2009年11月30日月曜日

埼玉県西部地域の晩秋風景


 
 神川町まで行こうと、荒川左岸の台地上の田園地帯を北上していたら、桶川辺りで、道が以前と全く変わってしまって、迷ってしまった。
 最初は「あっ、圏央道の工事か」と思って、どこかで記憶にある道に出会うだろうと思っていたが、予想以上に広範囲に工事が行われていて、迂回表示も分かり難くて、お手上げ状態になってしまった。
 偶然、道端で白菜を売っているオジサンが目に入ったので、尋ねた所、圏央道と上尾バイパスのジャンクションが出来るとの事だった。だから相当の広範囲に工事が行われていた訳だ。
 予定ではもう少し北上してから荒川を渡って、国道254号線辺りを行こうと思っていたが、この辺りで荒川を越える事にした。

 嵐山から寄居にかけては、もう紅葉も盛りは過ぎている感じだったが、まだそこそこ残っている所もあった。
 
 上の写真は池いっぱいに落ち葉が水面を覆っていて、直ぐには池と分からなかった。




















2009年11月29日日曜日

鎌倉見て歩き



 
 県道金沢鎌倉線沿いにある魚屋さん。ここの信号を渡って、数十メータル県道から奥に入った所に報国寺がある。






          


 朝比奈切り通しに向かった。   







 この道は、県道金沢鎌倉線が出来る前に使われていた古い道で、遡ると鎌倉に幕府が置かれた鎌倉時代にまで起源を辿る事が出来る。
 しかし明治時代まで鎌倉と横浜市の六浦を結ぶ道として機能していたので、当然この道も修理を繰り返しながら使われていた事になる。
 だから鎌倉時代の道の面影はこの辺は残ってはいないと思われる。写真のV字カットの切通しは、開通した当初はもっと上の方を道が通っていたには違いない。



 

七里ガ浜から見た江の島

電車の中の落し物

 赤羽駅に電車が着くと、降りる乗客が多くて、混んでいた時とは違って車内を見回して席を探す程度まですいていた。

 すると近く一つ空いている席が目に入ったので、座ろうと傍まで行ったら、そこの席には結構膨らんだ二つ折りの男物の財布が落ちていた。僕は直ぐさま今降りた乗客がズボンのポケットから落としたものと了解した。

 しかしそこで、座席の上の財布を目にしたまま固まってしまった。周囲を見回した所、すぐ斜め後ろに若い男、それと三列シートの端の僕の一つ誰もいない吊皮を置いた隣に、やはり若い男が立っていた。どちらもサラリーマンではなくカジュアルや遊びっぽい服装で、この二人は財布の存在に気付いている様だった。

 さてどうしようか?近くに駅員はいない。この財布を一番近くにいる自分が手にとって届けようとしたら、他の人間にはそのまま猫ばばすると思われ兼ねない。もしこのままここから立ち去ったとしたら、ほかの二人の男も猫ばばしないとは限らない、勿論顔つきや服装からでは、正直な人かそうでないかは判断出来ないのだが。

 立ったままそんな状態でいた所、どこかからでっぷりとした若い男が来て、財布の上から座ってしまった。当然彼は財布を目にしているし、それでも尚疲れていて座りたかったのか、顔を見る限りでは人の良さげな風だったが、尻の下に敷いてしまって、それを知ってる連中が降りてしまったら持ち去るかも知れない可能性は考えられた。

 僕はどうやったら駅員まで届けられるかの答えが出ずに身動きが取れなくなっていた。
電車は何故か乗客が降りてしまった後も、暫くドアは開いたままになっていた。
 するとそこへ一人の若い男が姿勢を低くしながら、右や左に首を振りながら、落とした物を探すように、更には下げていたバックの中に手を入れて中を再確認するようにしながら入って来た。
 僕はその男を見て思わず助け船が来たと思い、「財布ですか?」と聞いた。男は小さく返事して頷いた。この表情や容姿が真面目そうに見えたので、思わずこの男だと思ってしまった。

 僕は「そこ、そこ」と座っている男の尻の下を指差した。すると座っていた男は慌てて尻の下にある財布を取り出して探していた男に渡した。手にした男はドアが何時閉まるか分からないので、言葉を発する間もなく、小さく頭を何度か下げながらそそくさと行ってしまった。

