2009年8月30日日曜日

日光散策(金谷ホテルの「蔵出し写真展」)


 ちょっと足を伸ばして日光へ行って来た。金谷ホテルで「蔵出し写真展」というのをやっていた。明治時代から続く老舗の洋式ホテルの歴史の一端を垣間見られるような写真の数々だった。一ホテルの歴史ばかりではなく、日光という観光地の歴史でもあった。

 日本における観光という事を考えてみた場合、江戸時代には観光とか避暑とか海水浴という概念そのものがなかった。名所や旧跡はあって、芭蕉の様な人が巡って、文章にしてもいるのだが、一般的には江戸時代の後半になって来ると、講を組んで伊勢参り、富士山、大山あるいは善光寺などへお参りを兼ねて周辺の名所を回るような旅も増えて行った。

 明治に入って、欧米風の近代文明を受け入れて社会が大きな様変わりをし、工場が出来、電気が通り、汽車が走り、発電所が造られたりとヨーロッパの技術者達が数多くやって来ると、彼らの避暑地として、この日光へとバカンスに訪れる人々も増え、西洋人が宿泊出来る施設を造って欲しいといった要望が起き、金谷ホテルを始め、箱根には富士屋ホテルが、同じようにして軽井沢にも出来て行ったのだと思われる。

 東京の都市造りに関わった西洋人技術者などが関東近辺の日光や箱根あるいは軽井沢へと出かけて行ったのがそもそもの始まりと思われる。
 
 この写真は、昭和14年に米国の女性教職員の一行が宿泊した際のものである。日に日に戦時色は強まって行き、日中戦争は泥沼化の様子を呈し、ヨーロッパでは第二次大戦が勃発するといった世界情勢の中で、彼女たちの心中に去来した思いはどの様なものだったのか。どんな思いをしながら観光をしていたのだろうか。ほとんどが背中を向けたりしている中で、その表情は窺い知れない。

2009年8月28日金曜日

蟻に見るチームワーク


 何かの昆虫の死骸片を蟻たちが運んでいた。四匹の蟻が平べったくて正方形に近い物の4点を咥える様にして、巣に持って行こうとしているみたいだった。

 巣の場所はどの蟻も知っているに違いない。しかし、どういうルートで持って行くかのそれぞれ思惑は、違っているかも知れない。ところが、互いに引っ張り合って落としてしまうような事はない。かと言って、ハッキリとしたリーダーがいる訳でもないのようだ。あっちに行ったり、こっちに行ったりはしていた。

 一つの方向へ持って行こうとするのがいると、他の蟻はそれに合わせる。暫くして違う蟻が別の方向へ持って行こうとすると、今度はその蟻に他が合わせる。そうやりながら落とすことなく、結果的に巣へ運んで行くのだろう。最後まで見届けはしなかったが。

変貌する東京駅近辺


 オフィスビルがひしめく千代田区丸の内、大手町付近。複数個所のあちこちで建築工事中だ。おそらく高層ビルが建つのだろう。

2009年8月26日水曜日

東京駅(平成の大改修)


 平成の大改修中とでも言おうか、東京駅の駅舎が工事の真っただ中である。丸の内口のドーム型の天井は鉄筋が露わになって、鳥の巣でも伏せた様な具合になっている。

 またすぐ傍の中央郵便局は、一部を残して殆んどが壊されてしまっている。H大臣が「誰が壊したんだ!」と乗り付けた車から降りざまに、カメラの前で怒鳴ったのは記憶に新しい。

 日本郵政というと「郵政民営化」、「かんぽの宿の売却」が話題になったが、最初に鳥取県の「かんぽの宿」が1万円で落札されて、その半年後に6000万円で転売されて老人ホームになったとニュースで知った時に、誰もが憤って拳を振りあげた。それから暫く経って、他の物件との抱き合わせのバルク販売だったというニュースが流れても、一度あげた拳はもう降ろせなかった。大臣もその中の一人じゃなかったのか。

