常総市の焼却場の近くにはゴミの山が広がっていました。
自然堤防が削られた場所から越水のあった現場です。
向こうの方に土のうが積み上げれています。
上は1か月前の越水した当時の写真です。(テレビ映像から)
なぎ倒された河川敷の木々が川向こうに見えました。
自然堤防から一段低くなった道をを歩くと、当時の水嵩の跡が木々に残っていました。
泥水に浸かった稲は茶色に染まって倒れていました。
堤防を歩いていると石下地区の水没を免れた地域がありました。この辺りは自然堤防の広がった微高地になので、水が来なかったようです。
水に浸かった形跡は見られません。
洪水に浸かった跡がくっきりと残る生垣。石下地区でも少し低い場所になるとこの位は浸かってしまうのでしょう。
決壊した側の左岸と反対側の右岸の堤防に来てみました。
川の向こうに決壊場所の仮堤防が見えています。決壊場所は川の流れから広い河川敷を挟んだ左岸の堤防になります。
河川敷は川の傍から遠くなるに従って高くなっているようです。つまり自然堤防のようになっていて、その上に人工の堤防があります。
画面の真ん中を横に走る堤防のラインを見ると、中央の木を境に左の直線ラインより右の方が低いのが分かります。これを同じ堤防のラインかと思ってしまいしたが、どうも違ったようです。
右上に小さく仮堤防が見えますが、仮堤防の下のラインとそこから左に直線上に伸びているラインとが一致するので、一段下がって見えたラインは河川敷にある自然堤防のラインと思われます。現在の堤防はその奥にありますが、河川敷の木々によって隠れてしまっています。
橋を渡って左岸堤防へと向かいました。鬼怒川左岸の河川敷が見えますが、川から遠ざかるにしたがって高くなっているようです。
仮堤防が見えます。河川敷の東西ライン(上が北)は写真左の川に近づくにつれて低くなっているのが分かります。
仮堤防が完成していました。
仮堤防を上から見た図面です。赤く塗りつぶした部分が白いブロックで覆われた所です。
断面はこのようになっています。
堤防の外は、見る限りほとんど当時のままでした。
道路と接する家の下の土がえぐられて、家が大きく傾いています。
まだ水が溜まったままです。
アスファルトもめくり上げられたようになっていました。