 行ってしまった後で、冷静に今の事を考えてみた。電車のドアが暫く開いていたお陰で落とし主は戻って来る事が出来たが、直ぐに閉まっていたらどんな展開になったか。
 あるいはさっきの落とし主はにせもので、降りる途中で誰かが落としたのを目撃し、暫くしてから落とし主を装って掠め取りに来たのか。しかしそれにしては何時閉まるか分からないドアであれば、もっと早く来ると思われたし、電車の発車時刻を知っていてギリギリに来たという事も考えられなくはないし…。

 しかしその可能性があったとしても限りなく小さいので、自分の行動は間違ってはいなかったと思うのだったが、世の中思いがけない事もあるので、「実は…」という事も無きにしも非ずである。


 

2009年11月27日金曜日

クリスマスモード

 もうすぐ十二月という事で、町もそろそろクリスマスのモードへ入り掛けて来たのでしょうか?

2009年11月26日木曜日

日本の産業の未来

 金融を操作したり、経済政策を多少打った所で、一時は持ち直す事もあるかも知れないが、肝心の産業が回復しなければ、どうにかなるものではないと思う。

 良く携帯電話を例に出して、日本製品のガラパゴス化が論じられるが、例えば国内で売れて内需に寄与したとしても、一個人にしてみれば限られた収入から支出している訳で、他の物を買うのを止めて携帯を買ったのであれば、全体の経済効果からいうと同じで、そこから生じて来る国の税収もそうは変わらない事になるでしょ。

 だから外国で売れてこそ、外貨を獲得する事が出来、税収も大幅に増える事に繋がるのだと思う。
 
 繰り返す様だが、いくら内需を盛んにしても、結局、収入の範囲、あるいは多少貯蓄を取り崩す程度になるのだから、大きな税収増は期待できない。それ故、やはり海外に売れる物が、どうしても必要になる訳である。

 ところが、これまでの日本がどうであったかというと、欧米の作った製品を真似して同じような物を作って行けば、先進途上国のメリットもあって、貿易の収入がどんどん増えていって、様々な社会整備も産業の技術力の方も進んだ。

 しかし先進国になった今、これまでと同じ事をやっていたのでは、かつての日本がそうであった様に中国やインドやブラジルといった国から追い上げられて、もはや中国にかつての座を奪われ様としている現状がある。

 だから産業そのものを劇的に変えて、世界で売れる商品を作っていく必要性に迫られている。
 それには、「これは自分達が作った非常に良いものだから、客は買って当たり前だ」的な発想では、さすがに国内ではそれが通用しても、海外では通用しない事を肝に銘ずべきだろう。殊にソフトの面に関しては尚更である。

 これまでの様な価格競争では後発国に勝てないという事で、各企業は付加価値を付けた商品の開発の方に力を入れて来た訳だが、今までの所は必ずしもそれが上手くいっているとは言えない。

 相手国のニーズに合わせた商品開発が求められるし、他国と同じ物を作っていたら物価、賃金の安い後発国には勝てない。

 それ故、新製品を作ってしかも圧倒的な技術力での売り込みを図っていかないと、もはや立ち行かなくなって来るのだろう。

 これからの日本が採る道は、地球レベルでの環境分野に貢献する技術力の高い製品を作って、更には苦手な英語を磨いて行かねばならないのかも知れない。

 学校教育はそれに向けて、劇的に変わる必要に迫られて来るのだろう。これまでと同じ様な教育のやり方では、いくら資金を投入しても目に見える成果は挙がらないと思われる。
 ものを覚えてただ知っているだけでは、コンピュータに敵う訳はなく、計算や単なる知識を競うだけでは、もはや学習の意味はないと思われる。

 他にないものを作り出す能力、仲間内だけではなく、世界の人々に同じような感覚で感動を与えられる様な能力を身に付ける事の必要性を痛感する。

 アメリカという国は世界中から優秀な人材を集めて国づくりをして来たが、それに対して日本はというと、優秀なというか多少毛色の変わった人材を異端として排除して国家づくりをして来た印象は否めないのではないか。

 こうした若干村八分的な排除の論理を引きずって今日に至っている敢えて言わせてもらえばその教育界に、いくら資金を注ぎ込んでも、結果的に無駄に終わる事は、今日の教育界の現状が変わらなければ、目に見えて明らかなのではないだろうか。

