2010年3月30日火曜日

「勝者の歴史」と言うけれど

 歴史なんて、結局は勝者の都合の良い様に書かれるのだから、当にならないという人がいる。でっち上げる人はいつの時代にもいた。今だってでっち上げをやる人はどこにでもゴロゴロいる。
 だからと言って他の人たちはそれを許している訳ではない。正しい事を伝えようと必死になって闘っている人だっている。

 昔もそうだったのだと思う。勝者、権力者は自身の悪事を隠し、善行をでっち上げ様としたに違いない。しかし一方で真実を残そうと努力した人達がいた事も否定できない。
 つまり、あなたがどちらの側の人間かという事を歴史に問われているのである。どうせでっち上げなんだから、どうでも良いんだといった、黙認型か、それとも真実を歴史に残さなければならないと強く思う方の側かが。

 例えば日本の歴史を見た場合、最も自身に都合の良い様に歴史を変えられた可能性が高いと考えられるのが、250年もの長きに渡り、実権を握ってきた徳川幕府のその基礎を作り上げた徳川家康、彼こそが勝者の歴史をでっち上げるには、最も可能性を持った人物と思われる。

 では彼は日本の歴史の中で最大の偉人として伝え残されているのだろうか。イメージとしてどうかと言えば、「狸ジジイ」とか「辛抱強い」とか少なくともあこがれのイメージはないのである。現代では、織田信長や武田信玄や上杉謙信の方が圧倒的にイメージは良いと言えるのかも知れない。

 辛抱強いというのは、今川義元の下で、人質として育ち、信長の命令で実子を切腹させられ、辛い思いをしたといった印象がイメージに繋がっている様である。
 一方で、桶狭間の時に、信長は義元の居場所をスパイからの情報でつき止めて、そこを奇襲して勝利したのであるが、その情報を誰が流したのかが重要な点である。私は家康に近い所から出た可能性が高いと思っている。

 何故なら彼は義元の陣営に属していたが、信長の方にいたっておかしくはない存在だった。だから最前線で戦わされていたのである。寝返る可能性が一番高かったのだ。
 昔の戦争は刀で切り結ぶ訳だから、最前線の兵士がいかに強くても、重い鎧を着て、重い刀を振り回し続けられる時間は限られている。必ず次から次へと襲いかかって来る敵に最後は疲れて、やられてしまう。だから正面切って戦ったら、数の多い方が必ず勝つ事になる。
 家康は多い方の今川側にいたが、最前線とはそういう場所であった。
 また信長が最後を遂げた本能寺の変の時も、彼は大坂の堺にいて、そこから伊賀越えをして、土地土地の仲間を使って上手く三河まで帰っている。これは彼が光秀が信長を奇襲するのを事前に知っていたのではないかという疑いを多くの人に今でも抱かせている。
 

エコな作家の思い出

 もう二十年以上も前の事だが、山手線の目黒駅前のキオスクで新聞やら雑誌を眺めていた時に、ふと駅前広場の方に目をやった所、向こうから買い物かごをさげてこっちにやって来る人が目に止まった。
 今どき買い物かごを使う人も珍しいなと思い、どういう人なのかと関心を持ってしまった。その人はどんどんこちらの方にやって来て、顔が分かるまでになった。
 あに計らんやその人は女性ではなく、男性で、しかも見覚えのある顔だった。作家の丸谷才一氏だったのだ。
 彼は売店の雑誌類を一通り眺め回す様にしてから、立ち去って行った。

 その頃はバブルの時期だったろうか、ほとんど誰もエコなどという人もなくて、ちょっと環境問題云々を言うと、お前のようなのが偉そうな事を言うな、みたいな雰囲気の時代だった様な気がする。

 自分の頭で考えるから、自分の哲学が持てるんじゃないかって思ったりする。

今日的な受験勉強の弊害について

 今日の受験勉強を好きでやっている者がどれ位いるのか。本当に好きならば、一生続ける人も出て来るに違いない。でも、大概が入試に受かると止めてしまう。

 では好きでもないのにやっているのだろうか。多分そうなんじゃないかな。これをやれば、良い学校に入れて、次に良い会社に入れて、高収入を得て、生活が安定して良い人生を送る事が出来る。だから辛くても我慢して受験勉強に励みなさい。そうすれば後で幾らでも好きな事が出来ますよ。
 そう親や先生から言われて勉強をしているに過ぎない。

 そんな受験勉強にどんな意味があるのだろうか。良く言われるのが、嫌いな事を我慢してやる事に意義があるとか。辛抱する事を覚える、精神力が身に付くとか、勉強の習慣が付くとかである。

 それは無意味な事をやらせて、無意味な事をやる事に意義があると言っているに過ぎないと思う。その実態はと言うと、薄っぺらな知識をひけらかすようなレベルの人間を作り出すものだから、受験が終わるとともに受験勉強の様な勉強を続けないという事なのか。
 歴史の年号はすぐ忘れる、数学の公式も忘れると言うが、受験以外に必要ないと思うから忘れてしまうのであって、そんな事を忘れまいとする努力何ぞしているおバカが少ないことはまだ良い傾向であるという事も出来る。

 社会に出れば他に覚える事が山ほど出て来るし、理解しなければならない事も多くあるし、教科書をぺラッとめくればすぐ出て来る事柄を忘れないように努力しているおバカは本物のバカと言わねばなるまい。

