2010年12月14日火曜日

奈良時代の総人口は700万人弱


東京都葛飾区にある「郷土と天文の博物館」へ行って来た。

ここは天文も目玉なのだが、もう一つの目玉があって、そっちが目当てだった。

何かというと、奈良にある東大寺の正倉院に、伝わる宝物の中に「養老五年(721年)下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」という文書がある。

その中に、大嶋郷が甲和・仲村・嶋俣の三つの里から構成されていて、それらを合わせた人口が1191人であると記載されている。

それ以外にも残されている奈良時代の戸籍の一部があり、平安時代の「和名類聚抄」には全国の郷が載っているから、それらから類推すると、単純計算で各郷が1000人位の人数とした場合、当時のおおよその人口が分かると考えられる。

しかし、戸籍にもれる人口も結構いたろうと思われるので、余り正確な所は分からない。

にも拘らず、専門家がもう少し高度な資料の付き合わせをして、当時の人口を推測した所では、当時の日本の人口は600万人とか700万人の間くらいではないかと考えられている。






素朴な疑問・・・本当に600~700万人分書いたのでしょうか。考えると夜も眠れなくなりますよー。