博物館はJR常磐線の亀有駅で降りて、北へと2km以上は歩いた道沿いにある。散歩がてらに葛西用水の遊歩道を歩いた。 それにしても、この常磐線の駅が中々どうして分かり難い。常磐線は上野から水戸を経て仙台まで行っているが、上野駅から出ている常磐線に乗ると、どの電車も北千住駅と松戸駅間にある綾瀬、亀有、金町の各駅には停まらない。
この3駅に停まるのは地下鉄千代田線の電車である。そして北千住駅から取手駅までの間はこの地下鉄千代田線電車の車両が常磐線の各駅停車を兼ねているというのだ。
そんなトリックは時刻表を見ただけでは解けないだろう。
という訳で、葛西用水の遊歩道を歩いていると、ムムッ、日時計があった。その時、丁度学校のチャイムが鳴ったので、腕時計を見たら3時10分だった。
そして日時計を見ると、な、な、何と3時10分を正確に指しているではないか。日時計侮るべからず。
途中で大きな団地が目に付きました。足立区はこうした大きな団地が多い様です。
また少し用水沿いを行きますと、今度は流れの中にサギのような鳥の作り物が置かれていました。その先には、亀の作り物が石の上に見えます。へーっと思って、橋の上から覗いてみたら、えっ、首が動いた。そう、本物だったのです。
そうこうして歩いている内にやっと博物館に着きました。塀際に置いてある石仏を見てから、裏庭の案内があったので、そちらへ行った。
蛇が彫られた珍しい道しるべがあった。良く見ると、頭部の下辺りが膨らんでいて、コブラの様だった。
緑の少ない住宅街の中にあって、ここの空間だけは草木の香りでむせかえる様な別世界だった。
東京の足立区の辺りは、海水が川の相当上流の方まで上がって来て、いわゆる汽水の状態であったために農業用水としては使えず、上流からの水を溜池に貯めて利用していたが、江戸時代の中期頃になると上流からの堆積土が増えて機能を果たさなくなって来た。そこで利根川から見沼代用水や葛西用水をを引いて来る様になった。
地図を見ると黄緑色の部分が多い。7~8割が水田である。
大正時代頃か
昭和30年代の団地の部屋。どこの博物館でも良く見かける。