 要するに何が言いたいのかというと、受験勉強とその先の学問なり仕事なりとがすんなりと結び付いていれば文句はない。しかし、受験勉強と学問は結び付くか、学問的ではないだろう。「何だこれ?」と思う、疑問を抱くと正反対の事、疑問を持つな信じて覚えこめ!とやっている。
 これは完全に学問の芽を摘んでいる事だ。国を滅ぼす類の行為である。だれの陰謀でこういう事が行われているのかは分からないが、人口を減らして自給自足を目指すんだという事ならこれで止むお得ないとは思う。
 でもそれって誰が望んであるのか、知らない。

 学問と産業は結び付く事が多いが、受験勉強は産業の発展に寄与しているだろうか。

 良く、日本人は欧米人の様に考える事は苦手というか、劣るから覚えるだけの学習で良いんだと、言う教師が多いが、彼らは模範解答に書いてある答え以外の質問をされると答えられないから、自分の柔軟性のない頭がばれてしまうので、ばれずに自己満足に酔うために模範解答以外の総てを受け入れたがらないのであるとも言えなくもない。

 立派な教師は、生徒が自分のレベルを追い越そうとする時に、協力をするが、最低教師は、自分を追い越すなんて自尊心が許さないとばかりに否定し、拒否し、脚を引っ張り、最後に潰そうとする。その教師の言う事を聞かなければその上はない。その教師から離れて他の人を見つけるか、さもなくばその道を諦めるしかない。

 こうしてそういう教師がどんどん増えれば、能力ある人間が幾ら才能を伸ばそうとしても悉く潰されてしまうという結果になるのである。

 戦前は「お国のために」という言葉が盛んに使われた。戦後になると、その言葉は、戦争に結び付くという事で、禁句になった感が強い。特に左派の人達はアレルギーを持ち、逆の「個人のため」といったスローガンがまかり通って来た。
 

ムッ、眠気が

 元秘書が禁固2年だそうで。母親が毎月1500万円を鳩山氏に知らせる事なく元秘書に渡していたという。
 その総額が12億4000万円になるとか。そして使い道がはっきりしない。使い道は秘書が決めたの?鳩山氏は知らずにですか。

 つまりこういう事になる、母親が秘書に「このおカネは自由に使って良いのです。鳩山に言う必要はありません」。 そして元秘書は自由に使ってしまいました。自分の懐へ入れたかも、誰かに使ったのかサッパリ分かりません。

 なんか分からない事だらけなんですが、これで終わりなんですか。

 そして架空の人々から寄付があった様に装ったのは、・・・ムッ、眠気が。

写真にチェックが入っちゃいました

 
 きのう今日と季節外れの「寒波」到来って感じで、寒さに震えながら「冷たい風に吹かれて 街を彷徨ったの 」とユーミンの替え歌を口ずさみながら歩いていた。

 そしたらブタペストフィルハーモニー管弦楽団のポスターがふと目に留まった。そしたらその隣にバイキングランチの看板があった。暫く行くと、ブルースウイルス主演の映画、その次は駐車禁止の標識だった。うーん、ちょっとヤバイかな、って感じ。
 
 気分と流れを変えようと路地に入った。駐輪禁止の貼紙があった。「良し、連鎖は断ち切った」と勝手に思った。その時の一枚。

 こんな一人遊びをしながら、人生終わっちゃうんだろうか。最近思う。自虐ネタ。


 そんな訳で写真はアウトになってしまいました。僕は何の工作もしてませんが、ご配慮ありがとうございます。この文章は大丈夫でしょうか。

 ついでなんで、ちょっと良いでしょうか。「下書き」がマスコミ筋に流れている様に感じますけど、気のせいでしょうか。

 「そう感じたら、メモ帳に下書きしなさい」
 「そうですね、分かりました」

2010年3月26日金曜日

HKコンビの米軍基地・郵政漫才風な会話

 
 どうもH総理とK大臣が、何か漫才コンビの様に見えてきちゃったんですが。

   K大臣 「不景気で困っとる人達のために、モラトリアムだ。
        借金チャラだ。どんどん札刷れ、どんどんばら撒け。
        なあ、総理。」

   H総理 「ハイ、亀さん。トラストミーですよ。普天間も県外です。
        移転先はどこも反対してますが、トラストミーです。」

   K大臣 「わしゃー、純ちゃん‐竹中コンビに終わりにされ掛けたんだ。
        だから連中の反対を何でもやったるワイ」

   H総理 「亀さんは、言う事が一貫してますなぁ。僕ちゃんどうしても
        日替わりになっちゃうんですよ。毎日気分が変わるんです。
        気分だけで喋ってます、ハイ。」 

   K大臣 「ところで総理、事務所の経理を覗いた事あるの?」

   H総理 「ありまへんねん、関心おまへん。カネには興味がないねん。
         置いとくだけで増えてくもんで、厄介なもんでっせー」

   K 大臣 「国の予算はどう?」

   H総理 「ぜんぜん、トラストミーです。ハイ」 

   K大臣 「ときどき関西弁が混じりますな」

   H総理 「その時の気分で出ちゃうんですよ、ハイ」


 これはフィクション大魔王という漫才ドラマの一シーンであり、決して現実の政治の事を言っているのではありません。想像で面白おかしく脚色したものであります。 

2010年3月25日木曜日

古道具と教会と酒場の3点セットです


 国道17号線沿いを歩いていて目に付きました。写真の左手が北西で、数百メートル行った所に志村の一里塚が対になって残っています。
 さらに暫く行くと旧中山道は旧道へと逸れて、清水坂を下って荒川低地になります。
 この道は5車線の交通量の激しいところで、車の途切れた合間を縫って、反対側の歩道から撮りました。