 この「時間差ニュース流し」っぽいのが結構目立つ印象があるんだけど思い過ごしだろうか。例えば「足利事件」だが、菅谷さんは警察にだけではなく最初の弁護士にも自白をしてたって事を、無罪という世論がほぼ形成された後から、その弁護士のインタビューを流したりするような印象があるんだけどね。

 S中学校の女子柔道部員死亡事故についても、死亡原因がいじめによる可能性が高いという印象を視聴者に植え付けておいてから、第何弾かの中で、以前に脳の病気で入院した事があるという事実を明らかにするとか、何か後出しじゃんけんの様な感じがしなくもない所が引っ掛かる。

日本橋界隈


 橋を守る狛犬でしょうか、睨みを効かせています。足元にあるのは何?察する所、道路の起点になるしるしみたいなものか。

 すぐ上を通っているのが首都高で、やっぱり圧迫感があるね。

 などと思っていたら、いつの間にか青空が追いやられて黒い雲が覆ってにわか雨が降り出して来た。急いで近くの三越へ雨宿りに逃げ込んだら、大きなライオンの像が入口に。これも店を守っているのだろうか、それとも単なるオブジェか。

古墳もあったよ上野のお山






 上野公園の西郷さんの銅像近くに古墳があった。広い階段を上ったら広場があって、外側に円を描くようにベンチが置かれていた。
 ベンチは皆埋まっていて、ホームレス風の人やらどこぞのおっさんとか(自分もその部類だが)アベックもいた。暑さからか横になってる人が多かった。
 
 


2009年8月25日火曜日

上野駅東北線ホーム


 北国と東京を結ぶ東北本線の終着駅となる上野駅。かつては多くの集団就職の学生達が、地方から出て来て最初に降り立った駅だ。そこに建つ啄木の歌碑。彼もまたこの東京に出て来て、小説家として成功を収めたいと願うものの、挫折を重ね、一方で家族を養って行かねばならず、貧しさと失望と葛藤と様々な悩みを抱えて、失意の内に26歳の若さで病死した。

 そうした状況下での心境を綴った歌集「一握の砂」の中の一節が刻まれている。大都会の中での疎外感、失望、家庭内のこと、そういうしんどい気持ちからの支配を一瞬和ませてくれる郷里の方言、それをわざわざ聞きにやって来たのだ。

2009年8月24日月曜日

竹芝桟橋から見た高層ビル群


 高層ビルや高層マンションには、どこか別の場所から引っ越して、やって来るのだろうなぁ。職住接近という事で、高層ビルで働く人が、高層マンションに住んだりするのだろうか。

 家族で移り住むとなると、学校も手狭になるから、新設するようになるかも知れない。でも土地は埋め立てればあるんだから、それ程心配ないか。「ゆりかもめ」からオリンピック選手村の何かの工事をやっているのが見えた。まだオリンピックが決定した訳じゃないのに。

 仮に選考にもれたら、不必要な工事になりはしないか?でも用途を変えて、震災時の仮設住宅用の土地としては活用できそうな感じだな。

 それにしても、人々の活動の中で排出したゴミで造られた埋め立て地によって、国土が広がって行くという所に一石二鳥のお得感がない訳でもないが、築地市場の豊洲移転じゃないけど、土壌汚染の心配はある。

子規庵


 台東区根岸の「子規庵」は生憎の臨時休業だった。子規35歳、石川啄木26歳、樋口一葉24歳、国木田独歩37歳、長塚節36歳、梶井基次郎31歳、太宰治39歳。太宰は玉川上水で愛人と入水自殺したが、他の文学者は皆病死した。そして全員が結核だった。

 ちょっと昔は8人とか9人兄弟というのは、それ程珍しくなかった。子供も全員が無事に育つという訳でもなく、その中の何人かは病気で亡くなった。

  最近になって、結核患者が増えて来つつあるようなニュースも耳にするが、もはや以前のような死の病ではなく、乳幼児の死亡率にしても昔とは比べ物にならない程低いに違いない。

 平均寿命も世界一で、100歳以上のお年寄りが2万人を超える長寿国になって、一見喜ばしい事だが、そうとばかり言ってはいられない。医療費や介護費用は増えざるを得ないからだ。ま、予防医療の重要性は一層増すばかりだ。



