東京と、その周辺の県を訪れて、ランダムに記事にしていったブログです。東日本大震災以降、建物の耐震化の面からも建設需要が高まっているので、最近はその取材が多くなっています。 その他に政治・経済・教育などのミニ論評も挟んであります。
2016年3月28日月曜日
2016年3月24日木曜日
長浜駅前の再開発と中島屋(番外編)
滋賀県のJR長浜駅前に再開発ビルが計画され、解体工事が終盤に差し掛かっていました。ここにはスーパーの平和堂と駅前通りに面した商店などがあったのですが、平和堂は駅の隣接地に移転し、最初は反対だった他の家も補償金をもらって移転して行ったようです。
その中でたった1軒残ったのが中島屋食堂です。
下の写真の左上の方に茶色い建物が2軒並んでいるのがそうです。ですからその部分を取り囲むようにして再開発ビルが建てられるという事です。
遅い昼食をとるために中に入ると、「いらっしゃい」とおばあさんに声をかけられました。
店内には3人の客がいて、僕の後から1人が入って来ました。注文は親子丼と熱燗にしました。
余り熱くしない方が良いかと聞かれ、流れに任せて答えました。この店は80過ぎの母親と息子さんの2人で切り盛りしていました。
料理はおばあさんが運んで来てくれて、滋賀名産の赤コンニャクと菜の漬物とか説明してくれました。
薄味で上品な感じで、最後にご飯が残ったのですが、漬物の塩味が丁度良かったのでご飯に合いました。
駅前通りに面した店の入り口です。
明治30年の創業で、この建物は昭和27年に建て替えられました。
昔の看板とかが残っていて、飾られています。
その中でたった1軒残ったのが中島屋食堂です。
下の写真の左上の方に茶色い建物が2軒並んでいるのがそうです。ですからその部分を取り囲むようにして再開発ビルが建てられるという事です。
遅い昼食をとるために中に入ると、「いらっしゃい」とおばあさんに声をかけられました。
店内には3人の客がいて、僕の後から1人が入って来ました。注文は親子丼と熱燗にしました。
余り熱くしない方が良いかと聞かれ、流れに任せて答えました。この店は80過ぎの母親と息子さんの2人で切り盛りしていました。
料理はおばあさんが運んで来てくれて、滋賀名産の赤コンニャクと菜の漬物とか説明してくれました。
薄味で上品な感じで、最後にご飯が残ったのですが、漬物の塩味が丁度良かったのでご飯に合いました。
明治30年の創業で、この建物は昭和27年に建て替えられました。
昔の看板とかが残っていて、飾られています。
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懐かしの建物(商店・下宿・木造校舎),
開発・建設
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