旧中山道沿いの同じ様に古びた看板の商店


 良い具合に看板に錆びが入って、文字の色が禿げ落ちていて、趣がありました。
板橋区の旧中山道沿いに2軒並んであった、2軒で1軒といった風な纏まりがある、どちらもレトロ感のある商店でした。
 

国内最古の鉄橋の八幡橋(旧弾正橋)


 明治11年(1878)に製作された現存する国内最古の鉄橋だって。

 風雨に晒されている訳だから、錆びて来るし、結構修理はしているんだろうなー。

 130年以上経っているんだよねぇ。

 修理と劣化の経過状況が知りたい所だな。

 この橋を渡ると、富岡八幡宮(東京都江東区)に行く。

前橋文学館で萩原朔太郎に浸る

 最近あちらこちらで本当に詳しく説明してくれるボランティアのガイドさんがいたりするので、楽しみだ。ガイド成りたてなんです、といった人でも、得意な分野を聞いて、そこを中心に話が聞けるとありがたい。
 いつぞやは、ボランティアガイドを志望している中学生に偶然会って、史跡などを解説してもらって回ったが、「両親がいなくて、祖父母の家にいるんです」といった身の上話も交えながら、楽しい時間を過ごした。
 別れ際にお礼をしようと思ったら、「練習させてもらっているから、いいんです」と言って去って行った。こういう子供に将来議員になってもらいたいと心から思う。

 ここ前橋文学館でも、ボランティアのガイドの方がいて、萩原朔太郎の事を詳しく説明して頂いた。
 彼は明治19年(1886)に群馬県前橋市の市街地に開業医の長男として生を受けた。その当時の医院であり、かつ院長の父は群馬県立病院副院長を勤めたこともあって、地元ではかなりの名士であったと思われる。
 朔太郎はそれでもってその家の長男である。彼は医師だったかというと、否である。医学部へ入った事もない。彼は40歳まで地元にいて、仕事にも就かずにブラブラしていた。
 今日であっても、こういう状況に置かれる事がいかに大変なことであるかの想像はつくが、しかも明治期ともなれば、どういう事になったのか。彼が自身の詩集「純情小曲集」の出版に際して記した言葉があるので、その一部を抜粋して見た。

 「郷土!いま遠く郷土を望景すれば、万感胸に迫ってくる。かなしき郷土よ。人人は私に情(つれ)なくして、いつも白い眼でにらんでいた。単に私が無職であり、もしくは変人であるという理由をもって、あわれな詩人を嘲辱(ちょうじょく)し、私の背後(うしろ)から唾をかけた。『あすこに白痴(ばか)が歩いて行く。』そう言って人人が舌を出した。」
 
 これは誇張もあると思われるが、当人が抱いた心境としては総ての人々がそんな目を持って見ていた訳ではないだろうが、回りがそういう目で見ているだろうと思ってしまう事で、そうでない人であってもそうと思い込んでしまう事もあったに違いあるまい。
 しかし彼は無職であっても結婚をしているし、生活に困った訳でもない。親からの資金援助があり、家族との大きな隔絶はなかったと思われるのだ。

 その家に生まれたばかりに、親の仕事を継がなければならない子供の立場は、職業選択の自由がない事で辛いものがあるが、しかもそれが医者となると、向き不向きが割合顕著に表われるし、医学部に入るには難しい試験に受からなければならないという事で、時々重大な事件となって表面化する事もある。
 思い付くだけでも、兄が妹を殺害した事件や家に火を付けて家族を死なせてしまった事件などと悲惨な結果になる場合が目に付く。

 朔太郎の場合には、世間を恨む言葉はあっても親や家族に不満を抱くようなことは余り見えないので、彼の文学仲間や家族が精神の拠り所になったと思われる。 

2010年3月24日水曜日

広瀬川

 広瀬川白く流れたり
 
 時さればみな幻想は消えゆかん。

 われの生涯(らいふ)を釣らんとして

 過去の日川辺に糸をたれしが

 ああかの幸福は遠きにすぎさり

 ちいさき魚は眼にもとまらず。

                     (萩原朔太郎)


 広瀬川なんですが、水がありません。「ちいさき魚は眼にもとまらず」と言うくらいに、いつもは川の流れが速くて、水の量も多いようなのですが。

 何でもこの時期、上流で工事があるとか、という事みたいです。

選挙を前に、ばら撒き急加速か

 参議院選挙を前に、鳩山政権や民主党の支持率が下がっているというので、苦し紛れに一気にカネをばら撒く法案を作ろうとしている様にも思える。

 結局は、カネをばら撒くことでしか支持率を回復する事は出来ないのか、という思いがしてしまう。政府と民主党は国民・国家を犠牲にしてまでも、取り敢えず今回の選挙で政権与党の民主党を救おうとしている様に映る。
 国民としては「無駄を削る、削る」というから票を投じたのに、「無駄はまだ削れませんでしたが、その代わりに先にばら撒きます」といった感じになってしまった訳だ。

