。日銀のホームページを見ると、こう出ていた。「当初は総石造りの予定だったが、明治24年(1891)の濃尾大地震の被害状況から地震の多い日本では欧米の様な総石造りは適さないと判断し、積み上げたレンガの上に外装材として石を積み上げるという方法に変更し、建物の軽量化を図った。石の種類は地下1階と1階が厚い花崗岩、2階と3階が薄い安山岩」。
さて日銀の業務についてだが、その主なものの一つに金利政策があり、金利を上げ下げする事で物価の安定を図っている。
以前は公定歩合の上げ下げによって調整を図っていたが、金融の完全自由化以降はオペレーション(公開市場操作)という方法で調整している。これは短期金融市場で民間銀行などから国債を買う(正確には、国債を担保に現金を貸し出す)操作により金利を下げたり、逆に国債を民間銀行に戻す事によって金利を上げたりしている。
つまり、日銀は例えば市中に資金が不足して来たと判断すると国債を担保に各金融機関に資金を貸し出して、資金不足の解消を図り、反対に資金が増え過ぎたと思った時には国債を銀行などに返して現金を引き取る、といった事をしている。
またこの他にも、市中に出回っている紙幣は日銀に戻って来た時点で、古いものを破棄し、新しい紙幣と交換する事も行っている。
交換の目安は、1万円札が4~5年で、千円や五千円札は1~2年という。
そして今時点で市中に出回っているカネは81兆円で、年々増加傾向にあるという。