バスを多福寺前で降りた。ここのバス停は本数がかなり少なく、地図で見たら北の方にもう少し本数のありそうなバス通りがあったので、西方面の所沢市街地と西武線の駅を頭に入れながら、歩こうと思った。
夏とは違い、日が落ちるのが早いからそのことを念頭に置いた。
この辺りは江戸時代に新田開発をしたところで、武蔵野の雑木林が残っていて、その歴史を感じながら想いをめぐらせようか。
多福寺の門
武蔵野の雑木林か
その雑木林の中に祠があった。
建物になっている立派な門だ。
けっこう大きい。
寺に隣接して、地蔵堂があった。なんでも、805年に坂上田村麻呂が蝦夷征伐に行く途中で、この辺りで道に迷ったらしい。
そう言われてみると、西に約5キロメートルに東山道武蔵道がその当時も通っていたし、入間郡家へ向かうルートもあったことが考えられるので、もしその道を行こうとしていたのなら、この辺りで迷ったというのは頷ける気がする。
要するに何千人、何万人と都から東北地方へ行くのに、纏まって行くことは水や食料の現地調達を考えた場合に不可能なので、分散して行くはずで、そのための道も何本もあったと考えられる。
こういった雑木林は、計画的に木を切って薪や炭を作って管理をしていたという。
雑木林を抜けると、茶畑が広がる。
砂川掘の用水沿いに西方面に向かうことにした。
ホウレンソウだろうか。
ブロッコリーだ。
肥料だろうか。
茶畑
用水沿いにある調節池で、かなり大きい。目的は土採りだったのか。
カメラに納まらない。
途中で道がなくなってしまったので、探したらこんな細い道があった。
用水は見えなくなって、道路の下に潜ってしまった。こうなると今までは工場や倉庫と畑ばかりだったのに、住宅が増えて来て、市街地が近付いて来たのを実感する。
大きな団地の近くに、これも大きな調節池
高層団地の塗装工事
近隣の畑で採れた野菜を移動販売しているようだ。
米軍通信基地
秋の日の夕暮れ。ここまで来ると駅はもうすぐだ。
街中の用水
三日月