 それでも仕方ないとなれば、多くの国民がもはや多重債務者の心理状況と同様で、何とかその場だけ凌げれば良いといった感じになっているって事なのか。

 このままでは結局、民主党は税収を生み出す方の事は何も分からずに何もせず、組合員とか従業員に予算の中からカネをばら撒く、そして給料を上げる事やさもなくば下げるのを食い止める位しか出来ない政党だという事で終ってしまい兼ねないではないか。

 この社会は、企業が儲けて利益を上げて、従業員が給料を得る事が出来るといった仕組みになっている。会社が利益を上げられなければ、従業員に給料も払えなくなってしまう。
 同じ様に国家に税収が入って来なければ、公共事業や福祉政策は出来なくなってしまうし、公務員の給料さえも払えなくなってしまうと言える。

 そんな事は百も承知かも知れない。国と地方の借金が、800兆円だ、計算の仕方によっては1000兆円だと言い、37兆円の税収で、90兆円以上の予算を組んでいる事はもう子供でも知っている。
 しかし、政治家が出来る事はその借金を減らす事ではなくて、ばら撒いて増やす事なのか、それしか出来ないのではないかと思ってしまう。予算を減らし、経済を活発にする事なんて、天地がひっくり返っても政治家なんぞにが出来る事ではないと言うのだろうか。
 政治家は、カネをばら撒いて経済を成長させ、選挙に勝つこと、それしか出来ないって、そういう事なのか。
 その結果、後々にさらに雪ダルマ式に借金だらけになって、国がどうなろうが知った事ではなく、「たぶん神様が助けてくれるに違いない」とでも思っているのだろうか。

 長年、人の後ばかりを追いかけて来る連中がいる。「君らは人の後ばかり追いかけないで、他にやる事があるだろう。他の事を考えたらどうだ」と口を酸っぱくして繰り返し言うのだが、それしか出来ないらしいのだ。
 政治家もそれと同じなんだろうか、結局、カネをばら撒くこと以外には何も出来ないってことなのか。

 テレビのコメンテーターで知事だった片山さんか誰かが言っていたが、地方においても、議会は予算を減らすのが本来の仕事なのに、増やす事ばかりやっているとの事だった。

 全くその通りで、選挙民が議員を選ぶのは、「無駄な事を削って、予算を減らして、税金を下げてください」と期待して投票している人がほとんどなのに、予算を増やして、借金も増やして、その結果税金が上がってしまうといった逆の現象が起きてしまっている。

 何故かというと、その予算を当てにする人がいっぱい増えてしまったからである。議員は、本来なら税金を減らす仕事をしましたと言って、次の選挙でもお願しますと言うべき所を、「税金を減らすような仕事をする代わりに、借金を増やしました。でも選挙民の方が今すぐに支払う様なものではありません。ずっと将来に誰か知らない人々が払ってくれるのです。今は借金して出来た予算で皆さんの品物をどんどん買いますよ、仕事をどんどん作って皆さんに与えますよ、だから次の選挙の時にはお願いしますね」というパターンになってしまっている。

 こうして国も地方も借金でどんどん仕事を増やして人々の生活を支えるシステムが作られてしまったために、公務員以外にも税金を主にして生活を支えていく人々が益々増えていく事になって、その結果、この国は多重債務者的な生き方から抜け出す事が出来なくなってしまったのである。

 そんな原点を問う、「議員とは何ぞや」という事を、初心に帰ってもう一度見つめ直すという点で、名古屋市の河村市長の考え方は一利も二利も参考にする点はあると思われる。 

2010年3月23日火曜日

まだ枯れねえぞ!


 

 倒れかけても、根元は枯れかけても、立派に青々とした葉を保っている。自分もやがてはこんな風に成りたいものだ、老害と言われることなく。

2010年3月20日土曜日

日本の道の歴史

 江戸時代の旧街道などを歩くと、至る所でくねくねと不必要に曲がっているのに気が付く。よくよく注意して観察しても、何故ここでカーブしているのか分からないというのが多い。

 これまで、人々は江戸時代以前の中世はさらに曲がっていて、それより以前の古代であれば、多くが「けもの道」程度の道だと考えていた。ところが、この十何年かの間に、古代の道は広くて、しかも直線的な道が全国規模で種類分けして複数のルートを造ったり、主要道路の補助的な機能を持たせる道を造ったりと極めて計画的に整備されたという実態が分かって来た。

 そして今日では、道の歴史的変遷はこれまで考えられていたように、少しづつ広げられて、曲がったところを真っ直ぐに修正されて来たのではないという事が歴史地理学や考古学の調査によって証明された。

 以前から良く私は旧街道を歩いた。その度に気になったのが、道が不自然にクネクネしている事だった。その事実を事あるごとにどんな人に尋ねても、地形に影響されて曲がっているという答えしか返って来なかった。
 誰もが、もっと昔の中世や古代には、江戸時代よりもっと道幅は狭くて、さらにクネクネしていたとそう思っていた。