 この国の教育界は、一部だけか蔓延しているかは分からないが、妬みと村八分的な考えから抜け出ていない所があるとどうしても思わざるを得ない。だから例え優秀あるいは変わり種の才能であっても、新しい人が国内で最初に認められる事は滅多になく、そのほとんどが最初は外国で認知され、そうなってから国内で仕方なく認められるという全く恥ずかしいお粗末な結果を日本国民は嫌というほどこれまで見せられて来ている。

 こんな風で、これからもこの状態を続けて何の成果が期待できると言うのだろうか。この国の教授という人達の中には、自分と違う意見を言われると切り返しや反論をする事をせずに、恨んで反発するだけの学問には全く不向きの人が結構いる様に思われてならない。
 しかしそれでは生徒は皆イエスマンになって、その教授以上の成果なんか出せるはずがないのであって、この時点でもうほとんど教育の成果に期待が出来なくなってしまうのである。


 若い人がいくら画期的な成果を上げたとしても、皆結果的に潰す様な事をしてしまっては、国は結局滅びて行くしかなくなって来るだろう。

 こうした絶望的とも思える状況をもし打破出来るとすれば、海外から多くの優秀な人材を受け入れ、閉鎖的な教育界の環境を変えて行くしかないと思われるこの頃である。


 以上生意気な言葉の数々に、読まれた方は嫌悪を抱かれたのではないかと思われるので、ここに該当しない多くの先生方にはお詫びをしておきます。
 昔から良く言われた、「お前みたいなバカが偉そうな事を言う立場にはない」と。立場に無い事は重々承知していた。しかし、バカでも国を憂える事があるのだ。バカを承知で名前を晒して、止むに止まれず言っているのだ。という事を、多少とでも分かって頂けたら幸いです。

2009年11月22日日曜日

鎌倉観光の穴場?


鎌倉観光の本編は「神奈川(観光・産業遺産)」の中にありますので、そちらを見て下さい。




 鎌倉宮よりまだ東にある。護良親王の墓とあった。「ずいぶんと長い階段だが、行ってみよう」と思った。






 やっと上ったら、まだあったよ。




 うそっ、また階段だよ。



 えっ、ここでシャットアウト?そんな殺生な。お墓が見えません。折角ここまで来たのに、ただ階段を空しい思いで見るのみだった。

 帰り道。腹じゃ怒ってたけど、膝は笑っていた。

    ※お口直しに「鎌倉見て歩き」神奈川(観光・産業遺産)でも見てって下さい。下のラベルの所をクリックすると出ます。

     

2009年11月20日金曜日

JR武蔵野線に沿って散歩した

 JR武蔵野線のM駅 とH駅の間を散歩した。意外と平坦ではなく、こんな坂が何カ所かあった。 








 立て看板を覗いてみると、12時を0時に統一しようという主旨みたいだった。
 
 昨日もラジオでタレントが午前零時を正午と言って、もう一人に突っ込まれていたけど、午前零時とか午後12時とか正午とか、ハッキリ言って時々ごっちゃになって、分からなくなってしまう時がある。

 お名前存じませんが、ボクは賛成です。

 後ろの方に茅葺き屋根が見えたので、今どき珍しいので近くに行ってみた。

 葺いた屋根は綺麗になっていて、古くはないようだった。材料を手に入れるのは大変だと聞いている。 


 この武蔵野線沿線では、つい1年半前に、開業した越谷レイクタウン駅の傍にジャスコやマルエツなどを核としたイオンレイクタウンがオープンしたと思ったら、今度は吉川駅を一つ挟んだ次の駅の新三郷駅前にららぽーとのショッピングセンター街がこの9月にオープンした。

 こんな最大規模の大型複合施設が相次いで出来ても、それだけの客のニーズがあるのかどうか些か疑問は残るが、こういうちょっと見ると潰し合いに見える様な事をやっていると、どうしてもかつてのダイエーやそごうの拡大路線の果てを思い出してしまう。

 最近のコンビニ、あるいはハンバーガー店、家電量販店、更には外食チェーン店やドラッグストアーとか、それ程集客能力があるとは思えない所に、恰も潰し合いでも挑むように出店するのが目立つように感じる事があるけど、社会にとっては適正なルールの中での節度ある競争が望ましい結果をもたらすと思われるし、仁義なき戦いみたいなのは、どこにとっても良い結果をもたらさない恐れがあると思えてしまうのだが。

   

2009年11月19日木曜日

柿食えば 腹がなるなり 食べ過ぎ寺ゃ

 

 たわわに実る柿って言うか、チョット実り過ぎ?