2009年8月22日土曜日

下町の路地裏


 高層マンション群の立ち並ぶ地区に接して、空襲の被災を免れた地域があり、今でも戦前の面影を残している。

 そこで出会った路地裏の文化。

東京ベイエリヤの高層マンション群









 


 東京湾を望むエリヤには高層マンションがニョキニョキ建っている。今も建設中の所があちこちと見掛られる。
 その昔は、ニューヨークの高層ビルは岩盤の上に建っていて、日本は地盤が違うから建たないとか聞いた事があったが、その後に深い岩盤まで杭を打つ技術や耐震構造の面とかでも相当進歩したのだろう。

 
    

食料品の値引き

 弁当を値引き販売するさせないで、コンビニチェーンがニュースになっているが、駅前のスーパーでも閉店近くになると、半額まで値を下げる商品が出て来る。近頃では、もったいない運動でどこでも見切り品販売や値引きセールをやり出したが、中には味がおかしかったり、腐りかけたものも含まれていたりするのには辟易してしまう。

 弁当にしても賞味期限内に売るのだが、弁当を作った日は昨日今日でも、それに使う食材が調理後の時間が経過して既に悪くなっていたりする事があるのだ。どことは言わないが、食堂にしても近頃ポツポツ出て来たような印象を受ける。

 なぜこういう事が起こって来るのかと言うと、健康志向で調理が薄味になって来たり、保存料も使用が減っているからではないかと思っている。これをまた大騒ぎしてやんやと言うと、よーしとばかりに濃い味にしたり、保存料をたんまり入れられては消費者の方も困る。

 だからこっちも多少の事には目をつぶってはいるが、デパートの生鮮食料品売り場で見切り品のトマトの裏にカビを見付けた時には、さすがに参った。

 10年位前だったか、スーパーの野菜売り場で、台車に乗っていたトマトを手に取って、「これ、いくら」と近くにいた店員さんに聞いたら、「捨てるやつだから売れない」と言われた。真っ赤に熟れたトマトで、「アメリカじゃー、普通のトマトの数倍の値段で売ってるよ。リコピンが多くて栄養化が高いんだよ」と言って、半額で売ってもらった。

 それからすると、今のありようはちょと行き過ぎかなと思わなくもない。


 

2009年8月20日木曜日

舟宿と屋形船


 日も暮れかけて、街角やらにポツポツと日も灯る頃、近くのオフィスから流れて来たサラリーマンが、舟宿に列をなす。江戸前の魚を天婦羅でカラッと揚げたので、ビールでもぐいぐいと飲んで暑気払いか。



 

回向院



 回向院へ寄った。江戸時代、この一帯は原っぱになっていて、小塚原の刑場があった。 安政の大獄で処刑された幕末の志士達も眠っている。一番奥に、橋本左内、吉田松陰の墓がある。ちなみに鼠小僧の墓も近くにあった。



 

隅田川遠景


 千住大橋から南千住の駅方向をパチリと、高層マンション群を取り入れた構図で一枚。



 

旧日光街道の千住宿




 
 北千住駅から南千住へと散歩した。写真は旧日光街道の千住宿にあった団子屋さんで、今はこの建物はもうない。

 というのも、東日本大震災(震度5強)で都内最高の揺れになり、扉や窓に隙間や傾きが出た。そのため平成24年3月25日を最後に建て替えの長期休業に入り、10月にオープン予定だ。

 写真の建物は明治時代に古材を集めて造られたという。 (「東京新聞」参照)                        
                                 
                                          2012.12.1更新


 

本郷の下宿

 
 
 
 「まだあるのかなー」って思いながら行ったら、あってホッとして写真に収めた。

 東日本大震災後の本郷館(YouTubeから)・・・首都圏での揺れは大きな振幅の横揺れだったので、高層ビルの高層階は相当揺れたが、低い建物は地盤の弱い場所でない限りは被害は少なかったようだ。これが直下型の縦揺れだと、古い木造建築は弱いと思われる。

                               (2013.11.19更新)