 所が、古代の官道が全国あちらこちらで発見されるようになって来ると、どこでも定規で計ったように直線的で圧倒的に道幅の広い道路である事が分かった。

 私が調べて見た所では、江戸時代の街道の道幅は、当時のまま残っていそうな場所を探した所、4間(約7.2m)の所が多かった。
 鎌倉時代の街道はというと、山林の中にそのまま残されているような場所があったり、発掘調査で見付かったりする場合があったりと、極めてその例は少ないのであるが、栃木県の小山市や東京都府中市や国分寺市での発掘例では、道幅は10mを超えている。
 そして古代道路では、10m~12mの道幅のものが全国で見つかっている。

 繰り返しになるが、少なくともここではっきりして来たのは、江戸時代までの日本の道路の歴史は、これまで考えられてきたように、古代の道路が狭くてクネクネしていて、それが時代とともに道幅を広げられ、真っ直ぐに直されて来たといった「進化・進歩の概念」は誤りだったという事が分かった。道幅が広がり、道筋が真っ直ぐになるのが「進化・進歩」と呼ぶなら、その逆の「退化・退歩」の道を歩んで来たとは言わないまでも、従来の考え方は否定されたと言わなければなるまい。
 それでは時代とともに日本の道路が広く直線的な道から、狭く曲がりくねった道へと歴史を歩んできたかどうかというと、まだはっきりとした結論を出すには発掘等の資料が少ないと言える。

 栃木県の小金井の一里塚間の道路の発掘調査では、道幅が9m程度の近世の道路跡が見つかっているし、東京都の国分寺市から府中市に掛けては東山道と中世の鎌倉街道が南北に並行して通っているが、片方は定規を充てたように直線的なのに対して、鎌倉街道の方は少しではあるが曲線的に通っていて明らかに双方に違いが見られる。
 こういった数少ない一例や一部を捉えて、そこから全体論をいうには無理があると言わねばなるまい。その様な段階にはまだなく、時期尚早と言えよう。
 

2010年3月19日金曜日

日本再生へ(新しい産業と教育)

 ニュースによると、日銀は銀行への低金利での貸し出しを10兆円の予定から20兆円の倍に増やすのだという。
 
 それって何のため?35兆円だかの需給ギャップがあって、物を作っても売れないのに。何で民間企業が借りるんだろう。それに資金を作るのに株の増資をして新株を発行したり、社債を出したり、自分で集める事が多くなっているので敢えて銀行から借りなくても済む場合が多いんじゃないの?
 中小企業にしたって、大企業から仕事が入って来なくて仕事が減っているのだから、カネを借りても仕方がない。 

 そうすると民間銀行は、またぞろ国債でも買うのでしょうか。こうなって来ると国民から預かった預金で国債を買うのではなく、日銀から借金して国債を買うパターンになる。
 これは結局、国が自分で紙幣を刷って、国の予算に充てる事と同じになる。紙幣が20兆円ばかりじゃぶじゃぶと市中に流れる訳だ。

 しかしこういうその場しのぎをやっていても、そのカネを使い切ったらまた元に戻る事になり、再び同じ事をやらねばならなくなる。

 そういった小手先の、その場限りの対応しかやって来なかった結果、問題は少しも好転せず、悪くなる一方である。にも拘らず、良くなっていると期待感を垂れ流している場合が多い。それは恰も敗戦の連続であるのに、連戦連勝と言い続ける過去の例と似てなくもない。


 現実を認識して、次に打つ手は何かを考える、これが手順だと思う。
 例えば、建設現場には重機が入り、あっという間に人手を掛けずに仕事をしてしまう。そうかと思えば、計算機は驚くべきスピードで複雑な計算をする。様々な事務処理をパソコンは簡単にこなす。工場は機械化されて、人手は益々必要なくなる。

 そうなれば、これまでにない新しい産業を興さなければ、人々の働く場所は確保されず、社会は失業者などの余剰人口を多く抱え込む事になる。

 新しいハード、ソフトの産業と言っても、人々を堕落させていくようなものであってはならない。やはり人々がレベルアップして向上して行く類のものでなくては人類は衰退に向かうのではなかろうか。
 
 これまでの歴史においては、人々は暮らしを便利にする道具を作り出し、それが広まる事によって、家事や雑用、仕事の一部が楽になった。しかしあらゆる事が便利で楽になる事に慣れ親しんでしまうと、人は今度は怠け者になって行き、おバカになって仕舞いかねない。

 古代ギリシアでは、きつい労働は奴隷が行い、市民は自由な時間で政治を語りあったという。今日では機械が重労働は代わりにやってくれる事になるならば、空いた時間に人々は政治や社会や経済について学んだり、討論したり出来、社会はより良くなって行くと思われたのだが、実際はそうなってはいないのではないか。

 そういう方向に近づくような考えを持って、人々がそこにおカネを出したがる新しい産業が生まれるのが一番いいと思っている。人々がおカネを出そうと思わなければならない。しかもそれは人々が堕落して行く方向ではなく人間としての価値を高めて行ける方向に行く事が望ましいのであるから。

 そして世界に受け入れられないとダメだな、ウオークマンみたいに。そういえば、コンピュータもウインドウズも携帯電話もiPodもみんなアメリカだっけか。ハリウッド映画もそうだな。
 この所日本の映画も頑張っているが、なんせ国内オンリーだからなぁ。