列車の屋根に積もった雪



 子供の頃、貨物列車の屋根に降り積もった雪を、陸橋の欄干越しに眺めながら、「東北の方では雪が降っているんだ」と、まだ見ぬ遠くて雪深い北国へと思いを馳せたものだった。 



2009年11月17日火曜日

専門家と門外漢

 専門家は、自分のしている事が他のどの分野よりも重要で、もっと資金を使い、人手を増やすべきだと思っている人が多い。

 役所にしてもそうだ。自分の所の分野は他よりも予算や人手を増やして欲しいと思っている。
 だからどこの課も前年よりも大きな予算要求をする。この事はいちおう理屈が分かる。
 しかし予算を割り振る側は要求通りに受け入れる訳にはいかない。予算を大幅に上回ってしまうからだ。
 
 そのために予算を振り分ける側は十分に査定して、振り当て額を決めなければならない。
 ところがその振り分け側が役人の財務省(旧大蔵省)であれば、身内の予算要求であるから甘い査定になってしまい、十分に削れずにオーバーする形で上げて、それを政治家がチェックしなければ、予算規模と借金はどんどん増えて行く事になる。

 専門家はよく、「素人に何が分かるか、口出ししないで自分達に任せておけば良いんだ」みたいな事を言う。しかし任せて置けばそれを良い事に、「人類にとって、こんな重要な研究は他にはないから、これだけ予算をよこせ、これだけ人を増やして欲しい」と言って実行に移すに決まっている。

 更には成果が挙がらないにも拘わらず、「大発見だ、これまでに無い大変な発見だ」と自分達で宣伝し、素人が分からないのを良い事にでっち上げる事もないとは言い切れない。

 現に「4~5年先に実用化の予定」とか良く新聞などで目にするが、実用化されたという記事を見た試しがないのは自分だけなのだろうか。

 そう言う私も専門分野の研究者の一人と勝手に思い込んでいるが、専門外の人達は誰も認めてくれない。よってどこからの援助金もない。
 といって、回りがバカだと言っても始まらない。
 どう足掻こうが、結局の所専門外の人達に認められて、評価を受けなければ自己満足の研究と言わざるを得ないのである。

 同じように国の予算の査定でも、結局は専門外の人が決めざるを得なくなる訳で、専門の人はいかに素人に説得出来るかしか方法は無いのである。

2009年11月16日月曜日

富士山はやっぱり日本一の山だべさ


 こんな所から見ても直ぐに分かる富士山。その八の字型のなだらかな稜線は、他の山とは違い、一部分が見えただけでも誰もが「あ、富士山だ」と分かってしまう。

 電車に乗っていても、駅のプラットフォームからでも、他の山と一緒でもその形から直ぐに分かる。関東平野から見る富士山とは、そんな山である。

 だからボクは「富士山」と呼ぶよりも、「富士さん」と言いたい。

 「あ、富士さん」、「あら、富士さんだ」、そんな風に。


 

 でも、これくらい近くにやって来ると、やっぱり「富士山」だな。雄大で、美しくて、圧倒されて、心打たれるものがある。


 「あたまを雲の上に出し」とか「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も」や「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ」などと歌謡曲や万葉集でうたわれる富士山。
 

 いよっ、日本一!

2009年11月14日土曜日

昔のパチンコ

 オレが小焼けだった頃、オヤジは夕焼けだった。チューリップを見ながら、チューリップを聞いていた。分っかるかなー、分かんねぇだろうなー。

柿食わず 鐘も鳴らずに 法隆寺



 世界最古の木造建築として余りにも有名。だけど1300年くらいだろうか、風雨に耐えて来て、その間数々の大小の改修工事をしたに違いない。
 はたして造られた当時の木材がどの程度、どの辺りに残っているのか知りたいもんだ。

