2011年12月26日月曜日

石神井川の遊歩道をウォーキング(東京都板橋区)

  川の流れがS字を描いている。高低差がないところなのだろう。昔はこの辺りで川が氾濫したのかも知れない。
しかし今では、深く掘り下げられ、下水の普及などもあって川の水量は少ない。
とは言っても、近年では気候変動によるゲリラ豪雨というのが割合起こるようになったので、下流で氾濫することもある。


http://a09b150087.iza.ne.jp/blog/entry/1687470/






工事中と思しき高いフェンスがあって、一部分網状になったところから見た。





  旧中山道の板橋宿にある橋で、石神井川に架かっている。当然、、江戸時代は木製の橋が架かっていたので、板橋と名付けたのだろう。








100メートル、200メートル行くとすぐ橋がある。


2011年12月18日日曜日

解体される赤プリから九段会館までブラ歩き


赤プリ(グランドプリンスホテル赤坂)はもう解体工事の準備にでも入っているかな、と来てみた。地下鉄の駅のそばに地図があって便利だが、東西南北と現在位置が分からないのがある。これは正直言って困りものだ。

何とか見えるところまでやって来たが、まだ何の変化もないようだった。




近くまで来たら、アスベストの除去工事の看板があった。アスベストが使われていたんだ。天井とか配管回りとかだろうか。飛び散らないように除去しなくてはならないから、結構大変な手間と費用になるだろう。





まだそれ程古いようには見えないが、色んな点で取り壊しが必要になって来たのだろう。


  もう既に宿泊していた被災者もいなくなって、中に入れるのは工事関係者の車両が主なのだろうか。




帰りがけに、もう一枚。




北の方角に歩いたら、靖国神社に行き着いた。



大村益次郎だったかな、この銅像は。





参道を東へと進んだ。




これが靖国通りだったかな。この歩道橋を渡ると北の丸公園になる。










お堀の向こうに見えているのが九段会館。




東日本大震災の時に天井の崩落事故があって、亡くなられた方があって、建物は取り壊される予定だと聞いた。

http://www.youtube.com/embed/D16mcvCXp24
地震による天井が崩落した直後の映像だ。想像していた以上に重量のある天井で、これ程の重さがあっては、落ちやすく、落ちれば死傷者が多数出るのも当然のように思われる。

http://ameblo.jp/marimouji/day-20110711.html




































2011年12月6日火曜日

実り過ぎ?


数え切れないくらい柿の実が生っている。これ程ならなくても良いと思うのだが・・・。

2011年12月2日金曜日

福岡河岸記念館 その2

表の庭


文庫蔵の展示品





こうがい・かんざし・櫛


建物はくっ付くように建っていて、行き来はスムーズに出来る。




母屋の1階

母屋と続いている土間











帳場



福岡河岸記念館(埼玉県ふじみ野市)




埼玉県のふじみ野市(旧上福岡市)にある福岡河岸記念館。江戸時代から明治時代にかけて、新河岸川を使って川越と江戸(東京)を行き来する舟の、その荷を取り扱う船問屋をしていた福田屋が、この記念館になっている。

写真の建物は帳場が置かれた「母屋(主屋)」で、他に木造3階建ての「離れ」と「文庫蔵」という倉がある。建てられた時期は明治時代になる。




「離れ」の3階から東方面を見たところで、手前に新河岸川が流れ、遠方にさいたま新都心のビル群が見える。






「離れ」の3階から正面入り口の門の方を見たところ








 この「離れ」は来客用として使われていたという。




それにしても階段は狭くて急で、上り下りに神経を使う。



2階からの景色










1階のガラス戸




回りを曇りガラスにして、真ん中を枠で縁取った透明なガラスにして、後ろの庭を写し込んで、あたかも額縁に飾った絵であるかのように見せている。


見る角度を変えると、写し込まれる庭の景色も変わる。




右の建物が「離れ」で、左が「文庫蔵」。「離れ」は3階まで通しの柱が使われている。