 勉強のシステムでももう少し変えたら何かが変わるかも知れないけれど、その気配さえもないからね。 

2010年3月16日火曜日

奇妙な階段だった

 


 ある地方都市の公園で階段を登ろうとした。その階段はステップの広い階段だったので、駆け上がった方が面倒ないと思い、勢いよく駆け上がって行った。
 所がその途中で爪先が段に突っかかり、結構スピードがあったので、脚を取られるようにして前に突っ込んで、バタンと両手をついてしまった。
 そこは砂混じりのざらついたコンクリートの上だったので、多少擦り剥いて両掌に血が滲んだ。

 「クソッ」と、ちょっと思った。脚が上がらなかったのか。普通、どんな人間でも計算せずとも目視で最初に高さを確認するだけで、後は自然と頭で上げる足の高さを自動的に一定にして、足元を見なくても駆け上がれる事になっている。

 脚が疲れて上がらない程のそんなに長い階段じゃない。ならば頭での自動計算が違ったのか、頭の衰えか欠陥か。それはまずいなと思った。しかしそんな自覚はないし、割と自信はあったから、原因を探ろうと思い、突っ掛かったところの手前から段の高さを観察した所、なんと驚く事に突っ掛かった所だけ、本当にそこだけ高くなっていたのだった。

 自分の上げる足の高さは正確に一定だったのだ。まだ頭のどこかはいかれてないとホットした次第だった。
 

近頃の天気予報

 先週の天気予報だと、今週は曇りや雨がちな天気になるという事だったのが、今週に入ってからその予報が変わったらしい。ほとんどが晴れや曇りの日に変わっている。
  
 予報が外れるのは仕方がない。しかし、すっとぼけたり言い訳をして「天気予報の8割は当たっています」とか言われると腹が立つ。
 
 素人だって、冬には晴れ間が多いことや、梅雨時は雨が多いといったことは分かるし、また8月、9月には台風がやって来ることとか、そんな事は知っていて、年間予想を立てれば5割以上は当たるだろう。それに天気は西の方から東の方へと雲がやって来るのでその天気の変わり方ぐらいだったら衛星写真を見ても検討がつくというものだ。

 だから、「8割を言い訳には使うな」と言いたい。無視、言い訳、嘘はいらない。
 なぜ外れたのかを説明して欲しいだけだ。

 民放の人達は、「カネ払っていないのに文句なんか言うな」というのかも知れない。しかしNHKには払っているし、気象庁は税金で動いている。

 せめて7割位にしておけばと言いたい。あとの3割は外れるから、山や海へ行く人達は当たらない事があるのでそれを考慮して、十分に気を付けるように位な事は言ってしかるべきだと思う。

実社会で役立つ教育とは

 新聞を読んでいたら、「もっと実社会で役立つ教育を学校に期待する」といった内容の事が書かれていた。ある企業の相談役へのインタビュー記事だった。

 学校の教師は、そのほとんどが民間企業という実社会での経験がほとんどない。だから受験勉強を経てから大学で学び、そこでのやり方を生徒に教える事になる。
 この受験型の勉強が行き過ぎると、受験テクニックを教えるだけの教育になって仕舞いがちで、そこには社会に出て役に立つような考え方がそれ程ある訳でもなく、優れたアイディアが生まれるものでもなく、事務処理的な仕事を上手くこなすのには適している程度の勉強と思える。

 この様な事務処理的な仕事の能力は、今日ではコンピューターが発達したお陰で余りその必要性は高くなくなって来ている。それでもなお相も変わらずに時代の要求に対応し切れないで、従来の事務処理型の教育を受けた社会人を大量に世に送り出している今の現状は、問題の解決能力が低く、先延ばししてしまいがちで、借金を大量に抱え込んでしまっている現在のこの国家を生んでしまった最大の原因と言えるのかも知れない。

 単に表面的な事を覚えるだけの教育では、今日この国が断行して行かねばならない様々な問題を、解決する方向に導いて行く人々の出現を期待する事は出来ない。
 一般企業という実社会での経験を持たない現実感の薄い教師がその頭で作り出した問題を、教師に気に入るような形で答えを生徒が答案用紙に書いたとしても、その問題の解釈なり捉え方、あるいは解決策が実社会で活用出来るとは中々思えては来ないのだ。

 
 記事の終わりに、「日本のように資源もなく、少子高齢化が急速に進む社会では、個々人がパワーアップし、技能や知識を高めて行かなければならない」とある。
 資源がなく、ハードやソフトの作ったものを他国に売って稼ぐしか方法はないのに、その事を実感が出来る程に理解し得る公務員や教師がどれ位いるのかを考えた時、中々この国の超えなければならないハードルは高いと思わざるを得ない。

2010年3月11日木曜日

ハイパーインフレも止むなし論の評論家に一言

 経済評論家のM氏が、「デフレになれば、儲かるのは金持ちで、ハイパーインフレになれば、借り手は楽になり、損するのは金持ちだけだ」とハイパーインフレ仕方なし論を展開したようだが、事はそう上手く行きそうもない。