木造校舎の思い出


 
 以前に群馬県で撮ったもの。この頃、埼玉県ではほとんどの校舎が鉄筋造に替ってしまっていた。

 当時、革新の畑知事だったので、国の補助金は付き難いのではないかと言われていた。ほとんどが国の補助金の校舎建設だから、当然、中曽根首相のお膝元の群馬では木造校舎は既に建て替えられていると予想していたのだが、 豈はからんや…。



 これはその頃、たぶん長州(山口県)へ旅行した時の写真だと思われる。

2009年11月10日火曜日

「海老床(えびどこ)」の十代目が描いた幕末の地図



マンションが切れている辺りが「海老床」の跡地








 文京区の「文京ふるさと歴史館」へ行ったら、駒込の岩槻街道沿いにある「海老床」という名の江戸時代から続いた髪結いの十代目の主人が描いた幕末の岩槻街道周辺の地図が展示してあった。

場所はどの辺りかというと、東大前を通っている本郷通りを北に行くと、農学部の所で旧中山道と分かれる。真っ直ぐ行くのが岩槻街道(本郷通り)で、「六義園」まで行く少し手前の所に地図に描かれた所はある。

この辺りは江戸市中の外にあるのだが、街道沿いにはかなりの数の商店が軒を並べていた事が分かる。
どんな店があったかというと、「かさや」「質や」「湯や」「まき炭や」「たばこや」「わたや」「油や」「下駄や」「水菓子や」「米や」「とうふや」「アラ物や」「さかなや」「そばや」「カンブツや」「紙や」「居酒や」「箒や」などだ。

「六義園」を目印に地図にあった所へ行ってみた。この辺りなんだがなぁ、と回りをきょろきょろしていると、通りすがりの爺さんが歩道のベンチに腰を下ろして、何かを聞いてくれと言わんばかりの顔でこっちを見ていた。

「この辺に、以前床屋さんがあったって聞いたんですけど」と尋ねてみると、待ってましたとばかりに「海老床、海老床。そこ、そこの信号の所」と指をさしながら、威勢の良い元気な声で教えてくれた。
「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ」ってな感じだった。

通り沿いはマンションが建ち並んでいて、その谷間の様になった空き地が、「海老床」のあった所だった。

この通りの少し裏に入った所に「富士社」の広い境内や木々が描かれていて、脇道に入るとすぐに分かった。社殿は古墳の様な富士塚なのだろうか、その上にあった。
社殿に向かう急な階段を上って行くと、上の方から「にゃおー」と鳴き声がして、階段を上り切る前に上の地面にいた猫とご対面と相成った。
猫は非常に礼儀正しく脚をそろえて座って迎えてくれた。ちょっとビックリして、「昔この辺にいた人の化身か?」とチラッと頭を横切ったりしながら、カメラを向けてパチリ。

2009年11月8日日曜日

下宿っぽい


 窓際の花が効果的ですね。全体の雰囲気を相当イメージアップさせていると思うのですが。

「日照を奪うな!」の看板を見て


 子供たちも、何か言ってました。日照のことで言ってるように見えてしまいました。

壁面緑化


 夏は強烈な日差しを和らげ、冬には寒さを緩和してくれる、いま流行りのエコハウスでしょうか。

 上の方のアンテナまで緑化されちゃっています。

個性的な六地蔵



 良くお寺の入り口で見掛けたりする六地蔵とは違っている。顔も違うし、服装や姿勢でも個性的だ。

 それに、やや小振りなので、近頃仏像ブームとかで石仏や仏像の盗難が多いと聞くから、少し心配だ。
 
 それぞれが少しづつ違っていて、何か味わいがあるよね。

 という事で、場所がどこかはヒ・ミ・ツ。

近頃テレビなどで良く使われる物の考え方

 
 
 

 最近マスコミあるいはテレビやらで流行っている言葉に、「内需、内需」や「国民に希望を持たせる政策」とか「何かを得ようとすれば、何かを失う」何ぞはしばしば耳にする。

 先日もテレビを見ていたら、コメンテイターが「人は何かを得るために、何かを失わなければならない。こうしてテレビに出ていれば、(ギャラは入って来るが)一方で時間を失う。」

 それって、「オレはこうしてテレビに出ているけど、カネのために仕方なく自分の貴重な時間を潰している」って事か?

 じゃあ、それを見ているオレって、何を失っているの?時間とカネって事か…、えっ、両方。こりゃあ大変だ!

 すぐにテレビのスイッチを切ったのは言うまでもない。