 世の中、借り手側の方は「インフレにしろ」と騒いでいるし、貸し手の方はデフレ容認のようにも見え、両者が自分の利益の事しか考えないで経済論を戦わせている様にも見えるが、仮に政府がインフレ方向に持って行こうとして、紙幣をじゃんじゃん刷り出して、急速で抑えの利かないインフレになりそうだと資産を持つ人達が判断したとすると、一気に資産の移動が始まり、この国から資産が逃げ出して行く。
 そうなれば、国はその穴埋めに紙幣をさらにじゃんじゃん刷る様にならざるを得なくなり、一気にハイパーインフレとなるだろう。

 その結果、悲惨な状況に置かれる事になるのは、低所得者層になり、破綻した経済の中に、老人や失業者や障害者や低所得者などが残される結果となる。

シンボルを守り切れず(鶴岡八幡宮の大イチョウ最後)

 鎌倉のシンボルの一つであった鶴岡八幡宮の大銀杏が、突然に最後を迎えてしまった。
 台風や地震ではなく、多少の風とみぞれ混じりの雪の影響で、脆くも根元から倒れてしまったのだ。
 テレビで見たら、中は空洞部分が多く、どうも腐っていたらしい。それにしても人の被害がなくて良かった。観光客の多い所では、安全対策は十分にして欲しいものだ。


 こうして見ると、やっぱり根っ子や幹が弱々しい感じがする。 
 鎌倉市中が阿鼻叫喚と化した鎌倉幕府の最後の日も、このイチョウはそこに立ってジッと見てきた訳だ。

 たぶん八幡宮が移されて来た時に御神木として植えられたものではないだろうか。それから推測して樹齢800年以上という事なのかと思うのだが。
 もしかすると詳しい樹齢が分かるかも知れない。


岩殿観音


川越



水戸

 
 これらの大銀杏も樹木の専門家に見てもらって、十分に根を張らせて、養分が取れるようにして長持ちさせてもらいたいものである。

2010年3月4日木曜日

国の借金と楽観論について

 税収に関して新聞記事を整理していた所、「法人税収半減、5~6兆円」という見出しの記事があった。やはり法人税の還付が数兆円に上り、前に書いた菅財務大臣が言った「5兆円」は今年度の法人税収の事だった。

 グラフで見たら、1989年は20兆円近くの法人税収があったようだ。その頃から予算は減る事がなく増え続けているのに、法人税収は約四分の一に減った。他の税収も減っているに違いない。
 という事は、国の借金は加速度的に膨らみ続けている事になる。もはや未曾有の実験と言うしかない。ならばいっその事、思い切って税収をゼロにしてしまって、公務員の給与も予算も全部借金にするというか、印刷機をもうフル回転して紙幣を刷り捲り、どこまで行けるかっていう位の実験をしちゃった方が、分かり易いのではないか、と思ってしまったりもする。

 たぶん悲観論をけしからんと言う人達は、楽観的に税収は今が底でこれからどんどん、そうでなくても徐々に上向くであろうという思いがあるのかも知れない。その根拠はというと、何もない。
 それ故の楽観論者なのである。

 賭けごとに今度は勝つ、次は勝つと希望を持って楽観的に考えるのが楽観論者であるならば、自分はとてもそんな風に考える事は出来ない。これまでの人生でそんな事は一度も起こりえなかったし、これからも起こらないと思っている。

 何かの偶然で、好都合な事が起こる事はあり得るとは思う。しかしそんな鎌倉時代の元寇の時に起こったような、旨い具合に台風が来て敵の船がほとんど沈んでしまう様な事は、滅多に起こる事ではないと思うべきである。

アクセルの電子制御装置にみる安全性問題

 「劣化」にしても、どういう物質がどのようにして、またどの位の時間を掛けて劣化して行くのかは中々難しい。これを調べようとしても、最先端の研究になるので、研究者の話を聞くにしても結構大変だ。
 調べてみても、講演会を聞くだけでも何万円も必要みたいだ。様々な物の劣化状況を知って、それへの対策を立てる事はビジネスに繋がるので、それだけの代金を支払っても聞く人がいるのだろう。

 同じような事で言えば、トヨタ車のアクセルペダルの電子制御装置の問題にしても、コンピュータの電子部品に関した問題なので、その専門家以外にはシステムのあり方やどういう状況で故障が起こるかとかは分かりはしない。
 だから社長や部長にその事を質問したって、「システムに問題はない」と下からそういう内容が上がってくれば、そう答えるしかないのだ。

 そして恐らく設計の担当者や製作の関係者は、自らの責任問題になって来る時には逃れようとする場合も出て来るので、隠そうとしてしまう場合や、責任逃れをしようとして来る事もあり得る。そうした時には、やはりそれ相応の第三者の専門家に調査を依頼し、原因を追及して行く事が必要になる。

 この電子部品のブラックボックスの中を説明してくれる専門家は限られてくるから、テレビや新聞とか雑誌なんかでも詳しい解説は載らないので、たぶんこれも講演会やらで詳しくかつ分かり易く説明をしてくれるようなのを開催すると、何万円という参加料金を取れる様になるのかも知れない。

 しかしそれにしても今の今まで、自分の乗っている車ももしかしたらトヨタ車のようにアクセル制御が電子装置で、そして電気信号で動いているのかも知れないなんて思ってもみなかった。
 そうならば飛行機で、携帯電話やパソコンが何年も前からあれ程大騒ぎになっていたのに、なぜ車は問題がないと思ったのか。テレビによると通常の電波の2倍の強さのものにも影響がでない様になってはいると言うのだが・・・。

 でも車の購入者は、そんな事は全く聞かされてはいないのではないか。車は我々の知らない所で実はこうなっていましたみたいな。「もし電子部品が故障したら、減速したり止まるようにシステムは作動しますので、加速したりは絶対にいたしません」と言われても、それを専門家を交えて説明してもらわないと納得は出来ないのではなかろうか。

 自分の乗っている車も、電子装置でアクセルが作動するようになっているのだろうか。一応聞いてみるかな。
 

2010年3月3日水曜日

岩槻駅前のサティが撤退(埼玉県さいたま市)

 東武野田線岩槻駅前にあるスーパー「サティ」が入った商業ビル「ワッツ」は、売り上げ不振のために3月7日に閉店する。

 昨年新聞で見たので、閉店することは知っていたが、いつかは知らなかった。行った時は閉店セール中で、入り口付近で「3月7日か、結構迫っているね」と言う二人連れの声が聞こえた。

 一応見て回ったが、目ぼしい商品は売れてしまったらしく、買いたいものは見つからなかった。
 この商業ビルは、岩槻市から合併後に引き継いださいたま市の第3セクターが経営しているが、2002年にキーテナントのスーパー「サティ」の撤退を引き止めようと賃料を半額にしたが、一層の経営悪化を招いたようだ。
 新聞によると、市は所有する債権の74%にあたる約13億7000万円を放棄し、新たに5億円を出資するという。その上で、2008年度末で約58億円ある負債を2009年度末までに約16億円圧縮し、20年後には黒字転換するとか。

 サティの撤退後は、地下の食料品売り場には、他のスーパーが決まっているという。問題は上の階だ。
 食料品は毎日食べるから、立地条件が良ければ問題はない所だが、総合スーパーやデパートでも言える事だが、衣料品などがロードサイドなどの専門店に押されて中々売り上げがのびない。
 そこでおそらく市の公共施設を入れたり、趣味などの教室や保育所なども考えられる様に、そこの住民のニーズに合った店舗や施設が入居する事になるだろう。 

激震の池袋東口駅前

 池袋に来たら、相次いで有名な小売業の会社が倒産していたのを目にして驚いた。

 川口のそごうデパートの裏手にあったキンカ堂が店じまいしたのは1995年だった。あれはそんなに前の事だったかと今更のように思い返した。

 このあいだ深谷を歩いた時に、寄りはしなかったが離れた所から看板が見えて、自分の大体の位置を知るのに利用した。あまり買い物をした事はなかったが、身近に感じている店だけに寂しい気がした。

 会社の概要を調べたのを、下に書いてみた。

 池袋駅東口のすぐ近くに本店を置く、(株)キンカ堂が東京地方裁判所に自己破産を申請し、倒産した。

 1951年に設立され、衣料、生地などの販売の他、雑貨や食品販売も手がけて、埼玉・栃木など北関東を中心にスーパー「キンカ堂」や手芸専門店「バイハンズ」の店舗を増やし、1991年には年間の売上高が約804億円あったという。

 しかしスーパーは他の大型店に押され、2002年からは「バイハンズ」を中心に展開して来たという。
 負債総額は、約45億7000万円。

 閉じられたシャッターの前には人だかりが出来ていた。手書きや走り書きしたような紙がたくさん張り付けてあった。債権者のでもあるのかと覗くと、割と常連の買い物客からの感謝の言葉が目に付いた。




 駅から延びている駅前の大通りに面した店の間口は広くないが、奥行きは100メートル弱位とかなりある。

 壁も部分的に禿げ落ちていて、経営状態の一端を垣間見る事が出来るかのよう。


建物は向こうの通りのビルまである


 こちらは駅の真正面とさらに駅寄りの家電量販店で、2月末に64年の幕を閉じたばかりだ。


 一方こちらも昨年5月に閉店した三越デパートの跡に入った大手家電チェーン店で、駅の真ん前に位置している。


2010年3月2日火曜日

鳩のつぶやき


最初は青信号だったんですよ




その内、黄色に変わりましてね



このまま行くと次は赤になるんですが・・・

原宿ー青山ー六本木ー芝公園(東京タワー)



 表参道ヒルズ・・・右の建物が以前建っていた同潤会アパートの一部で、外観を残す形で中には店舗が入っている。 


 一つ上の写真の左にある新しい建物の内部。安藤忠雄の設計らしい吹き抜けだ。







青山辺り ブランド店が点在



ユニークな建築です。



全面ガラスのビルです。






首都高渋谷線と、その向こうに見えるのが六本木ヒルズ




 写真の首都高渋谷線の下を走っているのが六本木通り。
 西の方から東へと国道246号線(玉川通り)を来ると、渋谷駅を過ぎてから、道は国道246号線(青山通り)と六本木通りに分かれる。分かれた道は、皇居のお堀の所でまた合流するような格好になります。



展望



六本木ヒルズ



街角


路地裏のカフェ


豆腐屋さん



洞窟をイメージ



ビルの谷間から見えた東京タワー



タワー内の土産物店




 近くの木々も東京タワーの影響を受けて真っ直ぐに、そして高く伸びようと、恰もそんな意志でも持っているかの様に見えたのですが。気のせいでしょうか。




増上寺の三門



増上寺と東京タワーのツーショット